2014年 02月 26日
次男の結婚式 2014.2.23(日)
希望を胸に進んだ職場でやや不運?な体験をしたことで、少し遠回りをしながら生きている次男だが…いよいよ嫁さんをもらうこととなった。
辛い苦しみを乗り越えてこの日を迎えた。
これまでの分の何倍もの幸せを掴んでほしい。そして人生を豊かにしてくれる良い人たちに巡りあってほしいものだ。

2度目の両家代表謝辞でしたが、緊張ぎみの父親よりも新郎の方が堂々とした謝辞でした。
2014年 02月 25日
今年はいいぞ!国東市・東国東郡チーム 2014.2.21(金)
今年もじなしの店前に並んで応援する国見中学校の生徒数は102名。

3区(香々地~国見海洋センター)を走るのは地元、国東消防署の藤本淳一くん。
ゴールまであと1㎞とすこしの地点ですが…玖珠町の選手(右)と競り合っている。
地元の大きな声援を受けて区間6位の好成績で道の駅くにみ前へゴールしました。
(淳一くんのお父さんはじなしママの同級生です)

国東市・東国東郡チームの5日間の総合成績は16チーム中10位。これで来年はB部昇格を果たしたようだ。
終了を告げるバスが国東半島から冬を連れ去って行きました。

2014年 02月 17日
諸塚山麓に出会う奇跡の?福寿草 2014.2.16(日)晴れ
行ってみようと思っていたが…週末に降った大雪では登山もお花も無理だろう。
今日は阿蘇中岳、高岳の雪山を登ろう~と早朝に発って小国から阿蘇へ向かう。
R387~R212や阿蘇パノラマラインでは一部で雪道となっているがおおむね除雪されている。
R212から正面に阿蘇山(涅槃像)。

草千里から中岳の噴煙を見る。

ロープウエイ駅に着くと「噴火警戒レベル2発令中」のためこの先通行止めとなっている。
駐車場にも火山ガスの異臭が漂う。

登山をあきらめて高千穂に向かう。辻本さんHP 「天香具山(あまのかぐやま)」へとも思ったがここも大雪だろう。
高千穂町中心部からほど近い国見ケ丘へ行ってみよう。五ヶ瀬町方面へ登山の時にいつか寄ってみようと思っていた所だ。
国見ケ丘へ
道の駅高千穂を過ぎてR218から県203へ右折してしばらくくねくね登ると売店が見えて国見ケ丘駐車場へ着く。
残雪のため登山靴に履きかえる。

国見ケ岳は神武天皇の御孫・建磐竜命(タテイワタツノミコト)が九州統治の際に立ち寄って国見をされたといわれている所。
秋から初冬にかけての雲海に沈む高千穂盆地や日の出を拝む名所として知られているようだ。
祖母傾国定公園に指定されている。

展望の良い先端部へ出る。ここの標高は513m。
北に祖母の連山。

東に天香具山、高天原、四皇子峰や高千穂盆地。

南に諸塚山。去年の春にはいち早く咲くアケボノツツジを鑑賞した。

霊峰・二上山。日本書紀による天孫降臨の山といわれている。

駐車場へ戻る途中にアカマツの大木が立つ高台へ上がる。
東を向いた大きな石像は、瓊々杵尊(ニニギノミコト)とその足下にひざまずく土蜘蛛(=土地の豪族)の大鉏(オオクワ)と小鉏(オクワ)。
土蜘蛛伝説はじなしブログ1年ぶりの平尾台~青竜窟を探訪にも出てくる。
「ニニギノミコトが高千穂の地に天降ったときには天は暗く夜も昼もわからない状態だった。そこに現れたオオクワとオクワが「尊の手で稲千穂を籾とし四方に投げれば必ず明るくなります」と奏上した。その通りにすると天は明るくなり日も月も光輝く状態になったと言う… 」

道の駅高千穂で昼食のおにぎり弁当を買う。
値段もグッド! トレッキング弁当に良さそうだ。とても美味しい。(お腹も空いていた)


秋元神社へ
道の駅の店員さんにネットで見た秋元神社の場所を聞く。
神社の裏山には宮崎県指定天然記念物の福寿草(=採ると罰せられますよ!)が自生しているらしいのだ。
R218を日之影町へ向かう。
天翔大橋を渡る。
~アーチスパン60mでコンクリートのアーチ橋としては日本一長い橋だ。さらに五ヶ瀬川の水面から橋面までの高さも143mあり、これも日本一高い橋だ。

橋を渡ったらすぐに右折し、水ケ崎大橋を渡ったら狭い県50を向山へと向かう。
分岐ごとに「秋元神社へ」の標識がある。
除雪はされているが道路脇の雪で車幅のみとなった道路を慎重に進む。水ケ崎からカーブを繰り返して7㎞ほどで最奥の水の口集落へ着く。諸塚山の北山麓となる辺りだ。
すこし広くなった道路脇に駐車して歩き始める。12時14分。ここの標高≒530m。

秋元活性化センター前を通って上へと歩いて行く。
途中で出会ったおじさん、おばさんから「今日は大雪で行っても何もわからんけど気をつけて行っておいで・・」

20分ほど歩くと秋元神社に到着。宮崎ナンバーの軽四が1台。

大雪の階段を足跡の穴を辿りながら社殿に上がるとその足跡をつけた男性2名と出合う。福寿草の話をすると、2人で神社裏山の自生地へ行き、手で雪をかき分けて探してみたが分からなかったそうだ。ちょうど下りてきたばかりのようで、近くの山の情報などを教えていただいた。
神殿と御神木の銀杏。右は神楽殿。左にご神水が湧き出ている。

2 人が帰られたあと、自生地まで足跡を辿って行ってみることとする。

すぐにあらわれる砂防ダムは右へ上がって越える。

深い雪をかき分けて登っていくと2番目の砂防ダムが見えてくる。

手前を右上に登っていくと先の男性が手でかき分けた跡が1カ所あった。
そこからさらに少し上った辺りでいよいよママの福寿草発掘作業が始まる。
実は社殿にあったプラスチック製のちり取りを雪掻きのために借用したのだ(神様お許しください)

その間、じなしは~「こんな深い雪でどの辺りに自生しているかも知らずにあてずっぽうに雪掻きをしても絶対福寿草が出るはずない!」と密かに思っていたのだ。
2か所ほど除雪発掘をしたが見つからない。
ママが「もう一カ所!」といって掘り始める。

やはり出てこない。
「当たり前じゃ、出るわけないだろう。さあ帰るぞ」と言って下り始める・・・
「わぁ~!あったぁ~~~~~!」 とママの大声が・・・
なんと、下りる途中で足に当って滑り落ちた雪の下から一つの福寿草が現われたというのだ。
何と言う強運?の女なんだろう!
雪の中から生まれたばかりの福寿草。今年初めてのご対面です。

ママに会いたくて出てきてくれたのだろうか。

も一つおまけ。(同じ花ですが^^;)

大雪をかき分けて神社へ戻る。

諸塚山から湧き出るご神水を頂きました。カルスト系の湧水か?まろやかで美味しい。

感動を胸に?五ヶ瀬川系秋元川源流の水の口集落を下りて行く。
おじさん、おばさんにも御礼の報告をする。

帰路は高千穂から竹田に抜ける県道8号が大分県へ入る寸前( 高森町津留の永野集会所あたり)で大雪のため通行止めとなっており、そこからUターン。津留上町まで戻り、雪道を大きく迂回して荻町から竹田へ入る。 ふぅ~・・・。
前夜のラージヒル銀メダリスト・41歳葛西選手のレジェント(伝説)に誘発されたママのミラクル(奇跡)福寿草だったのかもしれない・・・
マップ(赤~国見ケ丘、青~秋元神社)
2014年 02月 10日
モノクロのくじゅう星生山 2014.2.9(日) くもり
今日は久々の一人登山で、どこを歩こうか…決まらないままくじゅうへ向かう。
途中の速見広域農道「ポケットパーク日出」から見る夜明けの由布~鶴見連山。

やまなみハイウエイは倒木で通行止めとなっている。水分峠からR210を豊後中村へ、さらに県40で長者原へ着く。
翌日の新聞では道路脇の樹木100本以上が「雨氷」のため倒れたらしい。
※雨氷(うひょう)とは、0℃以下でも凍らない過冷却状態の雨(着氷性の雨)が、地面や木などの物体に付着することをきっかけに凍って形成される、硬く透明な氷のこと。着氷現象の一種。(wikipedia)
長者原で一休みしてガスに包まれた星生山を仰ぐ。よし今日はこの山へ登ろう。
今日はわずか2台駐車の大曲を横目に牧ノ戸に到着。3週ぶりです。
星生山(ほっしょうざん・1762m) 7回目
気温は-2℃。風がないのでそんなに寒さは感じないが周辺の木々は白い氷を装っている。ほぼ満車の牧ノ戸駐車場を出発。8時34分。

登山口に雪はなかったがコンクリート道を登るにつれて氷状の残雪が多くなり展望台でアイゼンを着ける。
展望台から南西に阿蘇外輪山あたりが明るい。

いつものポイント。

扇ケ鼻分岐辺りの樹氷。

分岐を星生山へ向かう。2人?が歩いたトレースをたどる。

凍てつく池塘。

池塘からの急登をがんばると額も汗ばんでくる。
森をぬけると玄冬の世界。

群生するミヤマビャクシン(深山柏真=大分県レッドデータブック掲載)も耐えて春を待つ。

風紋という厳冬の自然美。ピンボケ画像?

星生新道(現在通行止め?)と出合う。秋にはリンドウが群れ咲くあたり。

大エビの尻尾。なぜか衣ばかりの天丼のエビを思い出す?

トレースをたどればモノクロの視界の先に山頂が現れる。

先客は男性3名。星生崎寄りの西千里浜から急坂を直登してきた(ようやるわ!)そうで、これから星生崎避難小屋へ向かうそうだ。
山頂写真を撮っていただきました。10時56分。2012年9月以来です。

寒さでお先に撤退です。
西千里浜へ下って行くと砂粒のような雪が落ちてくる。
2組の団体さんが登ってきます。


西千里浜へ合流。ぽつぽつと人間を見かけます。

扇ケ鼻でうどんランチをとも思ったが…今日はまっすぐ下山です。
この寒さの中、若いグループや中高年のペアなど次々と登山者と出合う。
12時15分、お一人登山も無事下山。
帰りの牧ノ戸駐車場や大曲も溢れんばかりの車となっていました。
長者原レストハウス前のマンサク。透明な氷に包まれている。これがあの「雨氷」なのか?


こちらは馬酔木。

2014年 02月 03日
ヤブ漕いで傷だらけの鳥屋岳 2014.2.2(日)晴れ
今朝は沖船の汽笛が「ボー、ボー」っと何度も聞こえてきた。
起きて家の外を見ると周りは濃い朝霧に包まれている。国東半島海岸部がこうして深い霧に包まれるのはめずらしい。

足の痛みや水ぶくれの跡(針で水を抜いたのです)も気になるが、家でゴロゴロするのももったいない…と昼前になって出かける。
昨秋に入口を確認していた山香町南部の里山「鳥屋岳」へ登ってみよう。
距離や標高もわずかなので何とかなるだろう…。
(日指林道登山口)
鳥屋岳(とりやだけ・590.1m) 大分かくれ名山
杵築市立石のR10を走ると外気温は18度。梅も開花を急いでいることだろう。
山香中心部から速見広域農道へ入り速見インター方向へ向かうと前方に経塚山の大きなアンテナが見えてくる。この辺りはかつて豊前街道の鹿鳴越(かなごえ)というところで、キリスト教を伝播したフランシスコ・ザビエルが大友宗麟に謁見する際、(宇佐から山香の地蔵峠~鹿鳴越峠経由で)日出の海岸まで歩いたといわれている。
経塚山への分岐を左に見るとすぐ先の右手に日指林道入り口がありここが鳥屋岳の入口だ。
割れたオレンジ色の標識板があるチェーンゲートから林道を歩き始める。
12時47分。ここの標高≒550m。

このオレンジ色プラスチック板の標識は、大分市の穴井伸明さんにより大分県内のほとんどの登山口や山頂に取り付けられている。じなしもかつて大分百山登りではずいぶんこの標識に助けられたものだ。
穴井さんとは同年齢で5年ほど前からネットで繋がらせていただいて以来、何かと山歩きのサポートをしていただいた。去年7月、国東市国見町の「ペトロ・カスイ岐部神父殉教祭」で初めてお会いしたのだが・・なんと、その後に急逝されたことを知り言葉が無かった。
このオレンジ標識を見るたびに穴井さんを思い出します。心よりご冥福をお祈りします。

あれれ?…緩やかに下りの道が続く。

さらに下りは続きカーブミラーのある分岐へ出る。ここは左へ向かう。

まもなく右前方に電波反射板がある鳥屋岳が見えてきた。

その先で道はフラットになり、歩き始めて16分ほどで山頂への尾根すじにある送電線方向へと右へ入る。


鉄塔奥の紅白ポールから入っていくと土塁にそって踏み跡が続く。

切り倒されたカヤの上端を歩いて行く。桜が植林されているようだ。

出っ張りを曲がると山頂部が見えてくる。

さらに直進したところでGPSを見ると山頂部から少し先へ行きすぎたようだ。
左に踏み跡らしきを見つけてヤブ漕ぎに突入し山頂へ直登する。
すこし進むと汗だくとなりダウンジャケットを脱ぐ。

カヤの中にイバラのトゲがあちこちにあり…傷だらけのローラ? いや天使?になって山頂のNTT電波反射板(鳥屋無線中継所)横へ上がりつく。

イバラをかき分けて3等三角点を発見。 13時39分。

山頂写真。

北にはPM2.5で?霞む大村山(おおむれさん・418.6m)。
天文3年(1534年)春、大内氏家臣の陶興房(すえおきふさ)らに対して大友家臣の吉弘氏直(よしひろうじなお)らが北九州の覇権をかけて戦った「勢場ヶ原の合戦」で氏直が陣を張ったといわれる所だ。
結果は~戦術的に「引き分け」とされている。

東のピークは唐木山(599.7m)。

南東に大きなアンテナの経塚山(612m)。大分では一番早くミヤマキリシマが開花する。

イバラをストックや登山靴でかき分けながら下山するも、さらに両腕は傷だらけの…。
車へ戻れば14時32分。 登って下って1時間45分。
まさに春のような旧正月3日の出来事でした。
足元にフキノトウでも・・と欲張ってみましたが顔を見せてくれませんでした。

そういえば昨夜は成仏寺修正鬼会だったのだが・・・両腕に引っかき傷を残していい山岳修行が出来たとしよう^^; ひざも足裏もなんとかセーフのようだ(^_^)
帰路に近くの水の口湧水へ。相変わらずたくさんの水汲み人で賑わっていました。
(本日のGPS)~拡大します
