2012年 11月 29日
南九州遠征最終日~ 花切山を登る 2012・11・25(日)
遠征三日目の最後は宮崎市の南に連なる鵜戸山地の花切山を登る。
早朝の都城盆地は深い霧に包まれている。ナビをセットして出発。都城インターから宮崎道を走り清武JCTから東九州道へ入り清武インターで下りる。そのまま県道336から県道27(飫肥街道)へと入るとここはちょうど2年前のこの日に登った双石山(ぼろいしやま)へのコースだった。双石山小谷登山口や九平登山口を横目に進み、椿山森林公園入口から狭い道を下っていく。椿山キャンプ場の看板を左折、狭い舗装路をしばらく進むと行き止まりの駐車場へ着く。一番乗りのようだ。川の向こうにキャンプ場のケビンを見る。
花切山は昨春刊行された九州百名山(地図帳)に新たに選出された山で、低山だが急峻な渓谷と照葉樹の深い森に包まれているようだ。
コースは何か所かあるようだが、今日はその最短コースを登る。
準備をして歩き始める。8時16分。ここの標高≒200m。晴れのいい日となりそうだ。

加江田渓谷の川沿を流れに順って歩く。この道はトロッコ軌道の跡らしい。

川が吐合うと今度はその川の上流に向かって歩くようになる。崩壊地を過ぎる。

歩き始めて20分ほどで尾根コースと滝コースの分岐へ着く。
尾根コースへとまっすぐ進む。復路は右の滝コースから下りてくるはずだ。

少し下って川を渉る。

いよいよ自然林の尾根コースへ取り付く。

急登が続きアルミハシゴを上がる。

さらに急勾配を立ち木や根っこに掴りながら登っていくとやっとピークへ上がる。ふうっと一休み。

ここから尾根道のアップダウンを何度も繰り返しながらも高度を上げていく。

あかご淵コース分岐へ着く。9時34分。

連続する照葉樹林の森は木の根の上を歩く。

滝コースと合流する。復路はこちらへ下りる。

前方樹間に山頂部らしきが見えてくる。

北に宮崎市方向が見える。

花切展望所入口を過ぎる。ここは帰りに立ち寄ろう。

前方が開けて山頂が見えてきた。

東側が開けた狭い山頂に着く。
壊れた山名標識を前に置いて山頂写真。10時40分。前には3等三角点。

往路を戻り、急坂をひと登りで花切展望所へ上がる。

北に宮崎市方向が見晴らせる。おやつタイムの一休み。

分岐を滝コースへと下山する。

このコースには山頂への指導標が連続して設置されていてわかりやすい。
壊れたはしごを下ったら、沢を渉る。

急斜面のロープ場をトラバースしアルミのハシゴ場から手摺りの急坂を降りると左に「鏡州万葉の滝」が現れる。高さは20mほどか。大きくはないが趣のある滝だ。

右下が崖となるトロッコ軌道跡を歩く。よくもこんなところまで敷設したものだ。
あれっという感じで朝の尾根コース分岐へと合流、周回する。

無事に駐車場へと戻る。12時41分。4時間30分ほどの山旅でした。
誰にも会わない九州百名山でしたが、下山の駐車場に福岡ナンバーが一台ありました。

尾根コースは急登に始まり木の根が張る尾根のアップダウンが続く厳しいコースでした。滝コースの方が優しいコースと感じました。
(本日のGPS 拡大します)

4~5日前からこの南九州遠征山歩きをいろいろと調べて計画する時から旅は始まりました。
ほぼ予定通りの行程で6座に登頂することができました。思い出に残る満足のいく3日間の山旅でした。
帰路は清武インターから東九州道へ入り高鍋インターで下りる。(都農まではこの12月22日に開業予定)日向路のR10をゆっくり北上する。
美々津の町並みや神武天皇東征出発地など散策、お船出の湯でリフレッシュして無事に帰還する。
3日間の走行距離は1010kmでした。
2012年 11月 28日
南九州遠征2日目~矢筈岳&矢岳を登る 2012・11・24(土)
遠征2日目は2山を登ろう。最初の山は鹿児島・熊本県境の矢筈岳へ。
濃霧の道の駅樋脇を出発し出水市へと北に向かう。カーラジオで聞く鹿児島地方は晴れの予報だ。R447から県道117へ入り狭くなった舗装路を進み矢筈峠へ上り着く。水俣市寄りにすこし下ったところが登山口。右手に駐車場所がある。

準備をして歩き始める。7時11分。ここの標高≒310m
入口の説明板によると矢筈岳一帯は西南戦争の激戦地だったようだ。

しばらくは林道を歩く。

左に大きくカーブした先が開けて前方に矢筈の山容が見えてくる。右が女岳、左が本峰(男岳)。
矢筈とは弦にかける二股になった矢尻部分をいい、男岳、女岳のある山によくある名前だ。国東半島の姫島にも矢筈岳がある。

25分ほど林道を歩いて分岐を植林帯へ入る。ここまで四駆なら来れそうだ。

荒れた作業道?の急坂を登っていく。

男岳(矢筈岳)山頂への分岐までは作業道を歩く。

ここから自然林へ入る。山頂まで標高差≒130mを登る。

ロープ場も現われて急登が続く。

上が明るくなって山頂へ飛び出す。8時19分。

自然石に歌が刻まれている。寛政の三奇人のひとり高山彦九郎が詠んだもの。
「草も木もなびかさんとや梓弓矢筈か岳に登る楽しさ」

1等三角点前で山頂写真。

下のテラスから水俣市市街地~八代海~天草方面が広がる。

こちらは出水市街地方面。

山頂のブランコに子どもになって戯れる。

一休みしたら往路を戻る。女岳はパス。
9時25分に下山。

(本日のGPSマップ~拡大します)

ツチトリモチ

ハナミョウガ(の実)?

メジロホオズキ?

下山途中の林道でバイクで登ってきた水俣市のおじ(い)さんと出会う。その方は今からヤッコソウに出合いに行くという。私たちにも見せたいと言っていただくが…残念ながら先があるのでお別れする。
(だいたいの場所は教えていただきました)
矢筈岳に自生するヤッコソウは今が旬の希少植物なのだ。今回は下調べ不足でした。
矢岳(やたけ・1131.6m) 九州百名山(地図帳)~83座目
竜王山(1175m)
本日2座目は宮崎県高原町へ移動して霧島連山近くの矢岳へ登る。
矢筈岳を下山したら出水市方向へ戻り、伊佐市を通って栗野インターから九州道に乗る。宮崎県へ入ってえびのJKから宮崎道へ入り高原インターで下りる。県406を皇子原公園へ向かうと矢岳の山容が見えてくる。

霧島山系に位置する矢岳は2011年4月に発刊された「九州百名山地図帳」に新たにリストアップされた山だ。2011年1月の新燃岳噴火により入山制限がなされ登ることが出来なかったのだが、今年8月10日に皇子原からのコースが解除されると登山者がどっと押し寄せたようだ。
皇子原公園を横目に狭くなった道をくねくねと登って矢岳登山口駐車場に着く。11時29分。
矢筈岳からほぼ2時間かかった。先客は5台ほど。
時間も少し下がったので急いで準備する。
規制と諸注意の看板がある登山口から入山する。11時44分。ここの標高≒750m。

栂(つが)?の大木がそびえる自然林を緩やかに登っていく。

高千穂河原への分岐にマジックで矢岳と書かれている方向へ向かう。

大木の横をすすむ。

「矢岳山頂まで約1時間」の標識を見るとその先は一気の谷底となっている。
緊張しながら立木に掴って下りて行く。

標高差50mほど下っただろうか、土石流が去った川底のようなところを渡る。

今度は矢岳本体へ取り付き長い急坂を登っていく。

標高900mの標識を過ぎると左手樹間から高千穂峰が見えてくる。

標高1000m標識辺りから勾配も緩んできて前方に霧島連山の中岳も見えてくる。

登山路は右へと向きを変え、先の高まりへと続いている。振り向くと霊峰高千穂峰がそびえる。

下山途中のご夫婦と出会うと通り雨が来て少し寒くなってきた。前方に山頂が見えてくる。

遅れたママを待ってひと登りで山頂へ着く。13時21分。

霧島連山の獅子戸岳方向。(左の新燃岳は半分ガスに隠れている)

韓国岳?方向

高千穂峰をバックに山頂写真。

バーナーに点火すると竜王山の方から男性2人が到着する。
遅い昼食を済ませたら竜王山へ向かう。パラパラっと小雨が落ちてきた。
ツクシコウモリソウの自生地を過ぎる。枯れきったツクシコウモリソウか?

ゆるやかに下ってカヤを分けて進むと左はリンナイ林道?への分岐。
その先、右に深い谷を見て尾根筋を小さくアップダウンする。

一旦下って登り返した先が竜王山山頂だ。14時22分。

すぐに下山とする。分岐を南のリンナイ林道?(高千穂河原への道)へ向かう。

急坂を下っていくと時雨気味となってきた。向こうは左に高千穂峰、右の中岳との鞍部方向。

紅葉も終盤。

登りで渡った川底の上流?部らしきを越える。

高千穂河原コースに合流。

登りの時の分岐に出合って一安心。

無事に下山。15時35分。
すこし早足でしたが、登って下って4時間でした。

(本日のGPS~拡大します)

今日はたまたま「矢筈」岳に続いて「矢」岳とつながる登山となりました。
「ツクシミカエリソウ」や「ツクシコウモリソウ」、そして「炭化木」(1716~1717年(享保1~2)の新燃岳大噴火の際の火砕流によって立ち木のまま瞬時に炭化したもの)などの見どころと出会うことは出来ませんでした。
下山後に訪れた御池。むこうは高千穂峰。

御池の上にある霧島東神社へ参拝する。清められた厳かな神社でした。

下山後の立ち寄り湯は極楽温泉へ。30トンの自然石をくり抜いた湯船の濁り湯に顎まで浸かる。400円也。

車中泊は道の駅都城へ。
ここに併設する「キッチングランマ」で夕食を頂きました。
道の駅でもあり、名前から地元のばあちゃん達が気ままに営業する店だと想像していましたが、従業員のみなさんはみな若く!料理人の腕の良さが偲ばれました。
じなしは「朝びき親地鶏の炭火焼き」を、ママは「チキン南蛮定食」を頂きました。
(チキン南蛮は宮崎の名物料理で、大分の鳥天のようなもの)
いままであちこちの「道の駅」で料理を頂いきましたが~
美味しさはここがナンバー1です!
2012年 11月 26日
南九州遠征初日~薩摩半島の名山(紫尾山~金峰山~冠岳)をピークハント 2012・11・23(金・祝)
天気予報では初日23日(勤労感謝の日)に傘マークが見られるものの24日・25日と晴れそうだ。
初日は薩摩半島で未登の九州百名山~紫尾山、冠岳、金峰山を登ろう。(昨年10月には開聞岳、磯間山、野間岳に登っている)
三山は南北に距離があり移動に時間がかかること、22日の「小雪」も過ぎて短日になったこと、山頂部まで車道が伸びていること等でピークハント登山とする。
(拡大します)

紫尾山(しびさん・1067m) 九州百名山(地図帳)~81 座目 前九州百名山~85座
車中泊の道の駅みなまたを早朝に立つ。出水市からR504を走り堀切峠から標識を見て分岐し、ぐんぐん上りつめるとアンテナが林立する山頂直下の紫尾山駐車場に着く。 7時ちょうど。
舗装路を上がっていく。雨は止んでいる。

歩き始めて3分、山頂へ着く…早っ^^ そして…寒っ>.< 標識はないがここが山頂なのだろう。

山頂にある王貞治の石碑「孔子登東山而 小魯 登秦山而 小天下」
引退の翌年1981年11月8日に揮毫している。
かつて孔子は魯の東山に登り、魯国を小さいものだと感じた。そして泰山に登ってみれば天下も小さいものと感じられた。つまり、大海を見た者は、川など水から成っているとは思わない。また聖人の門下で学んだ者は、たいていの言論を聞いてもたいしたものとは思わないのだ。
という意味らしい…? この山が徐福伝説の地ということからか?

下山は2分。
駐車場下の上宮鳥居。千尋の滝コースから登ってくるとここに上がってくるようだ。
「登山」をしなかったので九州百名山指定の「山格」?はわからなかったが…。山頂まで車道が通じれば山格は大きく減じるのでは・・? それでも天気が良ければすばらしい景観は楽しめそうだ。

下山後に次の目的地へ向かう途中から紫尾山を仰ぎ見る。

金峰山(きんぽうさん・636.3m) 九州百名山(前)~86座目
紫尾山から一般道を2時間走って南さつま市(旧金峰町)の金峰山へたどり着く。
麓の鳥居。

金峰山駐車場に着く。一番乗りか?
今日がデビューの登山靴でスタート。

舗装路を歩き始める。9時19分。うっすらと晴れ間も見えて天気もまずまず。

大和吉野より蔵王権現を勧請して1400年となるという修験の山だ。
鳥居をくぐって参道の階段を登ると日もさしてくる。

金峰神社。この横から山頂へ向かう。

丸木階段を登って山頂(本岳・蔵王岳)へ上がる。

山頂写真。前に2等三角点が。9時48分。

南西には吹上浜越しにうっすらと野間岳が天を突く。(さらに左にはかすかに開聞岳のシルエットも…)

山頂近くにある神様が降臨された磐座。

その先にはうっすらと桜島が見える。

山頂部の岩場に立つ鉄製の鶴。

ここからの展望も素晴らしい。後の東岳(文殊岳)はパス。

「稚児の宮」へ立ち寄る。おぼれ死んだこどもを岩穴に祭ったところ、岩から母の涙のようにしずくが流れるようになった…という。

駐車場へ戻る。10時21分。前方の北岳(妙見岳)もパス。

古い歴史が感じられ、展望も良い名山でした。
出会ったのは2組のカップル(登山者)?
帰路に日置市R270の正ちゃん食堂近くから見る金峰山山容。

冠岳(かんむりだけ・516.4m) 九州百名山(地図帳)~82座目 九州百名山(前)~87座
金峰山を下りて本日三座目の冠岳へ向かう。
途中、日置市吹上町のR270沿いに人出があって流鏑馬が奉納されるようだ。じなしの町にも大分県下で唯一の流鏑馬神事がおこなわれており、見学することにした。(後日レポート予定)
1時間30分ほど流鏑馬を見学した後、冠岳登山口のいちき串木野市へ向かう。
冠岳らしき山容が見えてくる。時間はまだ1時15分。
煙草神社下林道から周回してみようと冠岳神社へ向かう。ところがその日は地元特産品等の店々が並ぶ「かんむりだけ山市物産展」が開催されており、県道39の冠岳神社入り口は通行止めとなっている。
交通整理の人に聞いて西岳(冠岳)への道を教えてもらう。生福というところから狭い舗装路を上がると冠岳が見えてくる。
冠岳の名称は「不老長寿の薬草を求めて秦の始皇帝から派遣された方士(中国古代において、神仙の術を身につけた者)徐福がこの山に冠を置いた」とか「見る方向からは王冠にも見える」ということからのようだ。

くねくね登っていくと途中にある標識。

阿弥陀堂駐車場に着く。
ちょうど北九州ナンバーのご夫婦が下山してきた。聞いてみると2時間足らずで材木岳を往復してきたようだ。
準備をして14時に林道へと歩き始める。小雨が落ちてきた。

すぐに「西岳登山道」へと石段を上がる。

自然林を滑り止め付プラスチック?製のステップを登っていく。

一旦車道へ上がる。木の鳥居から石段を上る。

天狗岩に立ち寄る。横から見ると自然石が5段に積み重なっているらしい。
濡れているので滑りやすい。

天狗岩からは霞んでいて遠くは見えない。

駐車場から30分足らずで冠岳連山最高峰・西岳山頂に登り着く。西岳神社が建つ。
14時27分。

雨脚が強くなってきたので急いで山頂写真。

雨に霞んで景色は楽しめない。下方に徐福像が見える。

材木岳(中岳)へと思っていたが雨も降り続きそうなのでここまでとする。
往路を駐車場へ戻る。14時47分。

阿弥陀堂近くの紅葉。

「この先物産展のため通行止め」となった所から見る冠岳展望公園の徐福像。像の高さ6mは日本一の大きさ。

冠岳に登った後、徐福は紫尾山に登り冠についていた紫の紐を山の神へ納めたという。
初日に予定した三座の山頂へ上がることができました。
登山をしたというよりドライブをしたという感じでした^^;,
薩摩川内市東郷町の「東郷温泉ゆったり館」へと向かう。 今宵の車中泊は道の駅「樋脇」で…。
2012年 11月 21日
高岩~一望岩から夷谷の紅葉を見下ろす 2012・11・18(日)
旧二万五千分の一マップ香々地(中津7号‐3)には豊後高田市と国東市の境に三角点表示の353m岩峰がある。岩峰の名前を地元の人は「高岩」と呼ぶ。
中山仙境ピークの高城(316.9m)から下坊中の谷を挟んで北に対峙しており、やや仰ぎぎみに見ていつかはあのてっぺんに登ってみたいと思っていた。
そして去年の3月にO会長を誘って探検気分でその高岩に初登頂となった。
↓ (その時のじなしブログ)
夷(えびす)の高岩に登る
丁度その頃、大分合同新聞「大分のかくれ名山たち」(赤嶺和樹さん?)に掲載されると赤テープも増えてきて登山者も多くなってきたようだ。
さらに今年の2月には一望岩までのルート作りをワイワイと探検気分で達成する。
↓ (その時のじなしブログ)
高岩から一望岩を歩いたぞ! 縦走ルート探査会(第3回エコツーリズム学習会)
金曜日が晴天で、土曜日が雨、そして日曜日が晴天と季節は冬へと加速する中、国東半島の紅葉も佳境に入ってきたようだ。
木曜日(15日)にブログ「信ちゃんの美夜古だより」の信ちゃん&俊ちゃんからメールがあり、今日はお二人の高岩~一望岩縦走に同行する。(お二人にはこの8月に平尾台のサギソウ探訪へ連れて行ってもらいました)なんと16日の田原山登山から再びの国東詣でなのです。
国見町千灯の尻付岩屋には8時前に合流。じなし車を置いといて信ちゃん車に乗り込む。
赤根の金ケ峠経由で豊後高田市夷の前田登山口へ。準備をして舗装路から歩き始める。
ママも初めてこのコースを歩く。

昨日の雨の湿り気が僅かに残る尾根コースを進んで1時間ほどで高岩へ登頂。(登山口からの標高差は270mほど)

「中津月一山の会」の山頂プレートが立てられている。10月15日に登った時には無かった。
そのプレートを持って2ペアの山頂写真。

360度の景色を堪能したら一望岩へと向かう。

縦走コースはやせ尾根や急坂下りなど緊張するところもある。展望岩へ上がったりしながら一望岩へと上がり着く。ここは峯道コース後野越からのお立ちよりポイントだ。
狭いピークのショット。

夷谷の特異な山容をじっくり俯瞰したら後野越へと下りる。ここからは峯入りの道を歩く。
西方寺の稲荷社でお昼を頂く。
じなしのウインドブレーカーにドングリがくっついていた。

西方寺から石の多い谷を登って林道へ上がると福岡からの女性8人組が休憩中。尻付岩屋から入ってきて道迷いをしたそうだ。「国東峯道ロングトレイル」認定を目指しているが…まだまだこのコースに標識やメンテ不足を感じる。
急坂をひと登りで阿弥陀堂跡。その先の阿弥陀越から展望所に上がる。
岩峰の向こうに五辻の岩屋や千灯岳を望む。

大不動岩屋へ上がる。

岩屋の中から前方に起立する岩峰を見る。山水画の世界か?

林道を歩いて尻付岩屋へと縦走を終える。ほぼ予定時間の14時でした。
(今日のGPS~拡大します)

信ちゃん&俊ちゃんとお山やお花の話は尽きません。
沢山の山仲間に囲まれてお二人はいつも輝いています。またご一緒してください。
2012年 11月 17日
「満月の夜、両子寺で・・」&新大分駅の鶏 2012.11.11(日)
近くの駐車場にとめて駅へ向かう。
仮設の通路から見る~さら地になった大分駅(府内中央口・北口)跡。
ここに商業テナント、シネコン、ホテルなどを備えた22階建て駅ビルが2015年春に完成するようだ。屋上には温泉露天風呂もできるという。

南口に出来た新大分駅中央広場へと入る。

ミニトレイン「ぶんぶん号」がコンコースをゆっくりと走っている。
週末のみの運行で乗車料は大人も子供も200円。

豊後にわさき市場。お土産物店や飲食店、コープ大分のスーパーも入ったショッピングモールでとても賑わっている。

上野の森口(南口)から見る新大分駅。
かつて駅裏といわれた南口を思うと見違えるほどの変貌に驚きます。
区画整理や幹線道路整備も進み、近くに公共施設も建設されているようです。

さて本日の探し物は「にわとり」
コンコース中央のベンチにいる(ある)にわとり。大分は九州で一番先に夜が明ける~ということで「九州に朝を告げるにわとり」が大分駅のシンボルとなっているのだ。

横にある黄色い玉子。くっついていて取れません。(反対側に卵を温める鶏もいる)

少し離れたところにも止っていました。

このブロンズ「にわとり」を創ったのは仏師で彫刻家の東京芸大大学院教授、薮内佐斗司さんだ。
薮内先生は2010年の平城遷都1300年記念事業のマスコット 「せんとくん」 の制作者として有名です。
奈良県ではマスコットキャラクター「せんとくん」に対して当初はさまざまな批判的意見が寄せられたのだが…それらの騒動については多くの報道が行われたことで逆にせんとくんの知名度は非常に高まることとなる。地元奈良県に数百億規模の経済効果をもたらしたといわれ、今では全国に広がったご当地キャラのエースとなっている。
その薮内先生が10月31日に初めて国東半島を訪れシンポジュウムに参加された。
タイトルは 「満月の夜、両子寺で…」
第1部では「国東半島・宇佐の文化・観光の魅力」について、薮内先生とRKB毎日放送メディア事業局専門局長・納富昌子さん(長い間ニュースキャスターをされた)による対談が行われた。
納富さんの「国東六郷満山を開いた仁聞のキャラクター「にんもんくん」を薮内先生に作ってもらったら」という提案にはたくさんの拍手がありました。
第2部の「国東半島・宇佐の文化と観光を語る」では宇佐市・豊後高田市・国東市・杵築市・姫島村・日出町の各首長と大分県県観光・地域局長によるディスカッションがおこなわれた。
観光振興にはさらに連携を深め「国東半島はひとつ」を共有できた~いいシンポジュウムでした。
その様子は
↓
豊後高田市観光まちづくり株式会社
翌日、薮内先生と納富さんは国東市の旧千灯寺~五辻不動尊~文殊仙寺へとRKBの特番ロケを兼ねて六郷満山寺院を巡りました。(前日は熊野磨崖仏と富貴寺へ)
その案内役を不肖じなしが務めさせていただきました。仏像研究の教授にお話しできることはなく、お教えいただくばかりでした。
五辻不動尊でのロケ風景。

このシンポがあったことで新大分駅のブロンズにわとりが薮内先生の作だと知ることとなったのです。
2012年 11月 16日
「別府アートマンス」を楽しむ 2012・11・11(日)
別府駅に開設された別府プロジェクト(主催者)のインフォメーションでガイドブックを頂き、開催中のプログラムから「佐藤渓美術館」を訪ねてみることとする。
駅から歩いて15分ほどで青山町のべっぷアリーナ近くにある「聴潮閣高橋記念館」へ着く。
聴潮閣高橋記念館
ここは明治から大正にかけて活躍した政治家で実業家の高橋欽哉氏によって住居兼迎賓館として建てられた当時はモダンでハイカラな近代和風建築だ。昭和4年に朝見川河口に建てられた聴潮閣だが、築60年ほどとなる平成元年バブル時代に国道10号線拡張と高級マンション建設によりこの地へ移築されたそうだ。
現在は閉館となった湯布院美術館に収蔵されていた佐藤渓の作品をここに展示しているので佐藤渓美術館となっている。

聴潮閣高橋記念館は高橋欽哉の孫(の嫁?)となる高橋鴿子(はとこ)さんにより管理運営されている。
温泉町別府は大正から昭和初期にかけては頻繁に客船が入港し、多くの入湯客が訪れる国際的な観光都市だったようだ。さらに昭和の戦火を免れたため市内には大正ロマンを感じさせるレトロな煉瓦造りの洋館や、和洋折衷の建物が多く残っていたのだが、老朽化が進み今ではほとんど残っていないという。
聴潮閣別館は現在佐藤渓の常設展示場になっている。

別館2階では写真展が。

本館は文化庁による「登録有形文化財」に指定されている。
アートマンス期間中の入館料は600円。

玻璃(昔のガラス)を通して見る庭。斜めに見るとすこし歪に見える。(〇のあたり)

風呂に取り付けられたステンドグラス。小川三知(東京芸大卒)の作品。
東京の鳩山邸にも彼の作品があるようです。大正時代の作。

応接間。
移築した当時は喫茶室となっており、タバコも自由で置かれている灰皿も実際使われたようだ。今は立ち入り禁止となっている。

和室の天井板と照明。2階も同じ。

さて、佐藤渓ですが…
1918年広島に生まれる。1928年に東京の小学校に転入。1933年川端画学校卒業。戦争では入営し1945年召集解除され翌年両親の住む島根県出雲市に落ち着き詩作にふける。「溪」というのはそのころのペンネーム。
1948年30歳の時自由美術家協会展に初入選。翌年推薦により会員に推挙。1950年京都の大本教に居候し機関誌の表紙を描く。1954年埼玉県川口市に住む。翌年から東京以西の長期の旅にでる。1956年東京荒川区に住む。1960年旅先の沼津で脳卒中のため倒れる。両親のいる大分県湯布院に帰るが12月30日永眠。享年42歳。

国内放浪の地図

絵

教祖様

佐藤渓詩集

そのなかの詩「貧乏神」

高橋鴿子さんの想いにふれた聴潮館を後にする。
すこし先には紅葉も見ごろになりそうでした。
2012年 11月 05日
紅葉も最終となったくじゅう黒岳を縦走周回する 2012.11.4(日)
前岳(1334m) ~2回目
今秋は三俣山、鶴見岳とクリアな紅葉を楽しむことができた。ほぼ終盤を迎えたようだが…まだ黒岳の麓あたりは楽しめるかもしれない。前岳との縦走もまだ未体験だ。名残の紅葉見物を兼ね、九重山では屈指のハードコースといわれる登山路を歩いてみよう。
辻本さんHP「大分の山登山記」2008年11月16日コースを参考にする。
大陸から低気圧が近づき、天気は下りで15時頃から雨の予報となっている。
長いコースなので早朝に出発。
早朝の黒岳。前岳あたりに雲がかかっている。ママはクラス会で今日は一人登山。

じろそ村キャンプ場外駐車場?横の紅葉を見ながらスタート。
6時43分。ここの標高約700m。

黒嶽荘先から雨堤方向へと左へ入る。右の前岳方向から下山する予定だ。

作業道から森へ入るとすぐに倒木があったりしてすこし戸惑う。
出会った林道はそのまま平地になった森へ入り気持ちよく歩くとその先が雨堤。

雨堤から先はアセビ林を抜ける。

カツラノモトから急坂をくねくね登って上峠につく。

上峠からすこし下ってゴロ岩場を過ぎると虎ロープに沿って標高差150mほどの急登が続く。
ゴソゴソと音をさせて綺麗なオス雉子が現れたがカメラを構えると逃げられた。
勾配が緩んで黒岳の大きな山腹を小さなアップダウンを繰り返して進む。見頃の紅葉も次々と現れる。

樹間から大船山ピークのとんがりが見えてきた。

ごろ岩が続くところを登ったり下ったりしてセリ谷へ着き岳麓寺からのコースに合流する。ここからは見慣れたコースでほっと一安心。右へと風穴に向かう。

米窪の縁からの尾根コースを左に見て石の多い登山路を進むと風穴につく。9時22分。ここまで約2時間30分。ここで一休み。

黒岳の山腹直登コースに取り付く。ザレ場の滑りやすい急斜面を足場を見つけながら登っていく。急坂に取り付けられた古いロープはすこし不安だ。
本日初めて出会う女性4人のパーティーに追いつき先へ行かせてもらう。一旦フラットになった所から再度登り上がり、分岐から近道を通って高塚山(黒岳)へと登りつく。
3度目の山頂だ。10時21分。
福岡市からの男性がお一人休憩中。山頂写真をとっていただきました。

薄日のさす山頂から見る天狗岩。
最初に見たとき、あの積まれた岩をどうやって登るのだろうと思った。

平治岳(右)と2週前に登った(雲がかかった)三俣山。ず~っと左の大船山は雲の中。

つめたいコンビニ弁当とあったかいトウモロコシ茶をいただいて一休み。すこし肌寒くなって再度ジャンパーを着る。次のグループの声が聞こえてきたので腰をあげる。
ここから前岳へは初めてのコースで、全体的には下りだが大小6個のピークを越える厳しいルートだ。少し下った上台から返り見る高塚山山頂部。

左に平治岳方向を見てその先を西へと右に向きを変えるとまもなく、標高差150mほどの
一気の下りが始まる。
木や根や岩角を掴みながら岩の多いコースをすべらないように慎重に下っていく。
前方ガスの先に前岳が。その先に花牟礼山系が、奥には由布・鶴見が見えている。(拡大します)

やっと上台ウツシという鞍部に降りつく。ここから下台へと登ってさらに下る。
上台ウツシの手前で滑りこけて右の尻を打ったが…何とかセーフ。
シャクナゲが多い岩場を登ると360度展望の見晴らし岩に上がる。
前岳方向からガヤガヤと声がして若い男女6人組が上がってきた。これから高塚山~風穴へと縦走するそうだ。ごくろうさんです。
見晴らし岩から(歩いてきた)上台方向を見る。(拡大します)

見晴らし岩を下って登り返すと前岳山頂に着く。
高塚山からほぼ2時間。12時45分。
2009年5月以来2度目の山頂。足腰にやや疲労を感じる。

千町無田から万年山方向。

一休みして下山開始。ここからもう登りはない。但し大石の連続した悪路は続く。
途中の見晴らし岩から庄内阿蘇野の谷を望む。

3年前に大石が連続する厳しい急坂をほんとに(ママと)登ったのだろうか?と思い出しながら下っていく。
不思議な空間の仙人岩を下る。

さらに厳しい下りをぐんぐん下り、白水別れを黒嶽荘へと降りていく。

前岳から1時間半ほどで黒嶽荘へ降りる。駐車場所へ戻ると時計は14時24分。
7時間40分かかって縦走(周回)することができました。

帰路では予報どおり15時頃から小雨が落ちて来始めました。
この黒岳は反時計回りで周回したほうがもっと厳しかったのかもしれませんが、
まさに黒岳は全体が岩石の山で登りごたえ?があり、どちら周りでも達成感のある縦走が楽しめるのではないかと思います。
久々に翌日(の今日)は体のあちこちが悲鳴をあげています。
本日のGPS(拡大します)

ミヤマシキミの実
