2013年 07月 31日
草間彌生展 2013・7・28(日)

入り口で水玉のオブジェ?が迎える。



前衛芸術家・草間彌生さんを知ったのは鹿児島県姶良郡湧水町の栗野岳に登ったとき、登山口近くの「霧島アートの森」で彼女の作品と出会っている。その作品が草間彌生のものだとカナダ在住のkyokoさんから教えてもらったのだ。
~ その時のじなしブログ 「栗野岳を登る」
「子供のころは、スミレの花を見ていたら、だんだん顔に見えてきて、怖くなって家に帰って押し入れに隠れた」
「水玉が自分の中に入ってきた」 ~など幻覚や幻聴に苦しんだという
撮影が許された部屋。



「アイデアは描いているうちに、ジャンジャン出てくるの。片っ端から描いていく。私は手が早くて、何も考えなくてぱーっと描いて、後で、ああこういうことを考えていたんだと気づく。『どんな思想で描いているんですか』と尋ねられますが、『手に聞いて下さい』と答えています。下絵もないし、直したこともなく、失敗した絵は一枚もないの」

じなしが若いころ流行ったサイケデリックなるものを思い出した。アメリカのヒッピーからはじまったLSDなどドラッグによる幻覚アート(ミュージック)で横尾忠則やビートルズなどに大きな影響を与えた。

そして、地球の人間に告ぐ
未来は原爆や戦争をやめて
かがやいた生命を
永遠の永遠の永遠に
私の精魂こめた芸術をぜひみてほしい
あなたたちと一緒に宇宙にむかって
心から人間賛美をうたい上げよう
~ 草間彌生

1929年生まれだから今年84歳。どこからこの感覚が次々と湧いてくるのだろうか?
世界和平を目指す意気込みが伝わってくる。
2011年 01月 24日
武士の家計簿
わさだタウンのシネコンで。
1日1回の上映だがこの日の観客は30人ほど。じなしの年齢が多い。
最初に題名からどんな映画なのか想像できなかったのだが・・・そろばんをはじく音に囲まれて見ているうちに引き込まれていく。
磯田道史原作「武士の家計簿『加賀藩御算用者』の幕末維新」を映画化した時代劇。
加賀藩で代々御算用者(ごさんようもの)といわれる経理に携わり“そろばんバカ”と呼ばれた下級武士猪山家の3代が、妻の支えを得ながら一家、そして藩の財政を切り盛りしていく姿を描いている。
猪山家の家計簿からよみがえる下級武士一家の暮らしぶりから、現代にも通用する生き方のヒントがあるようだ。
おためごかしの財政支出や赤字国債を次世代につけまわしする今の国政には消費税アップを議論する前に国会議員の先生方にはぜひこの映画を見てもらいたいものだ。
また、家業を継ぎその道を極めることの意味、そして親子とはどうあるべきかを考えさせられる。
一方で鶴亀算などの和算が江戸時代からいかに優れていたかが窺える。
主役の猪山直之に堺雅人、妻役を仲間由紀恵が演じる。脇役には中村雅俊、松坂慶子、草笛光子、西村雅彦等が。チャンバラの場面がない時代劇もめずらしいが余韻ののこる映画だ。
おすすめ度~★★★★

2010年 07月 12日
恩送り
NHK朝の「ラジオビタミン・ときめきインタビュー」で女優の斉藤とも子さんと村上アナの対談を車中で聞いた。斉藤とも子さん(49歳)のことはほとんど知らなかった。両親や家族のことから芸能界入り、そして広島の被爆者支援に係わるまでのことなどを聞く。離婚後には子育てをしながら大検に合格。数年の浪人を経て東洋大学へ入学し社会福祉士に合格するほどのがんばりやだ。女優業やボランティアを通じて人生で人とどう係っていけばいいのかを自問自答している中で「恩送り」という言葉と出会いその意味を知ることで救われたと話す。
ウイキペディアに「恩送り」の説明がある。
恩送り(おんおくり)とは、
誰かから受けた恩を、直接その人に返すのではなく(返そうにも亡くなっていたりして適切な方法が無い場合に)、別の人に送ること。「恩」とは、めぐみ、いつくしみのこと。誰かから受けた恩を、自分は別の人に送る。そしてその送られた人がさらに別の人に渡す。そうして「恩」が世の中をぐるぐる回って社会に正の連鎖を起こすこと。とある。
また、日本人に古くから定着している言葉で『情けは人の為ならず』というものがある。「情け(=親切)は、いずれは巡り巡って(他でもない)自分に良いことが返ってくる。(だから、ひとに親切にしておいた方が良い)」という意味で「恩送り」と同じような表現である。
この日は朝からいい話を聞くことが出来た。
(ネムの花)
象潟や雨に西施がねぶの花 (きさがたやあめにせいしがねぶのはな)
~ 芭蕉「奥の細道」

2010年 03月 20日
矢口孝芳退官記念講演 2010・3・19(金)
中津北高校長を退官する矢口先生には長男の卓球指導者としてお世話になった。もう20年も前だが中学県体でシングルスベスト4に入った年末に当時中津工業で指導していた矢口先生が「息子を工業で卓球を続けさせないか」と言ってきた。直感でこの先生なら預けても人として大きくしてくれると思った。先生が持ってきた「耶馬美人」(高級米焼酎)にもすこし目がくらんだかも・・・。長男が3年になって沖縄での全九州シングルスで準優勝したときの先生の電話の声をまだ覚えている。このころが中津工業卓球の黄金時代であっただろう。やる気をださせる情熱的な指導で生徒の信頼も得ていた。卒業式のあとにはギターをひいて一人ひとりに想い出や贈る言葉を歌で語りかけた。いつまでも若々しい先生だがこれからも青少年健全育成など活躍の場は多面だ。大いに期待しよう。

退官記念に出版された「今だからこそ松下竜一」
松下竜一のことは少しは知っていたがまだ読んだことは無かった。第1章にある短編「絵本」を読んで当時の貧しさの中でやさしい心のつながりが伝わる。
「感動すると人は素直になれる。自分がしてほしいことをしてあげられる人に・・」と先生は述べている。
退官記念講演会にはママと娘が出席。信原健ちゃん、尚枝ちゃん夫婦も出席されていた。

2010年 02月 15日
神の慮(おもんばか)り
神の慮り
大きなことを成し遂げるために、力を与えて欲しいと神にもとめたのに、
謙虚さを学ぶようにと弱さを授かった。
より偉大なことができるようにと健康を求めたのに、
より良きことができるようにと病弱を与えられた。
幸せになろうとして富を求めたのに、
賢明であるようにと貧困を授かった。
世の人々の称賛を得ようとして成功を求めたのに、
得意にならないようにと失敗を授かった。
人生を楽しもうとたくさんのものを求めたのに、
むしろ人生を味わうようにとシンプルな生活を与えられた。
求めたものは何一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。
私はあらゆる人のなかで、もっとも豊かに祝福されていたのだ。
帰りに寄ったスーパーの魚売り場でビニール袋に入れられた〈しろうお〉のひしめく命に見入る。
