正月遠征は暖かい宮崎に出かけよう。天気も良さそうだ。
大晦日の夕方に出発。
カーラジオで聞く紅白歌合戦もラストのサザンの歌が流れる頃、日南海岸の道の駅「フェニックス」に到着した。
入口で警備係の誘導ライトが×を示した。
何と、満車なのだ!
皆さん、ここで車中泊して初日の出を迎えようということなのだろう。
少し先で広くなった道路脇に停めて車中泊。
翌早朝にあたりが騒がしくなって目覚めると、道路の両脇にはずらりと駐車の列が出来ていた。
R220(日南海岸ロードパーク)をさらに南下して「サンメッセ日南」へ入り、料金所ゲートに並ぶと後ろにも次々と車が連なってくる。
モアイ像を見下ろす芝の斜面に場所を確保して初日の出を待つ。
7時16分を過ぎて・・パっと扇状の光を放って水平線から初日が現れた。
「わー」という歓声が上がった。薄い瑞雲も良い。
初日の出も3年続きとなるが、今年もすばらしい年明けを迎えることができた。
サンメッセ日南を出てさらに南下する。
すぐにR220から旧道?へ分れて鵜戸神宮参拝の車列に入る。
遠い駐車場へ停めて山越えでトンネルを通って神社に向かう。
こちらも大変な人出・・
「鵜戸」は「空洞」を意味するようで、陸の神と海の女神が結ばれて子を産むために造られた神社だという。
海の女神が子を産んだのち海に帰らなくてはいけないためつくられたお乳の出る「お乳岩」
女神が乗ってきた亀が岩になった「亀岩」。
背中の小さな穴に「運玉」(5個100円)を投げて入れれば願いが叶う?という。
じなしは全敗(T_T)、ママは1勝(^^)
鵜戸神宮を発ってさらに南下する。
鬼の洗濯板を眺めながら都井岬へ向かう。
南国の花々も・・
ハイビスカス
ブーゲンビリア
途中で「猿が芋を洗って食べる」・・で有名な
幸島(こうじま)へ立ち寄る。
周囲3.5Kmほどの島は無人島で野生のニホンザル100頭ほどが生息しているようだ。
干潮時には歩いて渡れる?渡船は大人1000円? 眺めるだけにした。
昼前に串間市の都井岬に着いた。
さっそく左手の丘へ初登り?をする。
小松ヶ丘(展望の丘・287m)小松ヶ丘広場から道路の反対側にある丸木階段から登る。標識には「展望の丘・約10分」とある。
右手に野生馬が草を食む。
登山道などないので馬の落とし物を踏まないように足元に注意しながら高い所を目指して登って行く。
岬馬が食べたのか?きれいに刈りあげられた草原だ。
標高差70mほどをひと登りで丘の上に上がる。六角形のコンクリートは戦時中の軍事遺産だろうか?風が強い。
西の大隅半島方向。
下山は岬馬の近くを通る。
昭和28年(1953年)に純粋な日本在来馬として国の天然記念物に指定されている。
往復25分。これも一座。
扇山(295m)都井岬先端方向へ移動して扇山を登る。
廃墟となったホテル?前から登る。
ひと登りで展望ポイント。
左手の丘へ向かって急勾配に取りつく。後ろからゆっくりママも登ってくる。
ピークを越えて山腹脇の作業道を進む。
電波塔の立つ丘の手前ピークに3等三角点(札立・295.25m)があった。
岬でただ一つの三角点だ。
観光マップではここを扇山というようだ。
電波塔が林立する丘へ向かう。
戦時中にあったレーダー基地の遺構と共に八十八箇所霊場が開かれている。
復路は最初のピークの崖のような山腹をトラバースして戻った。そんな危険的苦労?をしなくても並行するように林道が通っていたのだ。
これも試練(+_+)
往復1時間ほどで廃墟となったホテル前に下山。
これで今年2座目(^-^)
都井岬灯台を見学。
昭和4年12月22日初点。
(都井岬マップ~拡大します)
日南市に戻って
飫肥城を見学。
以前観光ボランティア大会で来たことがある。
大手門手前にある小村記念館。
小村寿太郎は桂太郎内閣で外務大臣をつとめた。日露戦争の後の講和会議で全権大使としてポーツマス条約を結んだ。すぐ近くに生家がある。
飫肥城は長年に渡り、日向伊東家と薩摩島津家との争いの歴史舞台となったところ。
復元された大手門から大手桝形へ入り、城内へ続く長い石段を登る。
本丸跡には飫肥小学校がある。
歴史資料館前の早咲き桜が咲き始めていた。
駐車場近くに「四半的(しはんまと)射場」があったので挑戦した。
10本中2つが命中。当たれば太鼓を鳴らしてくれる。
以前TVで
四半的を見たことがある。
本日の車中泊ポイントを目指して夕刻に日南飫肥を出発。
平成最後となる元日も低山初登りで2座制覇 (^-^)したものの・・ほぼ観光を楽しんだ。
.