国東市岩戸寺山口池奥の岩戸寺古城といわれるところは、文禄4年(1595年)、追いかけてきた黒田官兵衛軍と古城に立てこもった豊前国城井(きい)城主・城井鎮房の家臣(大友家臣?)鬼木左衛門尉平信家とが激しく戦った跡と伝えられている。
多数の将兵が討死し、信家の一娘にまつわる哀話も残されている。
古城の前は黒田軍が侵攻してきた旧道があり、来浦川にかかる4つの橋には戦国武将「如水、母里、鬼木、垣見(富来城主)」の名前が付けられている。
自然の岩壁に囲まれた山塞城址「岩戸寺古城」は市指定史跡になっている。
今年の
正月明けにはゆみちゃん組とその古城へ突撃探検を試みたが不発に終わった。
2月17日に「じなし山」へ登った後、古城に詳しい地元の上溝さんを訪ねて再度聞いたところ現地(の入口)まで同行していただいた。

この日は県内から集まった地域おこし協力隊の皆さんの案内役で国東半島芸術祭作品鑑賞バスツアーへ同行した。
午後からフリーになったので山口池でゆみちゃん3人娘組と合流、再度古城へ向かった。
谷を少し登ったところにある一の岩(門)を入る。
黒田軍がここから入ろうとすると鬼木勢は石を落としてきたという。

前回は杉林の谷のほぼ真ん中を登って行ったが。今回は右手の岩壁に沿って登る。
まもなく上溝さんから聞いた「家来が待機していた所」らしきを見つける。
言われていた~上の尾根へ上がれるところ~もあるようだ。

さらに急勾配を登って行くと2つ並んだ岩屋を発見!
上溝さんの言われた「お姫様岩屋」だろう。

右の岩屋は少し小さめ。

左は間口が広い。

「お姫様岩屋」の上は岩壁がかぶさる様に聳えている。その上から黒田軍は(赤根畑の)百姓に命じて乾燥したキビの葉などに火をつけて落としたといわれている。
(赤根畑の人たちは今でもトウモロコシなどキビ類は植えないという=赤根のじいさまから聞いた)
一旦、観音磨崖仏まで下山する。
新道にかかる橋は官兵衛の「如水橋」。近くには鬼木勢を打ち首にしたという川の深み場所もあるようだ。お姫様の髪や遺品は近くの長慶寺にあるらしい?

黒田軍が近くの百姓に命じて火を投げ落としたというお姫さま岩屋と家来岩屋の上の尾根へ向かう。こちらへのルートも上溝さんから聞いていた。
急勾配の尾根を立木や岩に掴まって登る。

身軽に登ったゆみちゃんの後を追って岩尾根へ這い上がる。ここまででいっぱい・・。

振り返って見る。右は小岳。
山口池や上溝さん宅が見えないのでもう少し南の方だろう。

420年ほど前のストーリーとだいたいの場所が解った。
ゆみちゃんや上溝さんに教えてもらって古城のことがおおかた理解できた。
宿題を済ませて一安心。
地元人なのにまだまだ知らないことは多い。
(GPSマップ~拡大します)

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