国東半島には鎌倉から戦国時代にかけて九州一円を支配した大友氏の歴史がのこる山城が多くある。
これまで
岐部城正月屋敷跡や豊後高田の
屋山や
佐野鞍掛(城)山など城跡の山へ登ってきた。
今年初めての国東里山は、暮れに小倉の貫山を登った時に
ゆみちゃんから聞いた山城を探検する。
ゆみちゃんと山友3名、じなし&ママの6名が岩戸寺山口池に集合。
新年の挨拶をして・・最初に向かったのは岩戸寺古城。
岩戸寺古城(不明)?
山へ入る前にこの地域に詳しい上溝さんに古城のことを聞いてみた。
上溝さんの家には六郷満山寺院峰入りでは一行が休息に立ち寄る唯一の民家で、昔から武士や行者を湯茶で接待してきている。古い時代のことはよくわからないが戦後に始まった峰入りには立ち寄る行者のみなさんを温かくお迎えしているという。
(上溝さんには以前み仏ウオーキングで三十仏のガイドをお願いしたことがある)
上溝さんの庭から見える岩戸寺耶馬が古城のあったあたりだと・・いろいろと聞いたのだが、山中を口で説明するのは(教える方も聞く方も)伝わり難い。
昭和になって?子供の成長を祈願して岩に彫られたという観音様から山へ入った。
山中を徘徊したが・・それらしきは見つからなかった。
岩尾根のピークから見おろす山口池あたり。
古城跡は前方岩峰あたりかも知れない・・
(反対に)山口池近くから望む岩戸寺古城あたり(登った岩尾根)。
以前に小岳から風神岩を歩いた時の画像がちょうど岩戸寺古城あたりを撮っていた。
その画像に大方の歩いたコースを入れてみた。
(拡大します)
入った谷が違っていたのだろう。 次回に再挑戦だ・・・次に向かったのが成仏地区にある城址。
大友氏とその一族田原氏との戦いの歴史が残る。
天正8年(1580年)、11代田原親宏の跡を巡る家督争いに大友宗麟は次男親家を継がせようとしたが、田原氏の養子の親貫は豊後高田の鞍掛城に籠り毛利氏に援軍を要請した。その時大友親家が籠ったのが成仏の雄渡牟礼(おどむれ)城(小門山)だといわれている。
豊後御所の陣(≒330m)
豊後小城(≒270m)
成仏(三等三角点・285.5m)
岩戸寺から両子鉢巻道路を通って犬鼻峠から成仏へ下る。
正月から縁起の良い名前の「金涌バス停」近くに停めて歩いて行く。
後ろは成仏桜会のAさんのお宅でした。
(ゆみちゃん画像)
舗装路を20分ほど緩やかに登って行く。オレンジ標識があるところから右へ延びる林道へ入る。
「中世戦国時代山城 入口 御所の陣跡」だろう・・
途中で軽トラおじさんに聞いて・・マイクロバス廃車先の大岩から山へ取りつく。何となく山道のような感じもする。
防獣ネットに沿って進む。323mピーク辺り。
さらに進むと左に堀切のような所を見て進む。
山道?に出会って先へ向かうとオレンジ標識が見えた。大岩から19分。
広場のようになっていて桜の木が植えられている。
雄渡牟礼城からの直線距離は約1km。ここに陣を張ったのだろう・・・
ここで昼食タイムとした。
次に向かったのが小城。
真っすぐ谷を近道で下って先の林道へ下りる。
廃車乗用車(マツダファミリア)のところから入っていく。
自然林の小高いピークへ上がったがそれらしきはない。そこから南西に緩やかに下って行くとオレンジ標識「小城」を見つけた!
廃車ファミリアから9分。
下って来たところは土塁状となっている。
虎口か?
田原親貫の反乱の際に築かれたのが御所の陣と小城ではないかと言われている。
近くにある三角点へ行ってみる。
ゆみちゃんの調査資料では豊後小城はこちらではないかというが・・
地形図を見てガードレールから山へ入る。
右手自然林の先に小門山が見える。
最初のピークから左に向かうと三角点を発見!
ガードレールから10分ほど。
三等三角点「成仏・285.5m」の前で4人娘と年増が1人。
山名がないのが残念・・
キュウイ畑で作業をするご夫婦とバス停前のAさんにご挨拶をして車へ戻った。
城郭放浪記を見るとこれまで城址として意識しないで登った国東半島の山もいくつかあるようだ。
岩戸寺古城はもう少し調べてみよう・・・
沿面距離≒6.3km
累積標高(+)≒530m
所要時間=3時間30分
(GPSマップ)
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