龍王山へ登ったついでに安心院のまちを散策した。
三女(さんみょう)神社
深見川よこの広場に車を停める。
これが一の鳥居か? 額には「三女神社」
県道42号を越えた先の鳥居。
二の鳥居か? 額にはなぜか「
二女神社」
ゆるやかに階段を登っていく。
三の鳥居? 額には「三女神」・・・「女」の字がすこし変形?
その先のもう一つの鳥居を過ぎると神社が見えてくる。
300mほど参道を歩いて三女神社へ着く。
本殿。祭神は宇佐島へ降臨した田心姫命(たごころひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)、市来島姫命(いちきしまひめのみこと)他10柱。
宗像神社三女神や宇佐八幡比売大神(ひめおおかみ)との関係など・・我々素人にはややこしい?
境内に山柱石、皮籠石の説明板があるが・・荒れていてわかりにくい。
これが皮籠石(左)か?仁門菩薩や神武天皇の籠が置かれたという。(時代がずいぶん離れているが・・・)
元宮は近くの湧水地のようだ。いつかまた訪ねてみよう。
古事記では、神武天皇一行は足一騰宮(あしひとつあがりみや)で菟狭津彦、菟狭津媛から歓待を受けた際、三女神社前の深見川の岸に船を着けたと記されている。
三女神社へは松本清張も何度か訪れている。
昭和37年、魏志倭人伝による卑弥呼の邪馬台国説をストーリーにした「陸行水行」を出版。三女神降臨の古伝説を軸に、邪馬台国九州説を唱えたことから多くの読者を邪馬台国論争へ巻き込んだ。
古の歴史あるミステリアスな神社なのだろうが・・すこし荒れているのが残念だ。
ネットで三女神社を調べていたら、綾戸農園・綾戸義弘さまの
HP「安心院は縁結びの里」は地元人の発想で面白かった。
安心院の鏝絵(こてえ)
安心院町では、明治始め頃からから盛んに「鏝絵」が描かれるようになり、民家の壁など約80~100ヶ所に存在しているという。(全国には3000か所、大分県に1000か所あるらしい)
鏝絵とは=漆喰(しっくい)を使って(今では貴重な)左官職人が鏝で壁に浮き彫りにした絵のこと。 家の繁栄を願った左官職人の心意気を示しているようだ。
安心院町の中心部の下毛地区を歩いてみた。
恵比寿、大黒、鯛の目出度い鏝絵。明治28年作。
唐獅子と竹。明治20年代。
重松家三階家の壁一面に描かれた富士山。明治17年作。
繁栄を願って描かれている。
一富士、二鷹、三茄子。明治23年の作。
魔よけの虎が描かれている。明治20年代の作。
同じ「虎」の題材で・・こちらは現代版鏝絵アート?平成14年作。
作者の江藤智子さんは今年2月の第7回全国漆喰鏝絵コンクール(長野県)で最優秀賞を受賞された。
すっぽん料理で有名な「やまさ旅館」の横を通る。半世紀ほど前に姉夫婦が結婚式&披露宴をしたところだ。
鏝絵通り交流館(観光案内所?)前の水槽におよぐすっぽん。
三女神社、妻垣神社の神武東征や卑弥呼伝説も奥が深そうだ。もう少し歴史を掘り下げて学べば面白くなってくるのだろう。
鏝絵も安心院のすばらしい遺産だが・・・やまさ旅館のすっぽん料理も食べてみたいものだ^^