御無沙汰しています(^^)
先日、大分市に出かけたついでに大分県一の低山・碇山を登って?きました。だいぶ経ちましたがその時のレポです。
大分の碇山については以前
国土地理院HP で見つけていた。日本山名総覧という本にも掲載されているようだ。
碇山(いかりやま・56m) 大分市津守にある山
碇山は9万年前の阿蘇山4度目の大爆発によって出来たといわれる。
神武天皇東征の折、この島で石の碇を降ろしともづなを結んだといわれることから碇島という。(昔はこの辺りは海であった)
この地へ配流された旧越前福井藩主・松平忠直(家康の孫・一伯公)縁の地でもある。
古国府から広瀬橋を渡り下郡バイパス手前から見える碇山。神社の森という感じ。
JR豊肥本線滝尾駅そばの踏切をわたって熊野神社のPに停める。縦列で数台は止められそうだ。
ここの標高≒20m。入口にある大鳥居。
駐車場所にある案内図。
水仙を愛でながら参道を緩やかに登る。右下が駐車場所。
途中にある石造鯖(さば)大師手引真像。
もとは四国霊場八坂寺(徳島県海陽町)に祀られている。
行基菩薩の右手は鯖を持っている。赤い布で隠されているが尻尾だけ見える。明治35年に地区の人により建立された。
この地では「腹がせく時には鯖大師を拝め」と言われている。
また、本家八坂寺では「鯖を3年食べないことにより子宝成就、病気平癒の願いごとがかなえられる」という。
鯖大師と呼ばれる由縁~伝説に拠れば、平安時代初期の弘仁年間(810年 - 823年)に空海が八坂八浜を訪れた際に、行基手植えの松の下で野宿し行基の夢を見た。そこを塩鯖を馬に背負わせた馬子が通りがかった。空海が塩鯖を所望したところ、馬子は口汚くののしり断った。坂にさしかかったところで馬が急に苦しみ動かなくなった。慌てた馬子は先ほどの僧は巡錫中の空海に違いないと思い、空海に鯖を差し出し馬を治して欲しいと懇願した。空海が加持水を馬に与えたところ、馬はたちまち元気になった。また、空海が法生島(ほけじま)で先ほどの塩鯖に加持祈祷を行い、海に放ったところ塩鯖は生き返り泳いで行った。これに感服した馬子は空海の弟子となり、この地に小堂を建て行基の像を祀り「行基庵」と名付けた。また「鯖瀬庵」とも呼ばれた。空海が加持祈祷を行った海岸は鯖瀬(さばせ)と呼ばれている。(wikipedia)
折り返して登った先にある一伯公(松平忠直)廟所。通称六角堂。
松平忠直については→
「HP北陸歴史の謎」で・・・
大分銘菓にもある
「一伯」
扉を開けてみた内部・・・。
さらに折り返して上に登る。
鎌倉時代の初め、大友能直(よしなお)が勧請したという熊野神社へ入る。
山門をくぐると社殿の屋根が目に入る。
豊後瓦による凝った装飾を施している。鬼瓦の下には虎を従えた仙人。龍の紋は火災から守るための水を表す。神社だが仏教的色彩のある建築。
松平忠直は熊野権現社に、全長180メートルに及ぶ「熊野権現縁起絵巻」を奉納している。
総代の方が境内をきれいに清掃されていました。
境内横の階段を山頂部へ上がっていく。
先端部にある山頂標識。安武さん標識では新しい感じです。
三角点ではなく、「大分市公共基準点」とある。
公園のようになった山頂部。
北~北西が見晴らせる。天気がよければ国東半島や由布鶴見、くじゅう連山までも一望できるようだ。
大分市中心部方向。すぐ下は滝尾駅。
周辺には一字一石供養塔、庚申塔などの石造文化財も・・。
山頂部先端から裏側(東)を望む。明野~高尾山方向。周りが海だったことが何となくうかがえる。
見学気分でゆっくりと登って下って30分ほどでした。
ちなみに国東市の最低峰は国見の行蔵山(156m)、豊後高田市は草地の三笠山(91m)か?
年をとったら各市町村の最低峰巡りも楽しいかもしれないですね!
場所はここ~