今年は午(うま)年だ。
そして…本日1月5日夜からNHK大河ドラマ「黒田官兵衛」が放映される。
山歩き専門誌「季刊のぼろ」冬号(西日本新聞社発刊)にもとりあげられている黒田官兵衛ゆかりの馬ケ岳に登ってみよう。 福岡県行橋市とみやこ町境の里山で山城の遺構が残っている。
馬ケ岳(うまがだけ・216m) 御所ケ岳(ごしょがだけ・246.9m) (マップ 赤~馬ケ岳 青~御所ケ岳)
椎田道路終点の徳永交差点を県道58へ入り、今川の清地大橋を渡った天生田北交差点を左折して県道34へ入ると右手に馬ケ岳の山容が見えてくる。
二兒(ふたご)神社入り口の道路沿いには黒田官兵衛と宇都宮鎮房(しげふさ)の幟が立ち並ぶ。
県道34から二兒神社へむかう前方に馬ケ岳。
新年の門松と一の鳥居に新しい注連縄が迎える。
鳥居横からはいって参道横の駐車場へ。
登山口はここ花熊登山口と行橋市側に大谷登山口がある。
地元中学校野球部の寒稽古?が行われていた。生徒たちが走り登っていったあとの参道をゆっくりと登っていく。9時58分。ここの標高≒25m。
二兒神社へ参拝。
景行天皇夫妻と双子の小碓命(オウスノミコト)と 大碓命(オオウスノミコト=日本武尊)の四神を祀る。神殿前にある双石(ふたごいし)に触れると安産が叶うという。
神殿横から登山道へ入る。
神社から20分ほど登ると尾根分岐に出る。
右手へと石段を進み大谷登山口分岐からひと登りで二の丸跡に着く。10時28分。
野球部員が一人ずつ前に出て今年の目標を大声で叫んでいる。
「レギラーになるぞ!」「再試験を受けないでいいように頑張るぞ!」等々・・・
しばし楽しく見学する。
二の丸跡から豊津方向。
尾根分岐へもどり山頂へ向かう。
横掘跡分岐を過ぎると本丸跡のある山頂が見えてくる。
周辺の雑木が切り払われて展望の良い山頂だ。10時46分
行橋市街地方向。
教育委員会の方が子どもたちにわかりやすく歴史ガイドをされていました。
中世より籠城、落城が繰り返された馬ケ岳城だが、秀吉による九州平定のあと入城した黒田官兵衛・長政親子はこの地で1年ほど過ごしたという。
山頂にある新田氏表忠碑前で。
往路を戻って二兒神社下駐車場へと下山。11時19分。
車で御所ケ岳登山口のある行橋市津積の御所ケ谷登山口へと移動する。
途中から見る御所ケ岳。
山頂から山麓一帯にかけ外周3キロメートルに亘って花崗岩の切り石と土塁をめぐらせた古代の山城跡は国の史跡となっている。(説明文より)
狭い駐車場は4台で満車状態。
標識に従ってまっすぐ山へ入る。11時47分。
八十八箇所巡拝路が開かれている。
中門・神籠石(こうごいし)といわれる高さ7.5メートル、長さ18メートルの二段の石塁が現われる。
右手へ神籠石の上からすこし行くと景行神社へ着く。11時58分。
その先の列石は景行神社仮宮跡の基礎石と言われている。
分岐から気持ち良い自然林を奥ノ院へ向かう。鳥の囀りが賑やかだ。
右手上に荒れた奥ノ院を見てここから急登となり、ひと登りで尾根に上がる。12時18分。
左へとホトギ山(御所ケ岳)へ向かう。
山頂部が近づいて来た。
見晴岩から望む先は黒田官兵衛の宿敵・宇都宮鎮房の本拠地である城井谷辺りか。
さらにその上の英彦山は雲の中?
御所ケ岳(ホトギ山)山頂に到着。12時41分。
見晴の良い山頂だ。
先ほど登った馬ケ岳。フタコブラクダのようだ。
山頂写真。下関から電車を乗り継いできたという男性に撮ってもらう。
ベンチでランチと一休み。
下山は展望台近くから急坂を下っていく。調査中の神籠石横を通る。
30分ほどで駐車場へ下山。
(GPSマップ~拡大します)
豊前は古代から「秦王国」といわれ、早くから大陸や半島の渡来人により文化、技術が伝わり開かれた地域と言われている。
さらに中世から戦国時代へと群雄割拠の戦乱の歴史を残している。
ここ馬ケ岳辺りは黒田官兵衛の時代にそのクライマックスの場となったのだろう。
いままでNHK大河ドラマという続き物はあまり見たことがなかったのだが、この日は20時からのテレビの前に座っていました^^;