2013年 08月 14日
黒田官兵衛と宇都宮鎮房 2013・8・11(日)
会場の田染公民館には50人ほどの聴講者が集まる。
演題は「黒田官兵衛を語る」。講師は中津市教育委員会文化財課の三谷紘平氏。

官兵衛の半生や宿敵宇都宮一族についてあれこれと学んだ。
2014年 にはNHK大河ドラマ「黒田官兵衛」が放映される。
今日も猛暑の一日となりそうだが、午前中に奈良原へ墓掃除に出かける。周辺の雑草に手こずり汗びっしょりとなる。
シャワーを浴びて…昼前から中津に出かける。
中津市内各所に立つ「黒田官兵衛孝高」のぼりを見て3日の講演会で聞いた「黒田官兵衛×宇都宮鎮房(しげふさ)」を思い出し、急遽中津城へ向かう。
城石垣廻りにある駐車場はほぼ満車。今や人気上昇中の官兵衛を知ろうと見学者も増えているのだろう。
昭和39年に奥平家(黒田→細川→小笠原のあと1717年丹後宮津藩より入封~幕末まで)の子孫により観光のため建てられた天守閣や二重櫓。
(現在、建造物は埼玉県の福祉会社が、土地は奥平家が所有)

官兵衛が豊前六郡を拝領し中津へ入国した後、豊前一揆が起きて宇都宮(城井)鎮房との戦が始まる。
※鎮房は大友義鎮(宗麟)に服従し妹を嫁に迎える。その際「鎮」の一字を拝領している。
官兵衛に降伏(和睦)した鎮房は中津城に招かれ酒宴の席で後藤又兵衛により暗殺される。享年52歳?。(鎮房の嫡男朝房(ともふさ)も肥後国で加藤清正らに殺害される。享年17歳?)
鎮房の死後、中津城に鎮房の亡霊が出没し、長政(官兵衛の嫡男)はその亡霊に恐れおののいた。孝高は戦国の世とはいえ、勇将であった鎮房を謀略で殺害したことを悔い、中津城内に城井神社を創建し、その霊を祀っている。後に黒田氏の居城となった福岡城にも創建されている。(wikipedia)
天守閣の山国川寄りにある城井神社。

鎮房の家臣も城近くの合元寺(ごうがんじ)で討ち死にする。(家臣ら45柱は城井神社横の扇城神社に祀られている)
合元寺の壁は血痕が残り、どんなに洗っても鮮血の色が落ちることがなかったため壁は現在でも赤色に塗られている。(wikipedia)
寺町にある合元寺。別名を赤壁寺。庫裏の大黒柱に刃痕が点々と残されているという。

ここまで来たので・・・ 宇都宮(城井)氏の里、築上町城井谷まで足を延ばしてみよう。
築上町マップ
赤~天徳寺 青~本庄大楠 緑~旧蔵内邸 紫~畑冷泉 黒~城井ノ上城跡
県240の広域農道へ入り深野交差点を左折、県237を求菩提山方向へ走る。
城井谷の要所では官兵衛とともに宇都宮一族を売り出そうとのぼりや新たな標識が立っている。
中津城から40分ほどで宇都宮氏菩提寺の天徳寺へ着く。

宇都宮(城井)氏墓地。宝篋印塔は家臣の供養塔か。

梵字が刻まれた3代の墓。
真ん中が鎮房の墓。左に父長甫(ながふさ)、右に嫡男朝房(ともふさ)の墓。
父長甫は黒田軍により鎮房の妻子とともに、中津城近くの広津河原で磔とされた。享年84歳。

墓地入口にある宇都宮氏の末裔が詠んだ句碑。
「草笛や城址に残る悲話いくつ」

勝者黒田が見た戦国史、敗者宇都宮が見た戦国史。
その差は何か? 歴史を作るのは勝者か? どちらにも正義はある…。
城井ノ上城(きいのこじょう)跡には次回にまた訪れることとし、県237を下っていく。この県道は数年前に英彦山登山の帰路に通っている。
国指定天然記念物「本庄の大楠」に立ち寄る。
樹高23m、胸高周囲21m、推定樹齢1900年という。
かつて宇佐神宮御神殿建て替えの際、用材を切り出す前にこの地で「杣始祭」が行われたようだ。

深野交差点近くにある旧蔵内(くらうち)邸。
明治から昭和初期の炭鉱王蔵内一族によって建てられた邸宅だ。
蔵内一族は宇都宮の家臣の子孫という。
築上町によって買い取られ整備されて今年の4月より一般公開されている。
玄関には神殿のような屋根。家紋は宇佐神宮の左三つ巴に同じ。

職員の方から細部について詳しく説明をしていただく。
庭園からみる茶室と大広間。
贅を尽くした建築物や庭園から当時の筑豊炭鉱の勢いと大工棟梁の技能の高さがうかがえる。

豊前市の畑冷泉へ立ち寄る。
水汲みの協力金は一人100円。
夏休みで多くのファミリーが遊びに来ていました。


宇都宮鎮房の、のぼりがカッコイイですね~!
400年続いた名家を家臣に組み入れ謀殺した黒田って
入国するに当たり、国人領主が邪魔だったのかもしれませんね・・。
優れた武将だったのでしょう。
それにしても、クスノキは凄いですね~!
行って見なくては^^v
戦国や幕末の時代って知ってくると楽しいですね。(じなしはまだまだ勉強が足りていません)
いつも情報をありがとうございます。
来年の大河ドラマが愉しみですね。
yokobabaでした。

知ってましたが、じなじさんのお蔭で勉強になります。
今日は朝から終戦記念の番組を見て
涙腺が緩みっぱなしでした。
山国町には官兵衛に仕えた後藤又兵衛の墓があるようです。このひとも調べると面白そうです。
じなしも少し楽しみになってきました。
もう68年になるのですね…あと10年もすれば地球上からあの大戦を知っている人がいなくなります。道を誤らないようにしなければなりませんね。

我が家の近くまで来ていたのですねぇ~
この頃九重方面へ行く時は不可の交差点を経由して出かけております。
黒田官兵衛、近くにある馬ヶ岳も舞台となっているようです。
以前 家から馬ヶ岳~御所ヶ谷を歩きましたよ~♪
今日はトレイルコースに標識を立てる場所確認で以前ご一緒した(高岩)~西方寺~五辻不動尊のコースを歩いてきました。
築上町県237の山の向こうは信ちゃんが英彦山に通われているR496が並走していますね。 馬ケ岳はわかりましたが、不可の交差点はわかりませんでした。
(アルプスのお疲れをゆっくりとられて)残暑をお元気でやり過ごしてください

深野の交差点ですぅ。。。。
私はまだ行ったことはありませんが、この大楠のところでコンサートも開催されているそうですよ。
暑さ厳しき折り、じなしさんもお身体を御自愛くださいませ。
また豊津の馬ケ岳での官兵衛×宇都宮のお話を教えてくださいね。