2012年 08月 03日
宇佐神宮ご神幸祭(夏越祭) 2012・7・27(金)
夏越祭は大祓祭ともいわれ、年の前半が経って大祓式を執り行い心を清める禊行事だ。この御神幸祭を見学するNHK文化センター主催「第4回八幡文化を訪ねる旅」に参加した。
午後3時の現地集合までに時間もあるので、前回は欠席した「宇佐神宮境内境外末社めぐり」の一部を青鬼さんに連れていってもらう。
最初に訪れたのは、神武東征では豊予海峡で登場し水先案内人を務めたという椎根津彦(しいねつひこ)を祀る椎根津彦神社。先に「神武東征と一柱騰宮」で訪れた宇佐市和気の柁鼻神社からR10を宇佐神宮方向へ行き、手前の轟整形医院を左折して医師会病院(成人病検診センター)へ着く。初めて来たのだが…何と病院駐車場横に神社標柱があるのだ。

検診センターのすぐ裏に神社があった。

椎根津彦は神武天皇一行が豊予海峡(速吸瀬戸)を通るときに国つ神の漁師・珍彦(うずひこ)が現われて水先案内をしたという。天皇は珍彦に椎の竿を授けると無事に難所を乗り切ったので椎根津彦の名を与えたという。
速吸瀬戸に近い大分市佐賀関にも椎根津彦神社があるらしい。
大木の間に祠がある。

次に訪れたのが…宇佐神宮球場横から少し入った神宮本殿の裏(西)側にある阿良禮(あられ)社。細い里道と水田の間の狭い場所で玉垣に囲まれた禁足地がある。中に高さ1mほどの石柱が立つ。後の山は神宮元宮の御許山(おもとさん)へ続く。
阿良礼は神様の御子の誕生を意味する聖地のようだ。

阿良禮社からすこし戻ると大尾神社近くに鉾立神社がある。
説明板には
「欽明天皇三十一(570)年に応神天皇の神託が大神比義翁にあり、翁がここに鉾を立てて神座とした。以来和銅五(712)年までの142年間、朝廷の詔(みことのり)により比義翁が玉垣の中の鉾に向かって祭文を奏した聖地である」
鉾立宮跡。すぐ後ろの山には大尾神社への林道が通っている。

宇佐神宮・呉橋(西参道)駐車場へ移動する。
先に一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)で訪れた宇佐神宮相撲場後の山で騰隈(とうのくま)といわれる所に向かう。(前回はここを下から仰いだ)
呉橋からすぐの道を寄藻川沿いにゆるやかに登ると荒れた雑木林の麓に数カ社が祀られている。なぜここにこうして集まって(められて)いるのだろうか?
貴布祢社

淡島社

稲荷大明神

荒神社

天満神社

表参道へ出る。
春宮(とうぐう)前に作られた茅の輪(ちのわ~俳句では夏の季語)をくぐる。
ほとんどの神社では、夏越祭に茅(ちがや)でつくられた輪を潜って罪や穢れを取り除き心身が清らかになるようにお祈りする「茅の輪くぐり」がおこなわれる。
「水無月の夏越の祓へする人は千歳の命延ぶといふなり」
の歌も茅の輪のそばに立てられている。
所作は一礼のあと、輪の中を左まわり、右まわり、左まわりと八の字に三回通って一礼する。

春宮(とうぐう)には応神天皇の末子である菟道稚郎子命(うじのわきのいらつこのみこと)が祀られている。学問にすぐれており天皇に寵愛されていたという。

年の後期も健やかに過ごせますようにと「茅の輪まもり」を買いました。(300円)

午後3時となり表参道で後藤正二先生や学級生のみなさんと合流する。

神輿担きの皆さんは手水舎で清めた後、能楽殿で御祓いを受ける。

祓所前には子ども神輿がずらりとスタンバイ。

上宮本殿へと向かう。本殿への参道途中にある夫婦石。
一人の方は両足で、夫婦やカップルの方は手をつないで一緒に踏むと幸せになれるという。

西大門前でカメラを向けると「橋津道行ばやし」の皆様が囃し立ててくれました。

いつもは回廊の幕で隠されている上宮本殿の内部を見ることが出来る。3基の神輿が出番を待つ。鳳凰に赤い布が応神天皇(八幡神)のご神体が乗る1番神輿。青い布の2番神輿には大比売神、黄色の布の3番神輿には神功皇后が乗る。

神事が行われ「お下り」行事が始まる。昔から夏越祭は大祓(おんばれ)祭「夕日の降(くだち)」といわれ夕刻に執り行われている。

廻りを幕で隠して神輿にご神体をのせる。

本殿を出て御祓いを受ける。

穴井宮司がのる神輿。

それぞれの神輿に宮大工が乗る。神輿がぶつかって壊れた時に修繕するための木槌を腰に差している。

社務所前で祭りの陣列をつくる。

子どもを神輿の屋根に載せて健やかな成長を祈願する担手の父親。

やや疲れ気味の子ども神輿。

陣列を先導する猿田彦。

上宮本殿前で写真家の藤田晴一先生とお会いしました。相変わらずアナログカメラをかついでいました。
貴重なこだわり人間(職人)です。
この後陣列は頓宮まで下り、神職により「菅貫(すがぬき)神事」が行われてこの日を終える。
最終日の29日にはお上り行事が行われ、それぞれの御神体が上宮本殿へ戻って祭が終了する。