梅雨本番となり今日は午後から強い雨の予報も出ている。天気が良ければあの山にあの花が…などと思っていたが予報どおりの雨で今日一日はまとまった雨となりそうだ。
大分オアシスタワーである〇△セミナーへ出席するママのアッシーを務めたら、その後に大分周辺のキリシタン遺跡を訪ねてみよう。
ママを降ろして最初に向かったのは「大分県キリシタン殉教記念公園」。
明野東交差点からを高田方面に1.2Kmほど行った葛木の県道21号沿い(ドラッグノザキの隣)にある。
大分市葛木「キリシタン殉教記念公園」
入口にクルスと看板が立つ。
公園の奥にある「殉教記念碑」。レリーフには厳しい迫害にも屈せず信仰を貫いた様子が描かれている。
建立されたのは昭和45年。当時の大分市長上田保氏による。上田保氏は敬虔なカトリック信者で当時、国見のペトロ岐部神父立像建設の名誉会長にもなっている。
大友宗麟の保護の元、(とくに東部や南部に宣教師が入り教会がたてられるなど)早い時期に広まった豊後のキリスト教だが、秀吉による伴天連追放令や禁教令によりその反動も大きく「豊後崩れ」といわれる厳しい弾圧がおこなわれたようだ。ここ葛木一帯では200人もの殉教者があったという。
傍にある句碑。
殉教の薄暑の葛木悼(いた)まばや 足立・・
殉教公園を後にして雨の中を鶴崎高校の近くにある「毛利空桑(もうりくうそう)記念館」へ向かう。
どんな人なのか…じなしは知りませんでした。
空桑は幕末から明治初期にかけて活躍した尊王の儒学者、教育者。
脇蘭室(鶴崎)や帆足万里(日出)に学び、私塾「知来館」を開く。「文武両道」を信念とし多くの門下生を育てた鶴崎地方の偉人。
館長のAさんに高田地区にあるという紀新太夫行平と緒方三郎惟栄の墓について聞いてみる。緒方三郎の墓については知らないそうだ。
A館長におおよその場所を聞いて高田地区にあるという紀新太夫行平の墓を訪ねる。
雨脚も強くなった中、関園地区でそれらしき遺構を探していると畳屋のおじさんが軽四で帰宅してきた。尋ねるとなんと!墓はおじさんの家の裏にあったのだ。
そして、おじさんはじなしの同級生の兄のT畳屋さんと古くからの知り合いでした。
紀新太夫行平~1144年(天養元年)相模の国の生まれと云われている。成人して修験者となり英彦山に入山、刀匠源(げん)正房(しょうぼう)定秀(さだひで)(紀太夫)の後継者として紀新太夫と名乗る。平氏滅亡により関東は下野(しもづけ)の国利根荘へ流刑されるが頼朝死亡により九州へ下向。国東伊美郷住し、後に大分の高田に居を定める。豊後刀鍛冶の祖と云われ肥後細川家の永青文庫(東京目白)所有の太刀は国宝に指定されている。
晩年はこの地で弟子を育成しながら過ごしたという。
「刀匠紀新太夫行平ノ墓地」の標柱も立っている。
承久三年(1222年)に没したようだ。戒名は「實相顕徳院鐵山玄運秘定門」か?
次にネットで知った上戸次の「花香キリシタン墓群」に向かう。
松岡から県道206を行き白滝橋手前のR10を横切って竹中へ向かう。途中フッと思い出して竹中の旧道へ入る。
向かったのは歌手・南こうせつさんの実家の勝光寺。
前の郵便局に車を止めて山門へ向かう。こうせつさんとじなしは同年なのだ。
勝光寺は元天台宗の歴史ある(禅宗・曹洞宗)お寺さんでした。
本堂へお参りをして境内を見ていると優しそうな男性から声を掛けられる。その方はこうせつさんのお姉さんのご主人Tさんでした。
この日はこうせつさんのお兄さんである住職の南慧昭(みなみえしょう)さんはお出かけで、ふたりで留守番をされているところでした。
山門を入って右手の鐘楼にはこうせつさんが「神田川」の大ヒットのあと寄贈したという梵鐘があります。鐘楼には戦争で供出したため鐘がなかったのです。寄贈された鐘は「しあわせの鐘」といわれている。
庫裡にいたお姉さんもご一緒になりこうせつさんが子どもの時の昔話などをお聞きしました。
本堂裏に1年ほど前に開堂した納骨堂「勝樹苑」を特別に見せていただきました。
納骨堂祭壇の観音菩薩後の絵はこうせつさんがあっという間に描いたという絵です。ふるさと竹中で過ごした子供時代の想い出が詰まっています。大野川の河童や蛇、枝垂桜や由布岳も描かれています。
絵の題は「春のうた」。
音楽だけでなく絵の感性も違いますね。
天井には花の絵が並んでいます。福岡市の人形絵師佐藤好昭さんが彩画をしています。センターの24コマは勝光寺ファミリーゾーン。
右端にはこうせつさんの梅。
左端に(長女の)Tさんご夫婦の南天? その横中央に今住職の南慧昭さんの彼岸花。
こうせつさんのお友達の皆さんもご奉賛されています。
伊勢正三さんご夫婦。これは奥様。
壇ふみさんの兄壇太郎さんご夫婦。ご夫婦ともにエッセイスト。
笑福亭釣瓶(駿河学)ご夫婦。
45cm四方の杉板1枚に名入りで好きな絵を仕上げて3万円だそうです。どなたでも応募できるようです。
突然訪ねた見ず知らずの者にもかかわらず、Tさんからいろいろと親切に説明をしていただきました。
Tさんありがとうございました。Tさんはじなしの(高校の)先輩でもありました。
花香キリシタン墓群
赤~キリシタン墓 (青~勝光寺)
おっと…忘れていました。今日はキリシタン遺跡を訪ねていたのだ。
竹中駅を過ぎ、上戸次(かみへつぎ)小学校先の豊肥線踏切を渡る。踏切の横にある石碑。
道なりに進んでいくと行き止まりとなり、その先に墓地がある。
キリシタン墓に多い平石(伏墓)が並んでいる。
廻りに人家もあるがあまり人の気配はしない。だれにも聞くことが出来なかったのだが…キリシタン墓に間違いなさそうだ。
オアシスにママを迎えに行く。
帰る前に府内の南蛮文化について大分市元町にあるの「大友氏遺跡体験学習館」に立ち寄る。西洋医学、ゼウスでの西洋音楽?ボランティア発祥の地など昔の府内の町並みを想像しながら歩いて?来ました。
7月4日(水)はペトロカスイ岐部神父が373年前に殉教した日です。当日14時より、国見生涯学習センターみんなんかんで「ペトロカスイ岐部を聖人にする集い」が開催される。多くの皆様にご参加頂きたいものだ。主催は国見の歴史と文化を高める会。
ペトロカスイ岐部の故郷が大分のキリシタン遺跡を辿る巡礼コースの起点となり、多くの皆様においでいただければとてもうれしい。
昼食に立ち寄った鶴崎の「キッチンいこい」。かつて大分市中心のトキハ隣にあった名店でとり天発祥の店と言われている。
とり天ハンバーグ定食(760円)を頂きました。