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じなしの山歩記と国東半島ミュージアム

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大分市周辺のキリシタン遺跡と紀新太夫行平の墓  2012・6・24

梅雨本番となり今日は午後から強い雨の予報も出ている。天気が良ければあの山にあの花が…などと思っていたが予報どおりの雨で今日一日はまとまった雨となりそうだ。
大分オアシスタワーである〇△セミナーへ出席するママのアッシーを務めたら、その後に大分周辺のキリシタン遺跡を訪ねてみよう。

ママを降ろして最初に向かったのは「大分県キリシタン殉教記念公園」。
明野東交差点からを高田方面に1.2Kmほど行った葛木の県道21号沿い(ドラッグノザキの隣)にある。
大分市葛木「キリシタン殉教記念公園」

入口にクルスと看板が立つ。
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公園の奥にある「殉教記念碑」。レリーフには厳しい迫害にも屈せず信仰を貫いた様子が描かれている。
建立されたのは昭和45年。当時の大分市長上田保氏による。上田保氏は敬虔なカトリック信者で当時、国見のペトロ岐部神父立像建設の名誉会長にもなっている。
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大友宗麟の保護の元、(とくに東部や南部に宣教師が入り教会がたてられるなど)早い時期に広まった豊後のキリスト教だが、秀吉による伴天連追放令や禁教令によりその反動も大きく「豊後崩れ」といわれる厳しい弾圧がおこなわれたようだ。ここ葛木一帯では200人もの殉教者があったという。
傍にある句碑。
 殉教の薄暑の葛木悼(いた)まばや  足立・・
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殉教公園を後にして雨の中を鶴崎高校の近くにある「毛利空桑(もうりくうそう)記念館」へ向かう。
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どんな人なのか…じなしは知りませんでした。
空桑は幕末から明治初期にかけて活躍した尊王の儒学者、教育者。
脇蘭室(鶴崎)や帆足万里(日出)に学び、私塾「知来館」を開く。「文武両道」を信念とし多くの門下生を育てた鶴崎地方の偉人。

館長のAさんに高田地区にあるという紀新太夫行平と緒方三郎惟栄の墓について聞いてみる。緒方三郎の墓については知らないそうだ。
A館長におおよその場所を聞いて高田地区にあるという紀新太夫行平の墓を訪ねる。
雨脚も強くなった中、関園地区でそれらしき遺構を探していると畳屋のおじさんが軽四で帰宅してきた。尋ねるとなんと!墓はおじさんの家の裏にあったのだ。
そして、おじさんはじなしの同級生の兄のT畳屋さんと古くからの知り合いでした。
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紀新太夫行平~1144年(天養元年)相模の国の生まれと云われている。成人して修験者となり英彦山に入山、刀匠源(げん)正房(しょうぼう)定秀(さだひで)(紀太夫)の後継者として紀新太夫と名乗る。平氏滅亡により関東は下野(しもづけ)の国利根荘へ流刑されるが頼朝死亡により九州へ下向。国東伊美郷住し、後に大分の高田に居を定める。豊後刀鍛冶の祖と云われ肥後細川家の永青文庫(東京目白)所有の太刀は国宝に指定されている。
晩年はこの地で弟子を育成しながら過ごしたという。
「刀匠紀新太夫行平ノ墓地」の標柱も立っている。
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承久三年(1222年)に没したようだ。戒名は「實相顕徳院鐵山玄運秘定門」か?
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次にネットで知った上戸次の「花香キリシタン墓群」に向かう。
松岡から県道206を行き白滝橋手前のR10を横切って竹中へ向かう。途中フッと思い出して竹中の旧道へ入る。
向かったのは歌手・南こうせつさんの実家の勝光寺。
前の郵便局に車を止めて山門へ向かう。こうせつさんとじなしは同年なのだ。
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勝光寺は元天台宗の歴史ある(禅宗・曹洞宗)お寺さんでした。
本堂へお参りをして境内を見ていると優しそうな男性から声を掛けられる。その方はこうせつさんのお姉さんのご主人Tさんでした。
この日はこうせつさんのお兄さんである住職の南慧昭(みなみえしょう)さんはお出かけで、ふたりで留守番をされているところでした。
山門を入って右手の鐘楼にはこうせつさんが「神田川」の大ヒットのあと寄贈したという梵鐘があります。鐘楼には戦争で供出したため鐘がなかったのです。寄贈された鐘は「しあわせの鐘」といわれている。
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庫裡にいたお姉さんもご一緒になりこうせつさんが子どもの時の昔話などをお聞きしました。
本堂裏に1年ほど前に開堂した納骨堂「勝樹苑」を特別に見せていただきました。
納骨堂祭壇の観音菩薩後の絵はこうせつさんがあっという間に描いたという絵です。ふるさと竹中で過ごした子供時代の想い出が詰まっています。大野川の河童や蛇、枝垂桜や由布岳も描かれています。
絵の題は「春のうた」。
音楽だけでなく絵の感性も違いますね。
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天井には花の絵が並んでいます。福岡市の人形絵師佐藤好昭さんが彩画をしています。センターの24コマは勝光寺ファミリーゾーン。
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右端にはこうせつさんの梅。
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左端に(長女の)Tさんご夫婦の南天? その横中央に今住職の南慧昭さんの彼岸花。
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こうせつさんのお友達の皆さんもご奉賛されています。
伊勢正三さんご夫婦。これは奥様。
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壇ふみさんの兄壇太郎さんご夫婦。ご夫婦ともにエッセイスト。
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笑福亭釣瓶(駿河学)ご夫婦。
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45cm四方の杉板1枚に名入りで好きな絵を仕上げて3万円だそうです。どなたでも応募できるようです。
突然訪ねた見ず知らずの者にもかかわらず、Tさんからいろいろと親切に説明をしていただきました。
Tさんありがとうございました。Tさんはじなしの(高校の)先輩でもありました。

花香キリシタン墓群
 赤~キリシタン墓 (青~勝光寺)

おっと…忘れていました。今日はキリシタン遺跡を訪ねていたのだ。
竹中駅を過ぎ、上戸次(かみへつぎ)小学校先の豊肥線踏切を渡る。踏切の横にある石碑。
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道なりに進んでいくと行き止まりとなり、その先に墓地がある。
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キリシタン墓に多い平石(伏墓)が並んでいる。
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廻りに人家もあるがあまり人の気配はしない。だれにも聞くことが出来なかったのだが…キリシタン墓に間違いなさそうだ。
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オアシスにママを迎えに行く。
帰る前に府内の南蛮文化について大分市元町にあるの「大友氏遺跡体験学習館」に立ち寄る。西洋医学、ゼウスでの西洋音楽?ボランティア発祥の地など昔の府内の町並みを想像しながら歩いて?来ました。

7月4日(水)はペトロカスイ岐部神父が373年前に殉教した日です。当日14時より、国見生涯学習センターみんなんかんで「ペトロカスイ岐部を聖人にする集い」が開催される。多くの皆様にご参加頂きたいものだ。主催は国見の歴史と文化を高める会。
ペトロカスイ岐部の故郷が大分のキリシタン遺跡を辿る巡礼コースの起点となり、多くの皆様においでいただければとてもうれしい。
 

昼食に立ち寄った鶴崎の「キッチンいこい」。かつて大分市中心のトキハ隣にあった名店でとり天発祥の店と言われている。
とり天ハンバーグ定食(760円)を頂きました。
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by jinashi | 2012-06-27 22:25 | ペトロ岐部とキリシタン史 | Comments(10)
Commented by seiko    at 2012-06-28 11:03 x
まさかこの雨 出かけてはないだろうなとそっと覗いて見たら・・・。さすがじなし君です。どこへでも誰とでもお話できる感心します。2年程前実家近くのお寺で 南 慧昭さんの歌説法を聞いたことがあります。ご家族のこと 退職後住職になる為の修行をしたことなど楽しく話し こうせつさんに負けない声で何曲も歌ってくれて優しい気持ちになったことを思い出しました。
Commented by jinashi at 2012-06-28 21:10
seikoちゃんこんばんは 
今日は久々のにお日様が顔を見せてくれました。廻りもだいたい田植えも終わったようでカエルくんが夜に歌っています。
J寺も勝光寺と同じ曹洞宗ですので南慧昭さんの歌説法があったのですね。じなしはK寺の門徒なので知りませんでした。J寺のHみっちゃんも国見の歴史と文化を高める会で役員をしていただいていますので門徒だけでなく皆さんにも声をかけてくれるとうれしかったでね・・・。
昔のことをあれこれ訪ねているとその時代に生きた人たちの想い(うれしさ、悲しさ、・・・・)が伝わってきます。 その題材が国東半島には尽きません。
Commented by トトロのとなり at 2012-06-29 01:26 x
キリシタンにはあまり興味はないのですが、南こうせつさんの寺には興味あります。いつか杵築でこうせつさんのお宅はこのへんじゃないか?と思ってキョロキョロしながら車を走らせたことがありました。お寺は地図で調べればわかりますのでいずれあそこらに行く機会がありましたら御参りしたいと思います。それにつけても皆さん絵が上手ですね。貴重な情報ありがとうございます。
Commented by jinashi at 2012-06-29 18:58
トトロのとなりさん こんばんは
 延岡方面から大分への通り道(大野川の向こう側)なのでぜひ立ち寄ってみてください。「勝樹苑」もお願いすれば見せていただけるのでは?
南ファミリーはみなさん優しい方ばかりのようです。
Commented by Kenny at 2012-06-29 23:21 x
じなしさんこんばんは!長期出張から帰って久しぶり覗きに来ました。訳あって豊後のキリシタン系の話は興味深く読ませてもらっています。・・行平の名前が出てなおさらです。実は私の母方の出自の名前が行平なもんで。関係ないでしょうが・・・?
Commented by jinashi at 2012-06-30 21:33
kennyさん、日本経済はグローバル化の中で厳しさを増しているようですが・・御社では被災地復興のための需要の増大でお忙しい日々と拝察いたします。 (なんちゃって・・・)
 大分の葛木、戸次や野津などはキリシタン遺跡(墓地)ですが浦辺は隠れキリシタン遺跡として残っています。明治時代までそのような歴史が続いていたようで地区によってはナーバスなところもあるということを知っています。
さて、行平姓ですが・・・おそらく紀氏の系統でしょう。紀氏は秦氏の流れです。紀氏から岐部氏や櫛来氏そして行平へとつながったのでは?
kennyさんはF江の行平さんですよね?
Commented by Kenny at 2012-07-01 10:13 x
CSR(企業の社会貢献)絡みで東北の除染PJに何か良い方法を提供できないか奔走してます。(基本は無償提供)彼の地に行くといつも思うけど、ホント普通の暮らしの大切さ、ありがたさを忘れてしまった自分たちを痛感します。戦後のベビーブーマーである私たちはものには恵まれなかったけど不幸を感じなかった(幸せだった)ことを思いだし、考えを改める必要を感じています。(私も今日は なんちゃって・・・ですが)
そうです、古eの行平です。時間ができたら自分のルーツ探しでもしようかなと考えています、その時はまた歴史家のjinashiさんも教えてくださいね。
Commented by jinashi at 2012-07-01 18:53
そうですか。(ちゃかしてすみませんでした) 
会社として、kennyさんの個人として、この震災に対してボランティアで取り組んでいることに頭が下がります。
自分は何をしたのだろうと考えると大したことをしていないことに気づきます。自分が被災者になったとしたら…と思うとなんか申し訳ない気がしています。
 
Commented by 知床のオジロワシ at 2012-07-11 06:57 x
3年3ヶ月間(この投稿直後の6/28迄)、毛利空桑記念館近くに単身赴任し、横浜に戻ってきたものです。
懐かしく拝見しました。
国東半島(特に文殊仙寺、ペトロカスイ岐部教会近くの城山亭のワンコインランチ等々)、久住・阿蘇界隈は、愛機(BMW)で良く寂しさ紛れに走り、3年3ヶ月間の大分生活での走行距離は6万Km弱。
Commented by jinashi at 2012-07-11 12:39
知床のオジロワシさん、お立ち寄りありがとうございます。
 鶴崎での単身住まいの間大分のあちこちをBMWで楽しまれたのですね。国東半島の魅力をわかっていただいてうれしく思います。大分赴任中にメル友になれたらよかったです。