梅雨前線が九州南部に停滞して今日も天気は微妙?
早朝からの神社清掃奉仕を終え・・さて、どちらのお山へ。
合同新聞「大分のかくれた名山たち」で見た宇佐市院内のマチュピチュへ登ってみよう。
(調べてみたら5月19日(木)の夕刊に載っていた)
ママはクラス会で福岡行きのため一人登山です。
秋葉様の山(あきばさまのやま・460m) 大分かくれ名山新聞を見るまで宇佐のマチュピチュが秋葉様の山と呼ばれ、登れるとは思はなかった。
(下山後に展望台から望む)
本物のマチュピチュ(ネットより借用)
朝9時を過ぎてR387の展望台へ着くと、ガスでマチュピチュは見えない。
マチュピチュ登山は後回しにして、(草原の山で季節の花々に出会えそうな・・)日出生台の黒岳へ向かう。
R387の日出生台ダムを過ぎた上石飛から入り、県道409の堤へ出て西へ向かう。
このあたり一帯は西日本最大の陸上自衛隊日出生台演習場だ。
高台から見る日出生台高原。向こうは福万山。時にドーンと大砲?の音も聞こえる。
よっちゃんさんHPで見た黒岳登山口の「鼻牟礼峠」への入口が(茂る夏草のため?)わからず右往左往する。
アンテナが立つ当たりが黒岳山頂なのか?
麓の草も最近刈り取られたようで、よく見ると牛さんご一行が放牧されている。(ズーム)
黒岳登山は牧場主への承諾を得たほうがよさそうだ。
黒岳登山はあきらめて日出生台周辺をしばしドライブしたら・・マチュピチュ山へ戻る。
R387の和田平バス停前から山道へ入る。(その先宇佐市寄りは和田平トンネル)
600mほど先のY字を左折して未舗装の荒れた作業道を300mほど進むと広場に着く。ここが登山口。
駐車場所から北に電波塔への舗装路が続く。電波塔の奥に三角点「南畑台・532.8m」があった。
南に向かって山へ入る。12時2分。ここの標高≒530m。
クヌギ林をすぎて小ピークを左へ向かう。
ゆるやかに下ってまた登る。
赤テープもしっかり付いていて進路もわかりやすい。
下ったところからさらに大きく下り始める。右下から川の水音が聞こえる。
大岩が現れてくる。
下り終えた鞍部から登り返しにあるヌタ場(猪の水浴び場)。
ここから前峰への急登が始まる。
すぐにウリ坊2~3匹に遭遇。カメラを構えると逃げられた。
前峰ピークあたり。
一旦下って登り返すと山頂部が見えてくる。
火伏の神様と言われる秋葉宮石殿(文化14(1817)年8月13日建立)の前で山頂写真。12時30分。
山頂の標高は460mなので登山口から70mほど下ってきた。
S.Yさんの山名木札(H28.5.20)が下がっていた。5.20ということはS.Yさんは新聞にでた翌日に登っている。なんという行動力!
じなしもS.Yですが・・・
山頂からはほぼ展望は無し。僅かに院内町来鉢あたり?の圃場が見えた。
往路を戻る。登りが続いて汗が流れ落ちる。
途中の大岩から対岸の断崖を見る。
復路の赤テープはクロスしている。
大分アウトランド山岳部の方による下山のコースマークという意味でしょうか?
往復1時間足らずで無事下山。
「登りは下り、下りは登る」~宇佐マチュピチュの山でした。
下山後に新しくなったマチュピチュ展望台へ。
展望台からの画像で・・大体のコースです。
登山口スタート12:02→12:23ヌタ場→12:28秋葉様の山(山頂)→12:57下山
距離=1.46Km 累積標高≒180m
(GPSマップ)
帰路に
宇佐神宮菱形池を散策した。
池傍にある境内末社・木匠祖神社(もくしょうそじんじゃ)。宮大工・寺大工・桧皮師・塗師の職人達と、近郷近住の職人の守護神。
古代ハスも見ごろ。
コウホネにとまる蝶。
境内末社・水分(みくまり)神社。水を司る五神を祀る神社。
静止中の赤トンボ。ショウジョウトンボか?
欽明天皇の29(569)年、宇佐神宮境内の菱形(ひしがた)池のほとりの泉のわくところに、ひとつの身体に八つの頭という奇異な姿の鍛冶をする翁があらわれて、この姿を見た者はたちまち病気になったり死んだりしました。大神比義(おおがのひぎ)が見に行くと老人の姿なく、かわりに金色の鷹(たか)が見えました。比義が『誰かによって鷹に変えられたのか、自分の意志で鷹になったのか』と問うと、鷹は金色の鳩(はと)となって比義の袂の上にとまりました。神が人を救済されようとして自ら変身されたことを知った比義が、3年あまり断食をして祈り続けたところ、ついに欽明天皇32(571)年2月初卯の日に、この泉のかたわらの笹の上に光かがやく3才の童子があらわれ『われは誉田の天皇広幡八幡麿(ほんだのすめらみことひろはたのやはたまろ)なり。わが名は護国霊験威力神通大自在王菩薩(ごこくれいげんいりょくじんつうだいじざいおうぼさつ)で、 神道として垂迹せし者なり』と告げられました。そしてたちまち黄金の鷹になって駅館川(やっかんがわ)の東岸の松の上にとどまったといわれます。 そこに和銅元年(708)鷹居社をつくり八幡さまを祀り、のち霊亀2年(716)小山田の林に移られ、ここに小山田社を造営。神亀2年(725)年に現在の社地、亀山(かめやま)(菱形(ひしがた)山とも小椋(おぐら)山ともいう)に移されて八幡大神様が鎮座されたのが宇佐神宮の創立です。(宇佐神宮HPより)
7月29日(金)~31日(日)には御神幸祭(夏越祭)が行われる。
4年前の
宇佐神宮夏越祭り