4年に一度、山口県上関町祝島で行われる
神舞(山口県指定無形民俗文化財)の見学に出かけた。
2008年以来2度目となる。
2011年に山口県から国東半島に移住した北原慎二さんカレンダー「神舞」の絵。
16日の出御祭(祝島では入船神事)から5日間にわたって行われた神舞も20日の出船神事でファイナルを迎える。
別宮社がチャーターした姫島フェリーに見学参加者200名?が乗船する。
(往復フェリー券は2000円。数か月前から別宮社総代に申し込んで購入する。)
7時に出港。伊美港から祝島まで約50Km、2時間ほどの船旅となる。
姫島灯台沖を通過。
川崎汽船の自動車運搬船「HAWIIAN HIGHWAY」が近くを通過する。
調べてみたら・・2015年7月竣工。総トン数:75,126トン、全長:約200m、7500台積。(川崎汽船HPより)
祝島が近づく。
平さん高石垣の棚田(家)が見える。(ズーム)
祝島の面積は7.67㎢、海岸延長は12km、かつては5000人いたという人口もいまは400人ほど。
島の真正面に建設予定の中国電力原発建設に対して、農水産物の放射能汚染や、貴重生物の生息保全などを主張した長い反対運動が続いたため、1980年代に神舞は2度中止されている。
祝島は万葉集では「伊波比島」(いはひしま)と表記されている。位置から見ても、祝島と上関港は、奈良時代から近畿と九州の国東半島を結ぶ最短の航路上にあたり、海上交通の要衝となる寄港地であったとされている。
先の7月27日、北海道からの帰路、伊丹~大分線ANA便で上空より撮った祝島。
港のある本浦地区(祝島中心地)が近づく。
小屋掛けされた仮神殿前の防潮堤に特別係留される。
下船すると早速子供神楽の奉納が始まる。
仮神殿を飾る「切飾り」。
祝島に祀られている15の神々と宮戸八幡宮の16神の字柄を400枚ほど切り抜いている。東西南北の四方神の絵柄96枚も下がっている。
島民80人ほどで約15メートル四方の仮神殿の組み立てをする。かつては1日で終えたが、住民の減少や高齢化などで3日かかって完成したようだ。
仮神殿には切ったカヤを干して編まれた苫(とま)が使われる。かつては1軒2枚の供出で余るほどだったようだが、今は大変な作業のようだ。
港から神殿までに2か所ある仮設鳥居。
鳥居の大歳祭は「五穀の額」。大豆、小豆、ヤイナリ(緑豆)、黒ささげ、黍(きび)の5種(色)の小さな豆を並べて飾られて(作られて)いる。根気のいる作業だろう。
伊美別宮社から授かった種子が実ったことへの感謝を表している。
祈願神楽では赤鬼に抱かれて泣き出す子供。
この日一緒に参加した福岡県みやこ町豊津のOさんと一緒に集落巡りをした。
上関からも臨時便が着いた。
びわ茶は島の特産品。
地元の男性が
練屏について説明をしてくれた。
遊び心も・・
シャギリ隊のおばさん? 笛太鼓三味線の賑わい行列隊も引き継がれている。
仮神殿に戻るとほどなくして還幸出御祭が始まる。
フェリーは13時に離岸。港外で行われる出船神事を見学する。
波止から見送る祝島の人たち。
3艘の御座船に乗り移った神職と里楽師ら。
海上神事を彩る2艘の櫂(かい)伝馬船が勇壮な舞を見せながら先導する。若者も少ないので町が派遣した職員もこぎ手に加わっているようだ。
港外を3回廻る。
大漁旗をたなびかせてパレードに参加するお伴船。かつては100隻以上の漁船がお見送りしたという・・
御座船の舳先に座した神職。
お伴船は三浦湾ちかくまでお見送りする。
フェリーも祝島とお別れ。お互いに手を振って感謝の気持ち表し、4年後の再会を願う・・・
国東半島が近づく。
16時を過ぎて伊美港へ入港、下船。
猛暑の一日ではあったが、千年続く感動的な歴史絵巻を楽しむことが出来た。
島の人口減少はこの先神舞神事継続の厳しさに直面している。地域では原発問題も抱えているが・・・大切なものは何か、県境を越えて皆で考えていかなければならないだろう。