高校女子ソフトボール部の団体などで東横インの朝食には長い行列ができた。

ホテルを出てほど近い日本二十六聖人殉教地西坂公園へ着く。
二十六聖人記念碑。高さ5.6m、幅17m、像は等身大。
記念碑(殉教者群像)はペトロ岐部立像と同じ彫刻家舟越保武氏が4年がかりで制作した。
右から11~16番目の6人はフランシスコ会の外国人司祭と修道士。あとは日本人。右から9番目、10番目と20番目は12~14歳の少年。
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1597年2月5日(慶長元年12月19日)、豊臣秀吉の命令によって長崎で磔の刑に処された26人のカトリック信者。日本でキリスト教の信仰を理由に最高権力者の指令による処刑が行われたのはこれが初めてであった。この出来事を「二十六聖人の殉教」という。26人は後にカトリック教会によって1862年聖人の列に加えられたため、彼らは「日本二十六聖人」と呼ばれることになった。(wikipedia)
京都で全員左耳たぶを切り落とされ、堺~大阪~山陽道~小倉~博多~唐津~武雄~東彼杵~時津~長崎西坂まで580Kmを歩く。西坂に着いてすぐに処刑され、その後80日間晒された。
磔の刑に処された西坂の丘(殉教者群像碑となり)。
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長崎市東出津町(旧外海町)の遠藤周作文学館へ着くと館長の本木治氏が迎えてくれた。
(数年前にじなしは本木館長さんをペトロカスイ岐部神父記念公園へ案内させていただいた)
高台にある文学館の中庭から見る角力灘の景色。日本夕日百選。
中央右の島は九州最後の炭鉱(閉山)の島~池島。期間限定で炭鉱跡や往時の面影を巡る「長崎さるく」ツアー(長崎県の観光企画)が催されている。
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女性学芸員から遠藤周作が思うペトロ岐部の人物像などのお話しを聞いたあと、本木館長さんの計らいで地元のクリスチャンで教会守の方より外海地区のキリシタン遺跡を案内していただいた。
最初に向かったのはクリスチャン墓地にあるド・ロ神父の墓。この集落にはクリスチャンが多いようだ。
マルク・マリー・ド・ロ神父~パリ外国宣教会所属のフランス人宣教師(司祭)である。1868年(慶応4年)6月に来日し、長崎県西彼杵郡外海地方(現・長崎県長崎市外海地区)において、キリスト教(カトリック)の布教活動の傍ら、貧困に苦しむ人達のため、社会福祉活動に尽力した。(wikipedia)
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曲がりくねった細い道を進んで杉林をバスチャン屋敷跡へ。
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禁教令により外海地方の神父がすべて追放された後、日本人で洗礼名バスチャンという伝道者がこの地方のキリシタン達を指導したといわれている。バスチャンは追手を逃れるため隠れ家を転々としたと伝えられており、この地もそのひとつといわれている。
(長崎市HP)
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ド・ロ神父・大平(おおだいら)作業場跡へ。
ド・ロ神父は明治12年(1879)外海地方に赴任してくると同時に地域住民の福祉と生活向上のため、様々な福祉活動・慈善事業に尽力した。農業振興もそのひとつであり、明治17年(1884)から出津変岳(へんだけ)の原野を開墾し農園を開いた。 この大平にある作業場跡も開拓に伴い設置されたもので、建設年代は開墾事業が完成する明治34年(1901)頃と推定される。作業場跡は、石造を主体とし、正面の一部が煉瓦造の堅牢な平屋建物で、通称ド・ロ壁(かべ)の技術が用いられており、愛馬を繋いだといわれる留金具などが残る。ド・ロ神父の多岐にわたる福祉活動の一端を示す遺構として価値が高い。(長崎市HP)
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大野教会堂へ。
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ド・ロ神父が自費を投じ設計して建てた教会堂。
1893年(明治26年)竣工。平屋建、瓦葺、練塀で柱はない。世界遺産(文化遺産)を目指す長崎の教会群とキリスト教関連遺産リスト12件の一つ。
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日本式天井。国指定重文で・・中には入れない。
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出津(しつ)教会堂へ。
この教会もマルク・マリー・ド・ロ神父の設計により1882年(明治15年)建設された。その後信徒数の増加等により2度の増築を経て1909年(明治42年)に完成。教会堂は角力灘(五島灘)に面する風の強い当地の気象に対応して、レンガ造瓦葺き平屋建て(外壁は白漆喰を使用)の低い屋根を持つ建物となっている。
ここもユネスコの世界遺産(文化遺産)候補の1つ。
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外海を後にして・・長崎道で東彼杵町へ移動。
海岸にある日本二十六聖人乗船場跡へ着く。
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1597年2月4日、26人は夕刻3艘の舟にり、翌朝時津に上陸した。
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川棚町の常在寺のキリシタン墓標へ。
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墓地を通り過ぎて階段を上がった山裾にある墓標。日本最古のキリシタン墓か?
大村藩では明暦3年(1657)の郡崩れ(郡村を中心に数百名の隠れキリシタンが発覚処刑された) のあと、領内のキリシタン墓は徹底的に破却されたが、元和8年(1622)に没したこの富永二介の妻の墓碑は奇しくもその難を免れたものである。常在寺の過去帳に明暦2年に死亡した富永治介の名があるが、この過去帳は一度書き直されていて、そのとき二を次に書き間違えたのではないかと言われている。
高さ95センチ、幅30センチ、厚さ12センチの自然石の墓碑の中央・~は略の意で、その下はクルス、○の下にMACI(マルシア)はキリシタン名と言われているが異説もある。富永二介妻、その右に元和八年、左に七月十五日の銘がある。このような和洋折衷様式の墓碑は全国でも珍しいという。    
(長崎県指定史跡)キリシタン墓碑の案内板より
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最後の目的地、波佐見町総合文化会館へ着く。
イベント受付の女性に「INRIの銘入り石製十字架」のことを聞くと・・すぐ後ろのガラスケースに収められていた。
2006年、町民により寄贈された。全長は約45cm、幅は広いところで約8cm。
自然石の四面に十字架が線刻され、広い二面には十字架に加え「INRI」と刻まれています。江戸時代初期、禁教令 以降のキリシタン関連史料と考えられ、十字架が四面に刻まれている点から、墓碑ではなく、礼拝用の道具であったとみられます。信徒たちは、これをひそかに持ち運び、皆で集まっては石製十字架の周りを囲み、敬けんな祈りを捧げていたのでしょう。
この石製十字架は、波佐見におけるキリシタンの様子を知る上で重要であり、また、「INRI」銘入りのキリシタン関連史料は国内でも珍しいことから、非常に貴重といえます。
石製十字架には、迫害に苦しみ悩む信徒たちのさまざまな思いや清廉な祈りの声が刻まれているのです。
~はさみ100選ガイドブックより(波佐見町教育委員会刊行)
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「観光交流センターくらわん館」で波佐見焼の学習をして帰路につく。
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 あっ・・しまった! 波佐見町総合文化会館前にある原マルチノ像を見学するのを忘れていた!

2日間、ユネスコ世界遺産登録を目前にした長崎キリシタン遺跡を駆け足で周った。
長崎における禁教時代のキリシタン史をより深く知ることで・・ペトロカスイ岐部神父の偉大さを再認識する研修旅行となった。


  
  いつもお立ち寄りいただき 感謝&御礼053.gif ありがとうございます

 本日(2016.8.30) 、訪問者数が200,000人になりました!

by jinashi | 2016-08-30 15:58 | ペトロ岐部とキリシタン史 | Comments(6)

ペトロカスイ岐部神父の顕彰をすすめるNPO国東半島くにみ粋群の8名は世界遺産登録をめざす長崎キリシタン遺産の視察研修へ出かけた。
この研修を計画準備中の7月27日、国の文化審議会は本年度の国内推薦候補として「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を選定した。平成29年2月までにユネスコへ推薦書を提出し、同年秋にはイコモス現地調査を経て、平成30年夏に開催される第42回世界遺産委員会で登録の可否が審議されることになる。

ペトロカスイ岐部神父が長崎のセミナリヨまで歩いたであろう「東京大学五野井先生推定コース」を確認する。国東→別府→湯布院→玖珠→日田→甘木→八女までは省略して玉名市へ向かう。

B&G国見海洋センターを6時に出発。宇佐市院内R387経由で大分道玖珠ICに乗り→九州道菊水ICで下りて玉名市高瀬の船着き場跡へは9時過ぎに到着する。
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加藤清正が天正~慶長年間にここ菊池川に米蔵と港を作ったところ。
1600年9月の石垣原合戦(大友義統×黒田長政)で岐部一族は敗走した。翌年、父ロマノ岐部は宣教師を頼ってペトロカスイ岐部と弟ジョアン岐部を連れてこの船着き場から、島原半島先端の口之津~茂木経由で当時長崎にあったセミナリヨへ向かったと推測されている。
現在は(干拓がすすんで)河口からかなり上流にあるが、当時は有明海にほど近かったのだろう。
俵ころがしの坂。
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長洲港から有明フェリーに乗船。
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雲仙普賢岳が近づいてくる。
45分ほどで雲仙市多々良港へ上陸。
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13時にガイドをお願いしていた南島原市ガイドの会有馬の郷(有家案内人えびすの会)山下貞文氏と合流。
最初に有家(ありえ)セミナリヨ跡へ・・  
セミナリヨ=キリシタンの神学校。修道士になるための初等教育機関。
コレジオ=大神学校。聖職者育成及び一般教養のための高等教育機関。

天正8年有馬に設置されたセミナリヨも国内の政情不安やキリシタン弾圧などで各地へ移転を余儀なくされた。有家セミナリヨは規模も大きく府内(大分)セミナリヨもこちらへ合併されたようだ。
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花十字紋入り箱型と干十字紋入り切妻蓋石型のキリシタン墓碑が置かれている。
陽刻された花十字紋。
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近くの墓地にあるかまぼこ型キリシタン墓碑。昭和4年にここの地下から発見された墓標。きれいな花十字とローマ字が彫られている。昭和34年国指定。最も高い価値を有するキリシタン墓標のようだ。ガラス越しなのでよく撮れなかった。
長崎県内には100基ほどのキリシタン墓碑があるようだ。
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北有馬町の日野江城跡(国指定史跡)へ。戦国大名有馬氏の居城。築城は1216年ごろ。
ユネスコ(国連教育科学文化機関)世界文化遺産への推薦を日本政府がいったん取り下げた「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」について、長崎県の「長崎世界遺産学術委員会」は、長崎、熊本両県の14の構成資産のうち長崎県内の2資産を「禁教期との関連が薄い」として除外する方針を決めた。その2資産が日野江城址と平戸の田平天主堂。
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かつての城想像図。
13代有馬晴信は1579年洗礼を受けキリシタン大名となる。1582年大友宗麟、大村純忠(晴信の叔父)とともに名代として有馬のセミナリヨから選出された4人の少年を天正遣欧少年使節として派遣した。1590年帰国の際には日野江城で8日間にわたる報告会が催された。
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国指定史跡となる城址へ・・。
発掘により二の丸への階段には宝篋印塔や五輪塔など仏教石塔が使われたことが判明した。階段は外来系の技術で作られているという。二の丸跡からは金箔の瓦も出土した。
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日野江城南西の麓にあったといわれる有馬セミナリオ跡。 2013年3月には原城とここを訪れた。
ラテン語、日本語、音楽、作文など6年間の西洋教育が行われた。
長崎から有馬へセミナリヨが移転したため、ペトロ岐部は5年間をこの有馬で過ごした。
セミナリヨ終了後に修道士になれず同宿として修行を続けるが、1614年キリシタン追放令でマカオに追放される。
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南有馬町にある有馬キリシタン遺産記念館へ。
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正面彫刻絵はここ南島原出身の彫刻家北村西望の作品で大分市の殉教公園にある「キリシタン殉教の地の碑」のレプリカ。あれ、見たことある・・と思った。
北村西望は長崎市平和公園の平和記念像や原城跡の天草四郎像など多くの彫刻を作った。
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天正遣欧少年使節が持ち帰ったグーテンベルク(活版)印刷機の模型。
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記念館で原城における島原の乱の予習。
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原城跡へ。
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石を落として防御した。黒田勢の宮本武蔵も負傷した・・
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天草四郎像(北村西望作)前でペトロカスイ岐部神父生誕地・豊後の国浦辺の住人達。
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ガイドの山下氏には猛暑の中、あちこちへ案内していただき、ご丁寧な説明をありがとうございました。「聞かんとわからん」ことばかりでした。

口之津から半島海岸線を時計回りで走って夕刻おそくに長崎市のホテルへ到着。
夜は山友・お宮さんご推奨の居酒屋さんで懇親会。
そのむかし、長崎のばあちゃんがお土産でよく持ってきてくれたクジラのコロは懐かしい味がした。
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明日は外海の遠藤周作文学館などを訪ねる・・
by jinashi | 2016-08-29 16:26 | ペトロ岐部とキリシタン史 | Comments(2)

去年7月に菊池渓谷を歩いたとき、初めて夏エビネの蕾を見た。
花の見ごろはいつだろう?と皆さんのレポを調べて・・今年の8月21日に丸を付けた。
ところが、今年はどちらも花が早いらしく、21日には夏エビネはすでに終わりを迎えているようだ。
それでも・・日田のUさんにお願いして福智山へ連れて行ってもらった。

 福智山(901m) 九州百名山~3回目

鱒淵ダムを7時に出発。ここの標高≒160m。
堰堤を渡ってダム湖を周回するサイクリングロード?を歩く。
山頂は雲がかかっているあたりか?
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30分ほど歩いて山へ入る。
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七重の滝コースを登っていく。看板が朽ちて滝名は不明。
最初の滝。
 滝の上に水現れて落ちにけり(後藤夜半) ~当たり前だが・・有名な句
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最後の・・「大滝」か? 日照り続きで水量は少な目か・・
 今日も激暑日だが・・滝の近くはやはり涼しい!
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滝を過ぎると平坦なコースとなる。地元、小倉南区曽根の男性も一緒になる。
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山瀬越分岐を過ぎてゆるやかに登りあがると豊前越。右は尺岳方向。
一休み。
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山頂方向へ向かう。ここは皿倉山起点の九州自然歩道。
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「からす落」へ着く。少し早いが・・ブト、アブの襲撃をかわしながらベンチで昼食タイム。

この先山頂へは木陰も無くなってくるので・・決議の結果、本日はピークハントを中止。
よって・・下山前のからす落で3ショット。
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ホッテ谷新道を下りる。木陰の登山路をグングン下りていく。
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ダム湖に下りて・・吊橋を渡る。
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堰堤を越えて車へ戻る。駐車も多くなっていた。
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咲き残りの夏エビネ
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ヤマジノホトトギス
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ヘクソカズラ
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ヤブラン
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鱒淵ダム7:01→8:42大滝(七重の滝)→9:20山瀬越分岐→10:07豊前越→
11:09からす落(昼食)11:37→13:38鱒淵ダム
 距離≒11.7Km  累積標高≒700m
(GPSマップ)
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by jinashi | 2016-08-24 17:01 | 福岡県の山歩き | Comments(6)

4年に一度、山口県上関町祝島で行われる神舞(山口県指定無形民俗文化財)の見学に出かけた。
2008年以来2度目となる。

2011年に山口県から国東半島に移住した北原慎二さんカレンダー「神舞」の絵。
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16日の出御祭(祝島では入船神事)から5日間にわたって行われた神舞も20日の出船神事でファイナルを迎える。
別宮社がチャーターした姫島フェリーに見学参加者200名?が乗船する。
(往復フェリー券は2000円。数か月前から別宮社総代に申し込んで購入する。)
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7時に出港。伊美港から祝島まで約50Km、2時間ほどの船旅となる。
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姫島灯台沖を通過。
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川崎汽船の自動車運搬船「HAWIIAN HIGHWAY」が近くを通過する。
調べてみたら・・2015年7月竣工。総トン数:75,126トン、全長:約200m、7500台積。(川崎汽船HPより)
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祝島が近づく。
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平さん高石垣の棚田(家)が見える。(ズーム)
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祝島の面積は7.67㎢、海岸延長は12km、かつては5000人いたという人口もいまは400人ほど。
島の真正面に建設予定の中国電力原発建設に対して、農水産物の放射能汚染や、貴重生物の生息保全などを主張した長い反対運動が続いたため、1980年代に神舞は2度中止されている。
祝島は万葉集では「伊波比島」(いはひしま)と表記されている。位置から見ても、祝島と上関港は、奈良時代から近畿と九州の国東半島を結ぶ最短の航路上にあたり、海上交通の要衝となる寄港地であったとされている。
先の7月27日、北海道からの帰路、伊丹~大分線ANA便で上空より撮った祝島。
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港のある本浦地区(祝島中心地)が近づく。
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小屋掛けされた仮神殿前の防潮堤に特別係留される。
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下船すると早速子供神楽の奉納が始まる。
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仮神殿を飾る「切飾り」。
祝島に祀られている15の神々と宮戸八幡宮の16神の字柄を400枚ほど切り抜いている。東西南北の四方神の絵柄96枚も下がっている。
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島民80人ほどで約15メートル四方の仮神殿の組み立てをする。かつては1日で終えたが、住民の減少や高齢化などで3日かかって完成したようだ。
仮神殿には切ったカヤを干して編まれた苫(とま)が使われる。かつては1軒2枚の供出で余るほどだったようだが、今は大変な作業のようだ。
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港から神殿までに2か所ある仮設鳥居。
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鳥居の大歳祭は「五穀の額」。大豆、小豆、ヤイナリ(緑豆)、黒ささげ、黍(きび)の5種(色)の小さな豆を並べて飾られて(作られて)いる。根気のいる作業だろう。
伊美別宮社から授かった種子が実ったことへの感謝を表している。
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祈願神楽では赤鬼に抱かれて泣き出す子供。
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この日一緒に参加した福岡県みやこ町豊津のOさんと一緒に集落巡りをした。
上関からも臨時便が着いた。
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びわ茶は島の特産品。
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地元の男性が練屏について説明をしてくれた。
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遊び心も・・
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シャギリ隊のおばさん? 笛太鼓三味線の賑わい行列隊も引き継がれている。
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仮神殿に戻るとほどなくして還幸出御祭が始まる。
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フェリーは13時に離岸。港外で行われる出船神事を見学する。
波止から見送る祝島の人たち。
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3艘の御座船に乗り移った神職と里楽師ら。
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海上神事を彩る2艘の櫂(かい)伝馬船が勇壮な舞を見せながら先導する。若者も少ないので町が派遣した職員もこぎ手に加わっているようだ。
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港外を3回廻る。
大漁旗をたなびかせてパレードに参加するお伴船。かつては100隻以上の漁船がお見送りしたという・・
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御座船の舳先に座した神職。
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お伴船は三浦湾ちかくまでお見送りする。
フェリーも祝島とお別れ。お互いに手を振って感謝の気持ち表し、4年後の再会を願う・・・
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国東半島が近づく。
16時を過ぎて伊美港へ入港、下船。
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猛暑の一日ではあったが、千年続く感動的な歴史絵巻を楽しむことが出来た。

島の人口減少はこの先神舞神事継続の厳しさに直面している。地域では原発問題も抱えているが・・・大切なものは何か、県境を越えて皆で考えていかなければならないだろう。
by jinashi | 2016-08-22 17:02 | 国東半島あれこれ | Comments(4)

4年に一度のオリンピックイヤーには、国東半島伊美の別宮社と山口県上関町祝島で1100年続く「神舞(かんまい)」神事がとり行われる。

祝島神舞 ~ 平安時代、京都から海路で帰る途中だった豊後国伊美郷(大分県国東市)の人々が祝島に漂着し、もてなしを受けた返礼にと穀物の種を渡したのが起源とされる。以後、約50キロ離れた大分県国東市の伊美別宮社から4年に1度、神職らが祝島を訪れ神楽を奉納している。また、祝島からは神舞のない年の夏に「お種戻し」と称して伊美別宮社に参拝者が訪れている。

詳細は→4年前の「神舞出御祭」で・・

朝7時過ぎに音花火が打ち上げられて、祝島から3艘の御座船が伊美港に到着したことを知らせる。

祝島の神舞神事の役員は別宮社神殿に参拝し、出御祭がとり行われる。
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祝島の皆さんを先導に別宮社裏の伊美港まで御神幸する。
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神職、里楽師が続く。
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伊美港桟橋から御座船へ乗船する。
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この日から5日間、祝島で奉仕する。戻ってくるのは20日。
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出港。港外で大きく3回廻って祝島へ向かう。
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このあと海上50Kmを2時間ほどで祝島へ到着したら「入船神事」が行われる。
櫂伝馬を先頭に御座船やお伴船の船団は本浦沖で 大きく3回廻り、陸上では太鼓、三味線の鳴物のシャギリ隊がお迎えする。
御座船から神様が祝島に上陸し、シャギリ隊を先導に仮神殿に向い神幸着御祭がとり行われる。

20日は「出船神事」が行われ、伊美港から祝島へ祭り見学フェリーが出港する。じなしも参加の予定です。

国東半島の歴史や文化財を研究されている豊後高田市田染の綾部先生も見学に来られた。
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by jinashi | 2016-08-17 12:17 | 国東半島あれこれ | Comments(2)

豊後富士ともいわれる恰好良い由布岳も、4月16日未明に発生した震度7の大地震で山頂部が大きく崩壊した(らしい)。
このまましばらくは登れないのではと思っていたが、11日の「山の日」を前に、由布岳と鶴見岳で実施していた登山道(の一部)通行規制が6日に解除された。
由布鶴見は家から1時間ちょっとで行ける距離で、四季折々に楽しめる山群なのだ。

 由布岳(1583m)東峰 12回目

6時すぎに正面(南)登山口へ着く。
あれ、見た車が・・・

登山開始は6時40分。標高≒780m。去年5月以来久々の由布岳だ。
今日は一人登山。登山口に掲示された注意書きを読んで歩き始める。
薄もやがかかった感じで視界は良くない。
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草刈りされた登山路を緩やかに登って森へ入る。下山は右手、日向自然観察路からの予定。
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しばらく歩いて気が付き・・ナビの電源を入れる(-_-;) 
(最近下山時の保存操作も忘れることがある・・・)
合野越に着いて一休み。
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ジグザグ登山路に朝日がさしてファンタスティック・・
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樹林帯を抜けると・・飯盛ケ城とその向こうに雨乞三山。涼しくなるようにとつい夕立祈願をする。(国東半島では七浦の潮を汲んで湯布院まで雨乞い祈願へ来た記録もある)
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同場所から仰ぐ山頂部。
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湯布院の町も霞む。
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急登を頑張るとマタエに着く。
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マタエから見る西峰の崩壊地。ウバコウジと言われる火口跡まで落ちている。
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東峰へ向かう。急登を少し登っては一休み。
西峰への難所、障子戸は健在?のようだ。(ズームで)
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東峰へ到着。山頂東側はロープが張られて立ち入り禁止。
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西峰方向。二筋の崩壊地が痛々しい。
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今日は遠望は利かない。山頂の気温は22℃。
おやつタイムで一休みしたら・・東登山道コースへ下山開始。
少し下ったところから東峰を見上げる。左側崩壊地ちかくの岩で休んでいたようだ(>_<)
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お鉢巡りコースには何人かが取りついているのが見える。
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分岐から下って行く。
直下の鎖場あたりの難所は以前と変わっていない感じ。
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お久しぶりの「熱愛の木」
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日向越に着いて一休み。日向自然観察路を歩いて正面登山道へ合流。
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由布岳を振り返る。朝よりだいぶクリアになっている。
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無事に下山。あちこちに崩壊したところはあるものの、登山道自体は思ったほど危険な所はないようで一安心。(お鉢巡りはしなかったので不明)

15分ほど前に下山していた国東のH田さんと3日ぶりに合流。考えることは似ていた^^
朝駆けしてペルセウス座流星群は見えたのか?聞き忘れた。


正面(南)登山口スタート6:40→6:51分岐→7:15合野越→8:31マタエ→8:52東峰9:05→9:17東登山道分岐→10:12日向越→10:58合流→11:08登山口へ下山
(GPSマップ)
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ホソバノヤマハハコ
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ホソバシュロソウ
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イヨフウロ
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キオン
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ホタルブクロ
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カワラナデシコ
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シモツケ
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最後の?イワタバコ
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by jinashi | 2016-08-15 17:57 | 大分県の山歩き~由布・鶴見系 | Comments(10)

山を登るようになって13年ほどになる。国東半島の山、大分百山、九州百名山などをせっせと?登ってきた。
なので・・今日の「山の日」は特別な祝日となる。

日本山岳会による要望を受けて2013年4月に国会で超党派の議員連盟「山の日制定議員連盟」が発足し、2014年5月に国民の祝日として「山の日」を制定することが可決された。

初めての国民の祝日「山の日」を記念して「山の日記念in大分・くじゅう登山大会」が行われたので国東のH田さん、G藤さんと参加した。

  星生山(1762m) 11回目
  久住山(1787m) 19回目

牧ノ戸駐車場には車が溢れ、初めての山の日には多くの登山者が押し寄せている。 バス停近くの路肩に何とか駐車することができた。
牧ノ戸峠レストハウス横では登山会の受付が始まる。
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受付を済ませて登山開始。
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リオの熱戦も伝わってきて・・下界では今日もさらに猛暑となるだろう。
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逆光で上手く撮れなかったが・・ホオジロだろう。6月にもこの近くで歌声を聞かせてくれた。
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星生山への登り。この稜線から避難小屋広場へ向かおう。
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山頂へのスロープ。
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山頂から硫黄山。静かに噴煙があがる。
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怪獣の背のような岩場を星生崎へ向かう。
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大槍と小槍?
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避難小屋前の「山の日記念集会」会場で3ショット。
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11時よりセレモニーが始まる。
実行委員長の加藤英彦さん(東九州山岳会会長)よりご挨拶。
「山の日の目的は山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝するということ。安全に楽しく登山をしよう・・」
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参加者全員で「坊がつる賛歌」を合唱する。
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国東のMさんによるほら貝の吹奏。いい音を出していました。
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集会を終えて集合写真。(大分合同新聞11日夕刊より)
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久住山を登る。
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毎日新聞社ヘリも飛んできた。
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山頂で昼ご飯を食べていたらH田さんの腕にセミが飛んできて汁?を吸おうとした^^  
調べてみたらコハルゼミのようだ。
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時折気持ち良い冷風も吹いてくる。
天狗ケ城、三俣山方向。
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下山の西千里ケ浜。
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今日は大分市の女性組と由布岳登山路をボランティアで整備されている日出町の男性(O.Hさん)組と同じようなコースを歩いた。
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まだ車が多い牧ノ戸へ下山。
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1700mの標高でも暑い「山の日」でしたが、記念の日に登れたことは思い出に残るだろう。
山登りは人生の縮図・・と言われる。辛いけれどもうれしい山登りをこれからも健康が許す限り続けて行きたいと思う。  山を愛し、自然を愛し、人を愛し・・・

参加記念品のドリンクボトルとピンバッチ。
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牧ノ戸スタート7:21→8:36扇ケ鼻分岐→9:33星生山→10:34避難小屋前広場(集会会場)11:36→12:05久住山(昼食)12:33→14:50牧ノ戸へ下山

(GPSマップ)
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イヨフウロ
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ママコナ
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モウセンゴケ(食中植物)花の後?
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フクオウソウ
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ワレモコウ
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ホクチアザミ
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ヤクシマホツツジ
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マツムシソウ
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by jinashi | 2016-08-13 10:25 | 大分県の山歩き~くじゅう山系 | Comments(4)




一般社団法人Summer in JAPANが主催する国際交流事業でハーバード大学生が国東半島を訪れた。
英語がまったくダメなじなしに旧千灯寺ガイドのお声がかかった(-_-;)

でも大丈夫。
通訳は大分市出身の廣津留すみれさん
大分上野丘高校からハーバード大学(2016世界大学ランキング1位)に進み、現在はなんと、世界のバイオリニストを目指している。聡明な頭脳と語学力そしてバイオリンは高校生の時には国際コンクールで優勝するほどの実力派なのだ。

ここは旧千灯寺の「西行戻し」というところ。
西行法師と寺の小僧との問答はきっと難しい英訳だったでしょう。
すみれさん(左)の通訳を皆さん真剣に聞いてくれた。
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今年で2年目となるハーバード大学生の国東滞在。いろいろと交流メニューがつくられているようだ。
この日は長崎原爆忌。
世界平和をリードしてくれる国際人になってほしいものだ。
by jinashi | 2016-08-11 20:18 | 国東半島あれこれ | Comments(2)

歌手A・KE・MIさんの新曲発表ライブが行われた。
今年3月に発売されたA・KE・MIさんの新曲は「黄昏のラブストーリー」。
作詞はじなしの幼なじみの友人、榎本充行さん。
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充行さんよりだいぶ前からライブのご案内をいただいていたので、ママと別府へ出かけた。
会場は別府トキハ前の「音温(ねおん)」。
かつて映画館だったところがライブ会場に変身していた。
(1階にはたこ焼き屋さんもあり~ライブ閉会後の画像)
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会場にはすでに多くの観客で満員。2階の隅へ。観客はほぼ高齢者003.gif
ライブ開幕。「黄昏のラブストーリー」を歌う。中高年の願望?を越地吹雪のような低音で聞かせてくれた。
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作詞家の充行さんとA・KE・MIさん。
杵築市在住で若いときは名古屋でモデルをしていた?
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作曲は衛藤由郎さん。実は充行さんの弟だ。
兄弟で昔作った曲を歌う。いいなぁ・・・
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歳を忘れてA・KE・MIさんと一緒になった2時間のライブでした。
こんな時間もまた楽しからずや~



2016年9月2日(金)大分合同新聞夕刊に載っていました!
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(2016.9.3追記)
by jinashi | 2016-08-10 09:44 | 国東半島あれこれ | Comments(0)

今日は71年目となる広島「原爆の日」。
そして、リオオリンピック開会式の日。

もうひとつ・・福岡県築上郡吉富町の八幡古表(はちまんこひょう)神社ではオリンピックと同じ4年に一度の海上渡御祭(放生会)が行われ「細男舞(くわしおのまい)・神相撲」(国指定重文)が奉納される日でもある。


中津市伊藤田の古要(こよう)神社でも古要舞(傀儡子(くぐつ=木で作った人形)による舞)と神相撲(傀儡子による相撲)が3年に一度の10月12日に奉納されている。
古要神社も八幡古表神社も宇佐宮による大隈日向の隼人征伐(720年)の後、天平16年(744年)8月、宇佐の和間浜にて行われた隼人の霊を慰める放生会に傀儡子2艘で芝居が奉納されたことに始まる。

原爆投下時刻に黙とうして家を出る。カーラジオでオリンピック開会式の中継を聞きながら吉富町へ向かう。
今日も日本各地に高温注意報が出ているようだ。

八幡古表神社へ着くと、ちょうど祓式が終わって河口の祭典会場へ行列が出発するところだった。
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氏子10区の傘鉾が笛、太鼓、鐘のお囃子で行列する。太鼓係は子供たち。
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山国川河口の祭典会場。
ここは史跡「高浜遠見番所跡」。
高浜遠見番所の由来は、文禄元年(1592)秀吉の朝鮮出兵によって、中津領主黒田氏は高浜京泊の湊から出陣。その留守中この地に遠見番を置いたのが始まりで、その後、寛永十四年(1637)中津領主小笠原長次が、この地から島原の乱に出陣、留守中遠見番を置き、翌年帰陣後にこの地に番屋を建て、初めて定番の役人を置いた。(説明板)
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山国川の上流方向。
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傘鉾行列が吉富港方向から到着する。
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祭壇のある仮設テントの両サイドに傘鉾5基づつが安置される。
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しばらくして、女神騎牛像(神功皇后)に従う47柱の神々(傀儡子)の渡御船が河口の方からこちらへ向かう。
かつては何十隻の船が出て賑わったと・・となりの老人?が話している。
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神相撲船が着くと祭壇で神事が行われる。
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神職による放生会(仲秋祭)が行われ、木箱の蜷(にな)が海へ撒かれる。
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殺生を戒める仏教儀式の放生会を行ったことが・・宇佐宮が神仏習合の始まりと言われている。
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蜷貝放生にあわせて船上では細男舞が奉納される。
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傀儡相撲の奉納。
船上の笛太鼓鐘のお囃子は中津古要神社と同じように聞こえた。
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八乙女の舞。
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テント祭壇前では岩戸前のアメノウズメの舞(神楽)が奉納される。
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最後に春夏秋冬~四季の守護神へ「献餅の儀」が行われる。
宮司、宇佐神宮宮司、総代長らにより海に餅が投げられる。
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河口の会場から傘鉾が行列して還御につき海上渡御祭を終える。
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八幡古表神社へ戻って参拝。
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本殿には八幡神、神功皇后、豊姫命を祭る。
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東脇殿に四十柱(よそはしら)神社。細男舞と神相撲の神を祭る。
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西脇殿に住吉三神を祭る。
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この日の夜は本殿で大祭が執り行われ、こちらで細男舞、神相撲が奉納される。
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神殿には氏子より奉納された傀儡の着物が虫干しされている。
「おいろかし・七夕まつり」と言うようだ。
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中津古要神社の傀儡舞には3年おきに出かけている。
吉富町八幡古表神社の神相撲は初めての見学だったが、同じ宇佐神宮の歴史を伝える貴重な祭典であり、いつまでも大切に続けてほしいものだと思った。
by jinashi | 2016-08-06 21:37 | 国東半島あれこれ | Comments(2)