仙岩山(せんがんざん・569.8m) 宇佐市上麻生~大分かくれ名山  

マップ(赤=ピーク往復コース 橙=岩尾根コース) ※拡大します
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クリスマス寒波もやって来て、今年もいよいよ押し迫ってきた。
雪山も気になるところだが、今年の登り納めは2月に登った宇佐市麻生の高山近くにある仙岩山に登ってみよう。

仙岩山はMORIさん、信ちゃん、よっちゃんさんや辻本さんなどのネット情報を見ていていつかは登ってみようと思っていた。岩峰スリリングコースもあるようだが辻本さん2012・11・27の安全コース「ピーク越えコース」を往復してみよう。

宇佐市麻生から県664へ入り仙人入口から狭い山道となりくねくねと登る。榎木橋を過ぎると広い舗装路となり(牛岳登山口を何とか確認して)登山口手前にある仙岩山展望所へ上がってみる。
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展望所先端まで約200m。そのほぼ先端から奇岩が連なる仙岩山耶馬渓を見る。岩峰スリリングコースはあの耶馬を行くようだが…どうやって行くのだろう。
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県道がカーブした所にテープや山名プレートがにぎやかな登山口を見つける。
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登山口から山へ入る。10時38分。
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山頂まで大小4つのピークがあるようだ。
最初の小ピークあたり。
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次の504mピーク。
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前方に次のピーク(前衛峰)を見て急坂を一気に下っていく。倒木も多くなる。
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こんどは鞍部から登り返す。
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Wストックは邪魔な四足登坂となる。陽も射してきた。
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登り上がった前衛峰から西方に見る牛岳。北の樹間には起立した障子尾根が見えている。
標高≒550mあたり。
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その先の足元にあるチョックストーン?
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大岩が起立して神秘的な空間も。その先は絶壁となっているようだ。
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前衛峰から再度一気に下っていく。倒木を越えていく鞍部あたり。左に岩峰コースからの道が合わさるようだ。
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いよいよ本峰の急勾配に取り付く。立木に掴りながら登り上がった肩へも岩峰コースが繋がるようだ。
右向きとなったコースはアオキの群生地を抜けコナラの落葉に変わると左手に山頂が見えてくる。
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何個もの山名標識が迎える仙岩山山頂。11時47分。
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572m標識もあるが国土地理院マップでは569.8mのようだ。山頂写真。
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山頂にある石柱。
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一休みしていると砂糖のような雪が落ちてきて寒くなってきた。12時6分下山開始。
下山路より南に見る鹿嵐山(かならせやま)。
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往路もアップダウンを繰り返して県道へ無事に下山。13時5分。
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下山後の県道から見る仙岩山耶馬渓。また紅葉のシーズンに来てみたいものだ。
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地味なかくれ名山の登り納めとなったが…今年も恙なく山歩きを楽しめたことに感謝(*^_^*)

          ヤブコウジ(藪柑子)?
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          色づき始めたアオキ
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by jinashi | 2012-12-24 18:19 | 国東半島・宇佐の山歩き | Comments(5)

くじゅう中岳(1791m) 10回目 
 天狗ヶ城(1780m) 7回目

ブログ「信ちゃんの美夜古だより」12月13日を見て、この冬初めての雪山を期待しながらくじゅうへ向かう。(前日から牧ノ戸ライブカメラはお休み中)
昨日の雨も止んで今日は一日晴の予報だ。前日から気温が上がって暖かな夜明けとなり、7時20分の長者原の気温は3度。
やはり…牧ノ戸峠に着くと雪は無い。

登山口からコンクリート道へ入る。7時45分。
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沓掛山の影が合頭山へ被さる。
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雲海から顔を見せる由布岳。
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涌蓋山も
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阿蘇高岳と根子岳も
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雪が残る登山路。扇ヶ鼻分岐手前。
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星生崎辺りから見る祖母山系。右奥にうっすらと尾鈴山か?
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避難小屋へ下りる。数年前に階段状に整備されたが荒れてきた。
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空池の縁の向こうは雲仙普賢岳か?
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御池に到着。氷も融けはじめている。
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ひびが入った氷面。ときどき池から鳴き声?(氷が解ける音?)が聞こえる。
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10度目の中岳山頂。10時22分。
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山頂から大船山方向。
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久住山、扇ヶ鼻方向。
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稲星山。
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坊がつると平治岳。左に三俣山。
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天狗ヶ城から見下ろす御池。左上に池の小屋。
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ドロドロにぬかるんだ登山路を戻る。13時40分に下山。
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小春日和となった師走のくじゅうでした。

本日のGPSマップ。(拡大します)
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by jinashi | 2012-12-21 12:52 | 大分県の山歩き~くじゅう山系 | Comments(2)

奈良大安寺の僧行教(紀氏一族・空海の弟子とも)は宇佐八幡神より「われ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」とのご神託があったとして京の裏鬼門(南西)にある男山に石清水八幡を建立する。貞観2年(860年)のこと。以後、神主(別当)を行教一族の紀氏が継承することとなる。
さらに行教は、宇佐八幡弥勒寺荘園の伊美郷を石清水八幡へ寄進することにより、石清水八幡のご分霊を伊美郷へ勧請して別宮社を建立する。仁和2年(886年)のこと。
こうして紀氏は畿内から伊美郷に進出しその一族の岐部氏(や櫛来氏)が次第に力をつけてこの地方を治めることとなる。
戦国時代には岐部氏は大友家臣として国東半島の水軍(浦辺水軍)を取りまとめた。ザビエルと謁見した大友宗麟が受洗したことで岐部一族にもキリシタンになったものが多く、ペトロ岐部の父ロマノ岐部も岐部氏の有力家臣だった。

その岐部氏も大友吉統とともに石垣原の合戦で黒田如水に敗れ、一族は逸散する。
その逃げ城が正月屋敷と言われている。合戦翌年の正月には大根をもちの代りに食べたともいわれている。

(国東市国見町櫛来と岐部の境界あたり)


数日前にいっちゃんより正月屋敷探検のご案内をいただく。
岐部のふるさと展示館Pに9時に集合。
本日の探検隊メンバーはいっちゃん、富さん、そしてみっきーさんとじなしの4名。

いっちゃんの先導で岐部オレンジ道から作業道を山へ入る。岐部谷の西山沿いにをすすんだ道の脇へ車を停めて新しいコンクリート道をすこし上がる。9時46分。
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富さんが赤テープをつけながら自然林の山へ入る。
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すぐに稜線が見えてくる。
尾根へ上がると人工的に配置された自然石が列をなしている。
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傍には石が散らばっており、家の基礎をなしていた石かもしれない。9時52分。
ここが正月屋敷の後なのだろうか?
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その中にある30~40㎝角ほどの石に彫られているのはクルスなのか?
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尾根は南へと高まっている。その櫛来寄りの土塁状になったところはシシ垣かもしれない。
シシ垣=猪垣、鹿猪垣、鹿垣と書かれるようだ。
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櫛来の人は昔から櫛来社(岩倉社)を尊崇し、その眷属として鹿を大切にしてきた。しかしこの鹿が田畑を荒し村民が困ったため櫛来村の村境に総延長12Kmのシシ垣を築き、村から鹿を追い出したという。以降、櫛来の人は鹿を捕ったり食べることは出来ないこととなっており、今でも固く守られている。
その土塁にそって上がりついたピーク(約250m)の岐部寄りに大石が見えてくる。(矢印)
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高さは1.2m、横は1.7mほどか。10時6分。
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3か所にクルスが刻まれている。隠れキリシタンの拝み石か?
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少しわかりにくいか…
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直線彫りで新しい感じ。
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右手前方には鷲巣岳や黒木山が頭を出している。
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その先のピークまで行ってみる。
途中の鞍部手前から不動山や千灯岳が絶景だ。初めて見る角度です。
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登り返したピークは手前のピークとほぼ同じような高さか。
枯木立の間から櫛来の谷が見えている。10時25分。
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伊美の亀崎沖には船も見える。
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元の正月屋敷跡?に戻り、その先の204.7mピークへ上がってみる。
ここにも石が多く転がっているが…?
204.66m4等三角点「岐部」。10時59分。
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猪さんの通り道を歩いて車へ戻る。
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前回いっちゃん達が来た時には見事な紅葉だったという。11時14分。
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400年以上の時が経って、遺構は平たくなりそして堆積物に覆われていく。
敗戦の武将たちがどんな思いでここで過ごしたのだろうか…

 本日のGPSマップ(拡大します)
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by jinashi | 2012-12-15 17:06 | 国東半島あれこれ | Comments(8)

1日(土)は豊後高田市田染地区の峯入り初日コースを歩く

春秋の年2回開催してきた「み仏の里くにさきウオーキング」も第10回の記念大会を迎えた。
今回は日本ロングトレイル協議会認定コースを目指して策定中の「国東半島峯道ロングトレイル(仮称)」のプレウオークも兼ねて開催された。

前夜には「いこいの村国東」で日本ロングトレイル協議会事務局長で滋賀県高島トレイル運営協議会会長の前川正彦氏による講演会も行われた。
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ロングトレイルによる魅力アップ、資質アップ、収益アップについて熱く語る前川会長。
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 ロングトレイル=欧米で盛んなハイキング(トレッキング)の一種。「歩く旅」。
 トレイル=踏み慣らされた道



今日のコースは国東市から出て初めての大会となり、(熊野磨崖仏往復をカットした)豊後高田市の「峯入り初日コース」を歩く。
GPSマップ(青鬼さん提供)
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スタート会場の豊後高田市田染小学校には沢山の参加者が集合する。
予定していた80名を大きく超える112名が参加してくださいました。
8時45分から開会式。最初に平野実行委員長のあいさつ。
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設立準備委員会顧問の山岡氏により国東半島ロングトレイルについての紹介が行われる。
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前夜講演をしていただいた日本ロングトレイル協議会事務局長の前川正彦氏よりご挨拶。
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高橋実行委員による諸注意事項の周知。
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徳丸実行委員による準備体操。
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この冬はじめての北風が寒い中、朝9時にスタートする。じなしは前川さんと最後尾のサポーターにつく。
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最初は真木大堂(まきおおどう)の収蔵庫に収められた九躯の仏像について見学をする。
これらの仏像は国東半島であったさまざまな時代の歴史的危機にも地区の人々の信仰心により守られてきたと言える。
平安~藤原時代の傑作木像仏。国指定重文。(写真撮影不可です)
隣の六郷満山本山本寺伝乗寺(でんじょうじ)に窮屈に?納められていたのです。
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伝乗寺裏から山道に入る。ここは峯入りの道。
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朝日・夕日観音先の間戸耶馬展望所から小崎荘園を俯瞰する。
平安末期以降宇佐神宮荘園として集落や田畑の位置がそのまま残っていることから平成22年、国の重要文化的景観に選定されている。地元小崎の皆さんによる荘園領主制度や周年のイベント開催など並々ならぬ努力により保全されている。
説明を聞く前川さん。隣(左)は地元ガイドの河野さん。
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銀杏黄落の岩脇寺に着く。
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六郷満山本山末寺日野山岩脇寺は伝乗寺の末寺。現在無住で地区の皆さんが守っている。
説明をしていただいたガイドの井堀克昭さん。井堀さんは平成13年の峰入り(一般人が初めて参加できるようになった)で満願成就されています。当時69歳だったそうです。
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散華をおこなう六所神社参道を越える。
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七田(しった)から山道を越える。高橋実行委員の執念?で繋いだ昔の峰入り道だ。
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途中の霊場。岩屋に十王や観音菩薩などが祀られている。白蛇伝説もあると聞く。
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蕗の里に下りて富貴寺へ向かう。
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12時をだいぶ過ぎて富貴寺に到着。紅葉の土曜日で多くの観光客で賑わっている。
駐車場先の階段で昼食とする。
一休みして富貴寺へ詣でる。
九州最古の木造建築物で国宝。平泉金色堂、中尊寺阿弥陀堂とともに日本三阿弥陀堂といわれる。12世紀に宇佐八幡大宮司によって建てられた祈願所とも…。
この日の夜はライトアップされたお堂でミニコンサートも予定されているようだ。
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お堂の中では綾部栄徳先生により説明をしていただきました。
地元豊後高田市で観光ボランティアガイドを養成されています。
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富貴寺を発ってひと山越えて田染に戻る。
最後の立ち寄りポイントは元宮磨崖仏。
室町時代の磨崖仏である。近隣の熊野磨崖仏、鍋山磨崖仏とともに「熊野磨崖仏附元宮磨崖仏及び鍋山磨崖仏」として国の史跡(1955年2月15日指定)に指定されている。田染八幡神社の北側の岩壁に抉られた龕に、不動明王を中心として、右に矜羯羅童子、毘沙門天、左に持国天、地蔵菩薩の5体の像が東面して薄肉彫りで刻まれている。不動明王の左側にはかって制咤迦童子があったと言われるが、現存していない。地蔵菩薩は他の像に比べて小さく、後世に付け加えられたものであるとされる。2001年に磨崖仏を覆う堂が設置されている。
(wikipedia)

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参加者全員が初冬の田染路約15kmを完歩する。お疲れ様でした。
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2日(日)は安岐の古刹を巡り三浦梅園旧宅を訪ねる

山下事務局長の軽トラの故障を聞き、堀田(元)整備士を派遣して一件落着。
バタバタと会場準備をする。
うっすらと青空も見えているのだが…今日はくもりのち雨の予報となっている。
国東市安岐町富清の旧西武蔵小学校(廃校)で開会式。
冨永実行委員(市教育委員)より主催者あいさつ。
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昨日に引き続き、日本ロングトレイル協議会認定コースを目指して策定中の「国東半島峯道ロングトレイル(仮称)」のプレウオークを兼ねている。
設立準備委員会の林浩昭会長よりごあいさつ。
今日はみなさんと一緒に完歩を目指します。
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本コースの諸注意のあと木田実行委員の先達で75名の参加者がスタートする。
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ヤギさんのお出迎え。
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林道へ入るとポツポツと早くも雨が落ちてきた。
じなしは最後尾でリハビリのため参加された宇佐市のファミリーをサポートする。
皆さんにすこし遅れて瑠璃光寺に着く。
名物住職より国東方言の説法を聞く。
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お茶とたくあん漬けのお接待を頂いて寺を出る。
ここから裏山を越えていく。
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オレンジ道路に出る。
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朝来の禅寺西白寺に着く。住職は不在。
若き梅園が読めない文字を調べに字引があったこの寺まで4kmを歩いて来たという。
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里道を歩いて護聖寺に着く。現在は曹洞宗のお寺だが、元は六郷満山中山十ケ寺なので六郷満山三十三か所巡礼十五番札所となっている。
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この寺には素晴らしい石造文化財が残っている。
二基の板碑は県指定文化財。
右は大分県最古の板碑で正応4年(1291年)の作。高さは約1.8m。左は嘉暦4年(1329年)作で高さ約1.7m。
※板碑は順修(死者の冥福を祈る)や逆修(自分の死後の冥福を祈る)ための供養塔。国東半島に特に多い石造文化財。
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石殿(笠の下は十王か?)
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宝篋印塔
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一石五輪塔
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護聖寺からは裏山へと入る。
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上り坂が続き、遅れた参加者(不整脈があるという)をサポートしていく。
本部へSOSを発信していると昼食場所の「梅園の里」の裏へ着く。12時30分。
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お昼のバイキングや法事のお客で混雑する梅園の里で昼食を頂く。ふっと一息して温まる。
13時13分、梅園の里を出る。すこし雨脚も強まったようだ。
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梅園の里下のキャンプサイトから山へ入る。
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緩やかにひと山越えると梅園旧宅へ下りてきた。
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梅園資料館館長さんより説明がある。
三浦 梅園(みうら ばいえん、享保8年8月2日(1723年9月1日) - 寛政元年3月14日(1789年4月9日))は、日本の江戸時代の思想家、自然哲学者、本職は医者。豊後国(大分県国東市安岐町富清)の出身。諱は晋(すすむ)。
条理学と言われる独自の学問体系を築いた『玄語』が有名。主要著書としては、他に『贅語』『敢語』がある。これらは、梅園自身によって「梅園三語」と命名された。この三著作が梅園の思想の骨格をなすのである。このうち『贅語』と『敢語』は完成したが、『玄語』は37年の歳月を費やして、ついに完成できなかった。
「梅園三語」以外の著書には、詩学概論『詩轍』(してつ)、経世論『価原』、医学書『身生餘譚』『造物餘譚』などがある。
また、読書日記『浦子手記』には、道家の系譜の哲学概論『淮南子』、西洋天文学説『天経或問』をはじめ、『荘子』『列子』、宋学、朱子学、仏教書などの数多くの書名も記されており、三浦梅園の思考はこうした当時の分厚い教養の上に成立していると思われる。また、陶弘景(456-536、医者、道教家)、韓康伯(4世紀)の人となりを慕っていたという。
梅園は三度旅をした以外は、故郷の大分県国東半島を離れることはなく、医業の傍ら黙々と思考を続け、その坦々とした生涯を終えた。複数の藩主から招聘の声もあったが、断ったという。
地元安岐町に梅園自身が設計した旧宅があり、近くには宿泊施設、キャンプ場、天文台、梅園などが整備された梅園の里があり、設備の完備した資料館に膨大な自筆稿本類すべてが保存されている。メルカトル図法で描かれた世界地図(梅園自身の筆写)や南天図・北天図(南半球・北半球の星図。同前)などがある。
(wikipedia)

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梅園旧宅を下りるとゴールの旧西武蔵小学校(廃校)が見えてくる。
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しとしと降り続く雨の中、14時過ぎには全員無事にゴールインしました。
お疲れ様でした。
by jinashi | 2012-12-05 10:03 | 国東半島あれこれ | Comments(12)

南九州山旅遠征の帰路に日向市美々津地区に立ち寄る。



耳川河口の美々津港は江戸時代は高鍋藩の上方交易港、明治・大正時代は入郷地帯を後背圏とする物資の移出入港となり美々津はその港町として栄えた。 当時の建物、敷地割が残り、瀬戸内船運の西端にあたり、上方風の商家、操船・水運業者の家、漁家が連なり、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定される。(wikipedia)

耳川河口港に車を停めて町並みを歩く。
江戸時代には上町と言われた豊後街道のメインストリート。
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幕府や藩が民衆に直接伝達する手段として用いられた高礼場跡が復元されている。現在は観光案内板。
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共同の井戸。
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中町通り
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廻船問屋河内屋跡。(現在は歴史民俗資料館)
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ここでは生活の気配があまりしない。高齢化もあるのだろうが保存地区となったことで暮らしにくくなったのだろう。

耳川河口の神武天皇東征お船出の地。よって日本海軍発祥の地となっている。
紀元前、神武天皇が宮崎の皇宮屋(こぐや)で東征の軍議を決定されて大和へ向け出発、船出の港に選ばれたのがここ美々津であったと伝えられている。
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神武天皇を祭神とする立磐神社。
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立磐神社参道にあるお腰掛け岩。東征のおり神武天皇が座ったとされる。 
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1.2km沖にある七ツバエ(竜神バエ)に神武東征2600年に建てられた美々津灯台。
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その左にある小島が一ツ神。
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日向を旅立ちした神武天皇は佐賀関から国東半島へむかう。
古事記では
 神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ=神武天皇)は、兄の五瀬命(イツセ)とともに、日向の高千穂でどこへ行けばもっと良く葦原中国を治められるだろうかと相談し、東へ行くことにした。舟軍を率いて日向を出発して筑紫へ向かい、豊国の宇沙(現 宇佐市)に着くと、宇沙都比古(ウサツヒコ)・宇沙都比売(ウサツヒメ)の二人が仮宮を作って食事を差し上げた… (wikipedia)


じなしブログ「神武東征と宇佐の一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)を訪ねる 2012・7・15」                 ↓
神武東征と一柱騰宮

道の駅日向から入った「日向サンパーク温泉・お船出の湯」でリフレッシュして帰路につく。
by jinashi | 2012-12-04 16:49 | ドライブ&トリップ etc | Comments(2)

南九州遠征初日の金峰山を下山して薩摩川内市の冠岳へ向かう途中、祭の幟と多くの人出を見る。
看板から流鏑馬が奉納されるようだ。じなしの町にも大分県で唯一の流鏑馬がおこなわれており、時間もありそうなので立ち寄ってみる。

ここは鹿児島県日置市吹上町中原。


大汝牟遅(おおなむち)神社の秋の大祭は毎年11月23日に斎行され、流鏑馬は神社前の馬場でおこなわれる。
記録によると、ときの領主島津忠良は加世田城攻めの戦勝を祈って天文7年(1538年)流鏑馬を奉納したことから今に伝わっているという。475年もの歴史ある伝統行事なのだ。

当日早朝吹上浜で塩浜入りして清めの禊ぎをした2名の射手役が神前に向かう。
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神社前で「あげ馬」という神事が行われる。
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祝詞を上げ、馬上から流鏑馬の法や魔除けの法の九字を切る一連の所作を行う。
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神社前の馬場は、直線で約200m、普段は生活道路として使われる舗装路だ。
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その間に的が3本置かれる。
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的は平木板9枚を組合わせて作られる。
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試走の馬駆け前には「別当」役の2人の男の子(5~6年生ぐらい)が駆け足で塩をまいて馬場を清める。
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最初は馬の様子をみるための試走。馬はアラブ系?早からず、遅からずのスピードか。
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本番の馬駆け前には「別当」役はその都度駆け足で手綱を回して馬場を清める。
1人の別当は試走と合わせて4回×200m=800mを駆けることになる。
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いよいよ本番となり手綱を解かれた馬が駆けてくる。
射手が的をめがけて矢を放つとその都度観客から歓声があがる。
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一射ごとに回収される矢は二股の鉄の矢尻で出来た本格的なものでした。
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二人の射手が各3回、計6回走る。当たっても当たらなくても一射毎に新しい的に変えられる。
的に当たったのは半分ほどだったようだ。
終了後には的の平木は魔除けとして観客が競って持ち帰る。じなしもいただきました。
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かつて射手役は世襲で継承されていたが、現在では「流鏑馬保存会」により伝承されている。
(以上は頂いた保存会パンフレットより抜粋しました)

鹿児島県には他にも2か所で流鏑馬が奉納されている。
肝属郡肝属町の四十九所神社の流鏑馬(10月第3日曜日に開催)では中学2年生が射手になって奉納される。同時に「高山やぶさめ祭り」も開催され、多くの観客で賑わうようだ。 

国東市国見町の伊美別宮社には大分県下で唯一残った流鏑馬神事が奉納されている。
伝統ある歴史遺産を大切に守っていかなければならないと感じた。

by jinashi | 2012-12-03 18:13 | ドライブ&トリップ etc | Comments(2)