山野草の宝庫~平尾台

〈blog信ちゃんの美夜古たより〉を見て平尾台のサギソウが見ごろと知る。
じなしはまだサギソウを見たことがない。
「26日の日曜日にはサギソウを見つけに広谷湿原を歩いてみよう」と書き込みをしたらなんと!信ちゃんから「平尾台を案内するよ」とメールをいただいた。

小倉の西日本総合展示場で行われているR社の健康フェアを見学したあと平尾台へ向かう。
昼過ぎに茶ヶ床園地に着いて信ちゃん&俊ちゃんと初顔合わせ。8度目の平尾台となる。
夏休み最後の日曜日とあって千仏鍾乳洞へ向かう車も多かったが、こちらも駐車場は満車。
お二人はストック代りにこうもり傘(じなしが子供のころに(^_^;) 今は死語?)を持って遊歩道へ入る。じなしの知らない初秋の花々を信ちゃんは次々と教えてくれる。
中峠から桔梗の咲く丘を登ると見晴らしが良い。
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ライオン岩を見る。(反対方向からが良いという)
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「まむし注意」を見て広谷湿原へ下りて行く。
はじめて見るサギソウは…あちこちで飛んでいるようだ。
信ちゃん&俊ちゃんはルーペ(百均で買ったそうだ)で小さな花を見ている。覗かせてもらうと…これは良い。
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青龍窟辺りの向こうにうっすらと姫島の矢筈岳が見える。
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雲雀?の道案内。ここに来る度に先導してくれます。
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平尾台自然観察センターPで暫しの山談義。信ちゃんから食べごろのチルドフルーツをいただきました。
記念の2ペアショット。
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いつ来ても平尾台は山野草の宝庫です。
スズサイコやヒナノキンチャクなどは次回のお楽しみとしました。
信ちゃん&俊ちゃんありがとうございました。
お二人と出会うことができてハッピーな一日でした。

            サギソウ
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            ホサキノミミカキグサ(食虫植物)
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            ミシマサイコ
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            キキョウ
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            タカサゴユリ
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            ガガイモ
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            ノヒメユリ
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            ナンバンキセル
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            コマツナギ
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            ヒメシロネ
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by jinashi | 2012-08-27 18:14 | 福岡県の山歩き | Comments(6)

国東半島では代々続く家には石造(木造も)のお弘法様(空海=弘法大師)が祀られている。
そして旧暦の3月21日と7月21日の縁日には、お弘法様の徳を偲んであちこちで「お接待」が行われる。(最近では新暦の4月21日と8月21日に近い日曜日におこなわれるところが多い)
昔は講組で行われていたようだが今では隣保班単位でお接待を出すようだ。また、個人で出す家もある。
お賽銭をあげてお参りするとお菓子や缶飲料を出すところが多くなったが、今でも春は「山菜ごはん」、夏は「うどん」を出すところもまだまだ残っている。
「お接待」は外からの来た人を温かくもてなすことで自己へ幸福と繁栄が回ってくるという教えによる行事といえる。

同級生のてるちゃんから「出て来(こ)んかえ」とご案内をいただいたので、今年も香々地夷の夏のお接待に出かけた。
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夷地区では春のお接待には祭壇にお弘法様と対で不動明王を祀るが夏は観音菩薩が祀られる。
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お賽銭箱にはお米が敷かれている。
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お賽銭を入れてお参りをします。
お参りの際「生麦大豆二升五合~なまむぎだいずにしょうごんごう」と唱えると良いと聞いたことがある。
弘法大師のご宝号「南無大師遍照金剛~なむだいしへんじょうこんごう」に音が似ているからで、すべてお大師さまにおまかせするという意味らしい。
さっそくうどんが運ばれてきました。
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今日は東京から来た中村茜さんと一緒でした。
今年10~11月には「国東半島アートプロジェクト2012」が開催されます。
アーチストが滞在してワークショップや公演、現代アートイベントなどを開催することで国東半島を活性化しようというものです。文化庁、県、国東市・豊後高田市の事業です。
そのプロデューサー役を務めるのが(株)プリコグ代表取締役の中村茜さんなのです。国東六郷満山の史跡へご案内する前にお接待へお連れしました。
東京杉並永福町生まれの彼女にとって、このお接待うどんは衝撃的な味と体験だったようです。
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ふつう?2杯は頂きます。中には3杯の人も^^
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小中学生の皆さんもお参りに来ました。
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てるちゃん今年もお世話になりました。ありがとう!


本年より3年間にわたって行われる「国東半島アートプロジェクト」の総合プロデューサーはNPO別府プロジェクトの山出淳也さん。中村さんはそのスタッフの一員として様々なアートパフォーマンスを仕掛けるらしい。
その舞台候補地となる国見町の旧千灯寺へ中村さんをご案内した。
仁王様の立つ護摩堂跡や奥ノ院、五輪塔群などで何が起きるのか…アートおんちのじなしも楽しみです。


 「国東半島アートプロジェクト2012」 
日程:2012年11月3日(土)~11月25日(日)※11月中の土日に開催
会期中の土日祝には大分・別府からツアーバスが運行されます。
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by jinashi | 2012-08-24 18:30 | 国東半島あれこれ | Comments(3)

ペトログラフ(古代文字)のことを調べていたら南小国町の阿蘇外輪山に押戸石があることを知る。
古代のストーンサークルか!? シュメール文字のペトログラフか!?と言い伝えられているミステリー&パワースポットを(大金峰・小金峰の帰路に)訪ねる。 

押戸石の丘(おしとのいしのおか・845.2m)


阿蘇大観峰そばからR212を小国町へ向かい5Kmほどで左へマゼノミステリーロードという立派な農免道路へ入る。2㎞ほど行くと「押戸石」の看板があり狭い道へ入る。分岐ごとにある案内板。
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くねくねと進んでダート道となるとまもなく駐車場へ着く。
駐車場から見る押戸石の丘。
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緩やかに登っていくと大きな石の頭が見えてきた。
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上がり着くとそこから阿蘇高原がぐるっと見渡せて素晴らしい景色が楽しめる。初秋の風が吹き渡っていて気持ち良い。
説明板には~
「伝説では鬼達が夜な夜なこの山でいしなご(お手玉)をして遊んだ石とも言われています。人為とも思われる石の配置から太古の遺跡ではないかと推定されています。大岩には、約4000年前のシュメール文字がぺとログラフ(岩刻文字)として刻まれていて他の石群と共に深い謎を秘めています」(南小国町教育委員会)

最初に高さ5.5m、周囲15.3mのピラミッド型をした巨石(右)が迎えてくれる。
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その大岩にはペトログラフがあるらしい。アップで見てみよう。
三本線の上部にシュメール文字が刻まれているという。
「神、雨、祈る」の文字が刻まれているというが…風化が進んでいてよくわかりません。
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その先から大小の石が阿蘇に向かってほぼ直線的に並んでいる。
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すこし下り始めた所にある「男女の石」。手前が男性、奥の左右が女性を表すらしい。そういえば…。
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「祭壇石」といわれる岩。落雷の痕跡だという窪みがある。ここ押戸石のほとんどが着磁しているというが、この祭壇石は特に強く磁気の異常を示すという。
(方位コンパスを車に忘れてきた)
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専門家の方の調査(HP)によると
「自然の風化・浸食を受けており、表面の亀裂や浸食模様、落雷痕は数年の単位で変化しているので、その巨石群に古代のシュメルやケルト人のペトログラフ(古代文字)が刻まれていると結論付けるに足りる証拠は存在しない」と報告されています。

 そのHPです
   ↓
 押戸石の丘


それでもここは古代ロマンを感じさせるパワースポットであり、すばらしい阿蘇高原の展望を楽しめるところです。秋の花々もたくさん咲いていました。
ファミリーで訪れていたのは何と!じなしと同じ国東市のTさんでした。いいところを見つけましたね^^


押戸石を後にする。前方には左に涌蓋山(わいたさん)。右にくじゅう連山。
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        カワラナデシコ
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        オミナエシ
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        アソノコギリソウ
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        キツネノカミソリ
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涌蓋山にかかる虹
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by jinashi | 2012-08-22 18:06 | 熊本県の山歩き | Comments(4)

大金峰(だいきんぽう・1396m)・小金峰(しょうきんぽう・1377.3m)
※「おおがなみね、こがなみね」とも呼ぶようだ。 
   九州百名山(地図帳)~80座目  九州百名山(旧)~84座目

八代市泉町 登山口


天気も良さそうなので久々に九州百名山登りの遠征をする。
各地で落雷事故のニュースを耳にするが、「早登り、早下山」を実行するため前日の夕方自宅を出発し車中泊登山とする。
熊本県美里町三和からR445へ入り下津留集落から狭い急カーブの道を(距離は10Kmほど、標高差で600mほど)登ると五家荘の入口となる二本杉へ上がる。
二本杉から700mほど行ったところを右折し狭い舗装林道に入ると右急カーブの左側に駐車場があってそこが大金峰の登山口。以前、京丈山への帰りに確認していた。
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マムシ対策にスパッツを着ける。MORIさんのホームページ(H17年5月)によると「何度も蛇(マムシ?)と出会い、小金峰手前で意欲をなくして引き返した…」というほどの山なのだ。何と、MORIさんはその日に12匹と遭遇している。
  そのMORIさんのHP
      ↓
鈴鹿の風に吹き飛ばされて・九州に!

6時32分スタート。ここの標高≒1070m。ここから小金峰まで約7Kmを往復する。
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沢を遡る所にさっそく「まむしに注意」の看板が立っている。
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しばらく続く登り坂の左手から朝日が射してくると汗も出はじめる。
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登山口に「伐採作業中につき注意」の看板があったが、その現場を通り抜ける。(今日は日曜日で休業のようだ) 切株からヒノキのいい香りがする。
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緩やかな気持ち良い登山路となり、去年の春に向坂山・白岩山から扇山まで歩いた霧立越を思い出す。
右手が開けて遠くに雲仙普賢岳が霞んで見えている。
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足元にはヤマジノホトトギスやシコクママコナの花が迎えてくれる。崩壊地を過ぎると大金峰への分岐に着く。分岐を左へと登っていく。
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ひと登りで大金峰の山頂だ。3等三角点がある。7時47分。
展望は無い。山頂にある寒暖計は17℃を指している。
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分岐へ戻りさらに南へ向かう。緩やかなアップダウンのスズタケの道を歩く。
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「福根」分岐から10分ほどで「攻・せんだん轟(とどろき)」分岐へ着く。左へと小金峰へ向かう。
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右が開けて見えているのはじなし未登の保口岳(ほくちだけ)か?下には舗装林道も見えている。
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ふわふわ落葉の植林帯を抜ける。
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少し下ると大岩の下から清水が湧き出している。冷たくておいしい。
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小金峰への分岐へ着く。(まっすぐ進むと朴ノ木集落へ下りる)
大金峰から1時間30分ほど。一息入れて左へ入り山頂に向かう。
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少しずつ急坂となり山に登っているという感じとなる。
じなしが先行していると後のママから突然の叫び声!  
何と!マムシが尻尾を震わせとぐろを巻いているようだ。じなしは怖くてただ上から「石を投げろ!~笛を吹け!~なんだかんだ…」と命令を発するばかり(-_-)
しばらくして岩穴に入り込んだようだ。その間10分ほどママは睨めっこ。
やはり奴は現われたのだ
ママのザックに着けた鈴も効果は無いようだ。それにしても、じなしは威嚇する尻尾を上からチラッと見ただけだが…、とぐろの横を平然と歩いて来たことを思うとぞっとする。
(見たくもないので当然画像はない)

最後の急坂を登り上がって山頂に到着。3等三角点にタッチ。標識前で急坂とマムシで高まる心拍数(と血圧?)の山頂写真。
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山頂から見る~東に去年11月に縦走した国見岳(左のピーク)と小国見岳(右)。
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同じく国見岳の右手に烏帽子岳。烏帽子岳に登った時にはわからなかったが、なるほど…烏帽子の山容だ。
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南に上福根山。福寿草や山芍薬で有名な山だ。じなし未登の九州百名山。
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麓に去年11月にお世話になった泉町樅木集落あたり。
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軽い昼食をとって一休み。
マムシポイントは不在を確認したら走るように下る。
分岐から来た道を戻る。見覚えのあるところもあるが…こんなところを歩いたかな?というところもあって、見る方向で印象は変わる。
大金峰から登山口へ戻る途中で見える雁股山。去年の7月に登った。
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登りで気が付かなかったのだが、ここはロボット雨量計があった場所のようだ。撤去されて更地になっている。
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無事に登山口まで戻る。12時23分。
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会いたくない奴と会う羽目になってしまいましたが…これも試練。(じなしは5年前の5月に姫島矢筈岳でペアとご対面しています)
マムシ君との出会いもありましたが、木陰の続く山道は夏も佳し。緩やかなアップダウンが続き、ミニ霧立越ともいえる九州山地の往復を楽しむことが出来ました。

今日のGPS(その1)拡大します。
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今日のGPS(その2)拡大します。
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          ヤマジノホトトギス
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          シコクママコナ
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          キンミズヒキ
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          ヤマサギソウ?
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by jinashi | 2012-08-20 21:29 | 熊本県の山歩き | Comments(4)

ロンドンオリンピックの熱い感動冷めやらぬ中、こちらでも4年ぶりの「神舞」行事が始まった。

神舞(かんまい)神事とは~
伝承によれば、仁和二年(886年)八月、豊後国伊美郷の人々が、山城国石清水八幡宮の分霊を奉持し、海路下向中嵐に遭い、祝島三浦湾に漂着した時に始まります。
 当時この地には三軒の民家があり、住民は厳しい自然環境の中、苦しい生活でしたが一行を心からもてなしました。それを機縁に荒神を敬い、大歳御歳の神を祭り農耕を始めたことにより島の生活は大きく向上しました。それからは、そのお礼にと伊美別宮社に「お種戻し」と称し毎年参拝するようになりました。そして四年に一度別宮社から二十余名の神職、里楽師を迎え祝島を斎場に神恩感謝の合同祭事を行うようになり今日に至っています。
 この祭りは、山口県と大分県との海上49キロを三隻の神様船が往復し、大漁旗で飾った奉迎船や櫂伝馬船が織りなす勇壮な海上絵巻の入船出船神事があり、新調の苫で覆われた仮神殿で、伝統にのっとり古式豊かに神楽が奉納されます。(山口県上関町・祝島神舞奉賛会HPより)


祝島を早朝出発した3隻の御座船が、時化のため予定時間を少し遅れて国東半島突端の伊美港へ到着する。8時前。
港外で右回りに3回廻って入港する。
じなしが子供のころには化粧した少年が舳で踊る櫂伝馬舟(かいてんません)も伊美港まで来ていて学校から見学に来ていた。
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伊美別宮社で出御祭が行われる。別宮社の小深田二大宮司は(宮司として)神舞初デビュー。
(吉武猛権禰宜も神舞初デビューです)
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ご神体とともに行列をなしてすぐ裏の港へ向かう。先導の潮振役や長持役は祝島の人がつとめているようだ。
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御座船に乗り込みます。
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御座船に乗る祝島神舞奉賛会の法被姿。
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こちらは神舞Tシャツ。櫂伝馬が描かれています。
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伊美港からも漁船がお迎え(お見送り)に出ます。
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船酔い薬飲んで…祝島まで行ってきます!
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「祝島の神舞神事」は山口県無形民俗文化財となっています。~昭和51年11月指定
(別宮社神舞行事と別宮社神楽は大分県無形民俗文化財~昭和48年3月指定)

祝島では中国電力が建設しようとする上関原発への反対運動が長く続き、昭和59年と63年には神舞行事が中止となっている。
じなしも4年前には最終日の出船行事の見学に行ってきました。
今年も最終日の20日には伊美港から見学のフェリーが出航します。チケットはすでに完売のようです。

1100年以上前から伝わる神舞行事はこれからもぜひ継続してほしいすばらしい歴史遺産です。

このあと御座船が祝島に着くと島では5日間の神舞行事がはじまります。
 「神舞」について詳しいことはこちらへ
  ↓
祝島神舞神事
by jinashi | 2012-08-16 20:39 | 国東半島あれこれ | Comments(4)

くじゅう中岳(1791m) 9回目  天狗ヶ城(1780m) 6回目

九州地方はここ数日大気が不安定で予報もよろしくない。午後から雷雨もありそうなので早めに家を出る。今日も一人登山。
蛇越展望所から見る夜明けの湯布院。天気も良さそう?
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飯田高原から見るくじゅう連山は三俣や星生の山頂部に雲がかかっているもののうっすらと晴れ間も出ている。
ところが…大曲あたりから一変、牧ノ戸に着くと濃いガスに包まれている。
盆休みだから?  次々と車が到着してくる。
登山口からコンクリート道を歩き始める。6時32分。牧ノ戸の標高は1333m。
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扇ヶ鼻分岐辺りでパラパラ降ってきたので雨具を着ける。(最近よくお世話になっています^^)
西千里浜は… 
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久住分れも…
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空池先から天狗へひと登り。8時45分。
貸切でした。すぐ下の御池も見えません。
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中岳山頂。9時3分。
朝駆け組が撤退した後の時間帯か…ここも貸切。
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弁当を頂いて、後はまっすぐに下山。

下山路では次々と登山者とすれ違う。長崎の高校生の「こんにちは」の挨拶が長~く続きます。
最近のくじゅうは若い登山者が増えてきて前期高齢者予備軍のじなしもうれしくなります。

ちょっとの間ガスが晴れて、星生や扇ケ鼻の山腹にノリウツギの白い花が一面に広がっているのが見えました。

牧ノ戸へ、お早い下山でした。10時56分。 
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牧ノ戸を離れると…ザアーっと降ってきました。セーフ!

くじゅうは花も風も光も  秋へとギアチェンジの最中でした。
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かさるる(藤原敏行)

今日のGPS(拡大します)
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          ホツツジ
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          ノリウツギ(ピンク色がかかるとつい撮ってしまいます)
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          コバギボウシ
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          ママコナ
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          ホクチアザミ? ヒヨドリバナ?
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          オトギリソウ
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          ノギラン
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          ワレモコウ 
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          イヨフウロ
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          シモツケソウの群落
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          イブキトラノオ
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          フクオウソウ
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          サイヨウシャジン
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タデ原湿原へ

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          ヒゴタイ
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          オトコエシ
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          ハンカイソウ(終わり)
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          アソノコギリソウ
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          サワギキョウ
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          クサレダマ?
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by jinashi | 2012-08-14 12:40 | 大分県の山歩き~くじゅう山系 | Comments(4)

今年5月13日に行われた第9回み仏の里くにさきウオーキング(の下見に)では、武蔵町の吉弘城や吉弘神社を訪ね戦国武将・吉弘氏の歴史を知ることとなる。

吉弘氏最後の武将統幸(むねゆき)は豊後の都甲荘で10代目吉弘鎮信(しげのぶ)の長男として生まれ、大友義統(よしむね~宗麟の長男)に仕えた槍の名手といわれる。忠実な家臣として石垣原合戦(慶長5年9月13日※関ヶ原の戦いはその2日後)に出陣し、黒田如水の大軍と果敢に戦うも戦死する。永禄7年生まれで没年は37歳。
戦の前に統幸は義統へ西軍(石田三成)につくことを一度は反対したという。
8代目氏直(うじなお)から統幸にかけての4代は皆若くして不運の死をとげている。
石垣原の戦い前に詠んだ統幸の歌 ~
  「明日は誰が草の屍や照らすらん石垣原の今日の月影」
(吉弘氏最後の武将統幸(むねゆき)鎧姿画像~国東市武蔵町の室利則さん所有)
朱の槍は朝鮮役(文禄慶長の役)で明将李如松の軍旗を奪った功により秀吉から授かったもの。
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吉弘氏の菩提寺「金宗院」 
統幸の墓は別府市の吉弘神社にあるそうだが、豊後高田市松行の「金宗院」にも墓があるというので訪ねてみる。
 (豊後高田市松行)

案内人の青鬼さんは以前ここへ仁王像の取材で訪れている。
ありさんと一緒に都甲八幡社の下で合流し、すこし先の脇道に車を停めて歩いて行く。
里道を緩やかに登っていくと連なる石垣が見えてくる。
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永享9年(1437年)6代目綱重の時代には本家の田原氏より都甲荘を与えられ吉弘氏は武蔵郷吉弘から屋山城を本城にし、平時の屋敷は金宗院近くの筧城に置いたという。都甲荘に入った吉弘一族は六郷満山中山本寺である長安寺の執行権を握り、武士を指揮して国東半島の支配体制を確立していく。
勢場ケ原の戦いで壮絶な戦死をした氏直だが…その子吉弘鑑理(あきただ)は大友宗麟の信頼も厚く、戸次鑑連(べつきあきつら)、臼杵鑑速(うすきあきはや)とともに豊州三老といわれた。
統幸の石垣原敗戦により160余年にわたった吉弘氏による屋山城支配の幕は下りた。そして吉弘氏の菩提寺であった金宗院は無住になったという。
金宗院の階段を上がったところ。
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上がってすぐ右手にある十六羅漢や五輪塔。その先にある供養のための国東塔は岩戸寺の国東塔を模してつくられている。昭和48年に一族の末裔により建てられている。
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統幸の墓といわれる宝篋印塔。戦場からひそか持ち帰った首が埋められたという。(戦後に再建されている)
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豊後高田市にのこる昔話 ~「吉弘統幸・吉名川悲話(よしながわひわ)」
吉弘嘉兵衛統幸は慶長5年(1600)大友義統に従い、関が原の戦いの直前行われた石垣原の戦いで黒田如水の大軍と戦い、壮絶な戦死をとげる。
統幸の首は首実検の後石垣原の獄門台に晒されたという。統幸の戦死を聞いた吉弘氏の菩提寺金宗院の住職は統幸の霊を弔うため、密かに石垣原へ統幸の首を取り戻しに行きました。統幸の首は風に光るカヤ原の中に変わり果てた姿で晒されていました。住職は涙ながらに統幸の首を背負い、鹿鳴越より奥畑を経由しやっとの思いで統幸の故郷長岩屋に帰ってきました。前の長岩屋川で統幸の首を洗おうとしました。すると「統幸の首」はカツと目を開き「ああ! 住職よしな(吉名・やめなさい)」と叫んだのです。住職は大変驚き洗うのをやめました。そして寺(金宗院)へ持ち帰り供養しました。それからいつしか人々は、首を洗った此の場所(長岩屋川)を「吉名川」と呼ぶようになりました。

by jinashi | 2012-08-07 18:23 | 国東半島あれこれ | Comments(0)

新聞で石丸謙二郎さんの講演会(無料)があることを知り申し込みをする。
当日、参加者はありさんと青鬼さんとじなしの3人。

主催は大分県北部地域観光圏協議会。協議会は大分県北部の中津市、宇佐市、豊後高田市、国東市、杵築市、別府市、日出町、姫島村の8市町村により構成されエリア内の広域観光を目指している。
会場は豊後高田市中央公民館。

「豊の国千年ロマン」という言葉は、千年の時空を超えてこれらエリアの旅を提案するものです。
 神代~姫島村、宇佐神宮 
 古代~国東六郷満山 
 中世~田染荘園の村
 近世~中津、日出、杵築の城下町 
 近代~豊後高田市昭和の町  



開演時間になると会場はほぼ一杯の聴講者となる。
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最初に豊後高田市永松市長のご挨拶。
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2日間にわたってこのエリアを歩いて回り感想や発見を話す石丸謙二郎さんと聞き手のえみちゃん。
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石丸謙二郎さんのこのエリア一番のおすすめポイントは何と!国見町の「旧千灯寺」でした。
もっと知らせてほしいような、知らさないでほしいような…と話されていました。
最後にBGMとともに国東半島の魅力についてお得意のナレーションをご披露していただきました。
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ちなみに会場の豊後高田市中央公民館のとなりにある蕎麦処「響(ひびき)」は石丸謙二郎さんのお兄さんが蕎麦を打っている有名店。
お兄さんは大分のトキハデパートを退社し湯布院の古式そばで修業したあとここで開業したようです。

 旧千灯寺(と五辻不動尊)のボランティアガイド
       ↓
  NPO国東半島くにみ粋群
by jinashi | 2012-08-04 19:16 | 国東半島あれこれ | Comments(0)

宇佐神宮では今年は7月27日から3日間にわたって御神幸祭(夏越祭)が行われる。
夏越祭は大祓祭ともいわれ、年の前半が経って大祓式を執り行い心を清める禊行事だ。この御神幸祭を見学するNHK文化センター主催「第4回八幡文化を訪ねる旅」に参加した。

午後3時の現地集合までに時間もあるので、前回は欠席した「宇佐神宮境内境外末社めぐり」の一部を青鬼さんに連れていってもらう。
最初に訪れたのは、神武東征では豊予海峡で登場し水先案内人を務めたという椎根津彦(しいねつひこ)を祀る椎根津彦神社。先に「神武東征と一柱騰宮」で訪れた宇佐市和気の柁鼻神社からR10を宇佐神宮方向へ行き、手前の轟整形医院を左折して医師会病院(成人病検診センター)へ着く。初めて来たのだが…何と病院駐車場横に神社標柱があるのだ。
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検診センターのすぐ裏に神社があった。
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椎根津彦は神武天皇一行が豊予海峡(速吸瀬戸)を通るときに国つ神の漁師・珍彦(うずひこ)が現われて水先案内をしたという。天皇は珍彦に椎の竿を授けると無事に難所を乗り切ったので椎根津彦の名を与えたという。
速吸瀬戸に近い大分市佐賀関にも椎根津彦神社があるらしい。
大木の間に祠がある。
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次に訪れたのが…宇佐神宮球場横から少し入った神宮本殿の裏(西)側にある阿良禮(あられ)社。細い里道と水田の間の狭い場所で玉垣に囲まれた禁足地がある。中に高さ1mほどの石柱が立つ。後の山は神宮元宮の御許山(おもとさん)へ続く。
阿良礼は神様の御子の誕生を意味する聖地のようだ。
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阿良禮社からすこし戻ると大尾神社近くに鉾立神社がある。
説明板には
「欽明天皇三十一(570)年に応神天皇の神託が大神比義翁にあり、翁がここに鉾を立てて神座とした。以来和銅五(712)年までの142年間、朝廷の詔(みことのり)により比義翁が玉垣の中の鉾に向かって祭文を奏した聖地である」
鉾立宮跡。すぐ後ろの山には大尾神社への林道が通っている。
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宇佐神宮・呉橋(西参道)駐車場へ移動する。
先に一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)で訪れた宇佐神宮相撲場後の山で騰隈(とうのくま)といわれる所に向かう。(前回はここを下から仰いだ)
呉橋からすぐの道を寄藻川沿いにゆるやかに登ると荒れた雑木林の麓に数カ社が祀られている。なぜここにこうして集まって(められて)いるのだろうか?
貴布祢社 
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淡島社
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稲荷大明神
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荒神社
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天満神社
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表参道へ出る。
春宮(とうぐう)前に作られた茅の輪(ちのわ~俳句では夏の季語)をくぐる。
ほとんどの神社では、夏越祭に茅(ちがや)でつくられた輪を潜って罪や穢れを取り除き心身が清らかになるようにお祈りする「茅の輪くぐり」がおこなわれる。
「水無月の夏越の祓へする人は千歳の命延ぶといふなり」
 の歌も茅の輪のそばに立てられている。
所作は一礼のあと、輪の中を左まわり、右まわり、左まわりと八の字に三回通って一礼する。
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春宮(とうぐう)には応神天皇の末子である菟道稚郎子命(うじのわきのいらつこのみこと)が祀られている。学問にすぐれており天皇に寵愛されていたという。
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年の後期も健やかに過ごせますようにと「茅の輪まもり」を買いました。(300円)
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午後3時となり表参道で後藤正二先生や学級生のみなさんと合流する。
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神輿担きの皆さんは手水舎で清めた後、能楽殿で御祓いを受ける。
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祓所前には子ども神輿がずらりとスタンバイ。
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上宮本殿へと向かう。本殿への参道途中にある夫婦石。
一人の方は両足で、夫婦やカップルの方は手をつないで一緒に踏むと幸せになれるという。
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西大門前でカメラを向けると「橋津道行ばやし」の皆様が囃し立ててくれました。
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いつもは回廊の幕で隠されている上宮本殿の内部を見ることが出来る。3基の神輿が出番を待つ。鳳凰に赤い布が応神天皇(八幡神)のご神体が乗る1番神輿。青い布の2番神輿には大比売神、黄色の布の3番神輿には神功皇后が乗る。
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神事が行われ「お下り」行事が始まる。昔から夏越祭は大祓(おんばれ)祭「夕日の降(くだち)」といわれ夕刻に執り行われている。
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廻りを幕で隠して神輿にご神体をのせる。
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本殿を出て御祓いを受ける。
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穴井宮司がのる神輿。
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それぞれの神輿に宮大工が乗る。神輿がぶつかって壊れた時に修繕するための木槌を腰に差している。
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社務所前で祭りの陣列をつくる。
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子どもを神輿の屋根に載せて健やかな成長を祈願する担手の父親。
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やや疲れ気味の子ども神輿。
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陣列を先導する猿田彦。
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上宮本殿前で写真家の藤田晴一先生とお会いしました。相変わらずアナログカメラをかついでいました。
貴重なこだわり人間(職人)です。

この後陣列は頓宮まで下り、神職により「菅貫(すがぬき)神事」が行われてこの日を終える。
最終日の29日にはお上り行事が行われ、それぞれの御神体が上宮本殿へ戻って祭が終了する。
by jinashi | 2012-08-03 21:23 | 国東半島あれこれ | Comments(2)