六所神社
夷谷周辺は耶馬溪の景観とよく似て奇岩・秀峰が連なり耶馬溪になぞらえて「夷(えびす)耶馬」と呼ばれている。その夷耶馬(中山仙境)を眼前にして上から六所神社、實相院、そして霊仙寺と並んでいる。
六所神社は、隣の實相院や霊仙寺とともに天台宗の一大寺院を成していたようだ。現在拝殿がある位置にはかつて講堂が建っていたという。この地には六所宮の六本杉として記録にも残っている6本の巨杉(御神木)があったことで知られている。
「後醍醐天皇との戦に敗れてこの地に落ちてきた足利尊氏が、再起と戦勝を祈願してここ六所神社に自ら6本の杉を植えた」という言い伝えが残されている。この杉は老朽のため平成元年に惜しまれつつ伐り倒されたが、なんとその売却代金は6本総額で1億円だという。売却先は佐伯市のH銘木店。
建武3年(1336年)に尊氏により手植えされたと伝えられるが…業者によると樹齢はそれより短いといわれている。根元の一部が保存展示されている。
六所神社の足利尊氏伝説の場所に新たに植えられた6本杉。
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山門を入って右手の崖の下に、仁王像が1基下部を土中に埋めたようにして倒れている。半肉彫りで頭が無いが阿形のようだ。作風は旧千燈寺の仁王に似ているような…。
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實相院(じっそういん)
六所神社となりの實相院は霊仙寺の坊のひとつであったといわれているが今は独立した寺院だ。
庭にある高さ4mほどの国東塔。一部が入れ替わっているため県指定文化財にならなかったのだが…立派な国東塔だ。
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霊仙寺(れいせんじ)
霊仙寺は六郷満山中山末寺。本堂の御本尊は千手観音菩薩。年に1回、2月18日に御開帳がある。
本堂となりにある地蔵菩薩石像。像高 4.87メートル、総高6.5メートル 安政7年の作でお寺の屋根より高い一石地蔵尊では九州最大の地蔵様。 両脇には仁王像がいる。近くの山に切り出した時の大きな残石があると住職より教えていただいた。
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正面の楼門。2階部分は六所神社の山門を移設したという。
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楼門右の阿形(あぎょう)像。半肉彫りの仁王像はアンバランスな造りが素晴らしい。
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山門内側左にある蔵王権現。役行者の守護神(化身)。
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右にある毘沙門天(多聞天)像。四天王の一尊で北を守護する。どちらも修験道のご本尊。
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 (伝)吉田光由の墓、渡辺藤兵衛の墓
上香々地から上小畑にぬける道から南へ林道を入った墓地に吉田光由のものといわれる墓がある。
吉田光由(よしだみつよし)
慶長3年(1598年)~寛文12年11月21日(1673年1月8日)は、江戸時代前期の和算家である。
京都の豪商角倉家の一族。久庵と号す。角倉了以は外祖父にあたる。初の和算家毛利重能に師事した。のち一族の角倉素庵のもとで中国の数学書『算法統宗』の研究を行い、それをもとに1628年(寛永5年)、著書『塵劫記』を出版した。同書は絵を多用し基礎から応用まで容易に学習出来るように書かれた数学入門の模範と評価された。晩年には失明し、75歳で没した。(Wikipediaより)

墓地入口にある説明板によると
~光由は晩年には細川侯に仕えていたが、諸国漫遊の途中で夷の地に来てその風光と人情が気に入り「稽古庵」という塾を開き子弟を教育したという。門弟の渡辺藤兵衛が師を探し求めて夷に来てからはいっしょに過ごしたようだ。
墓地に続く道。
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弟子の藤兵衛は宝永4年(1707年)に亡くなり法名俗名が刻まれている。
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その一段上に無名の墓があり寛文12年に亡くなった光由の墓だといわれている。そして今では日本珠算連盟の代表の方々などがこの墓地に参拝に訪れているようだ。
江戸初期の夷は小倉藩細川公領地。細川忠興は親キリシタンであり、忠興の妻玉子は洗礼をうけてガラシャとなる。
無名の墓は白墓と言い、隠れキリシタンの墓と言われている。
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その塵劫記は現在英訳されて世界の人に読まれているらしい。
「塵劫記(じんこうき)」~
明の程大位の『算法統宗』にヒントを得て、1627年に吉田光由が執筆した。命数法や 単位、掛け算九九などの基礎的な知識のほか、面積の求め方などの算術を身近な話題 をもとに解説し、これ一冊で当時の日常生活に必要な算術全般をほぼ網羅できる内容となっている。(Wikipediaより)

夷のとある家には塵劫記の原本が残っているという。
塵~ちり(微小) 劫~きわめてながい時間(長大)
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この夷地区は風光明媚でかつ多くの歴史遺産が残された素晴らしいところと再確認する学習会でした。
by jinashi | 2011-12-29 10:53 | 国東半島あれこれ | Comments(3)

12月16日に引き続いてエコツアーガイド学習会の現地学習会が上香々地の夷地区で行われた。
(夷地区)


エコツーリズムとは~
 自然環境の他、文化・歴史等を観光の対象としながら、その持続可能性を考慮するツーリズム(旅行、リクリエーションのあり方)のことである。エコツーリズム推進法が成立し2008年に施行された。 エコツーリズムを具体化したツアーをエコツアーと呼ぶ。またツアーにおける情報提供をガイダンス(インタープリテーション)という。(Wikipediaより)
国東半島はエコツーリズム推進法のイズム(精神)にふさわしいエリアだとじなしは思っています。そしてガイド人が学習会を重ねることが国東半島の地力アップに通じることと信じています。

今回は地元の香々地町元教育長で郷土史研究家の芳本清一郎先生に講師役としてご参加いただきました。(先生が山友会O会長の従兄にあたることからお願いしました)こちらからはいつものメンバーのありさん、とみさん、いっちゃん、O会長、じなしが参加。青鬼さんと某社長のM野さんも参加していただきました。夷楽庭社に集合して最初に自己紹介。青鬼さんから本日のコースをザーと説明していただきました。

五柱(いつはしら)大明神
最初に向かったのは西狩場の五柱社というところ。
ここは尻付山・はじかみ山の登山口となるところでじなしも何度も訪れている。6年前に初めて来た時には人家の住人に登山口を尋ねたのだが現在は無住地区となっているようだ。
右手に鳥居があって額には「五柱大明神」とある。
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社殿奥の岩屋に前を板で隠すようにして五体の白い石造神像が安置されている。
祭神は思穂身命、天彦根命、天雅日命、沿津日子命、熊野久須毘命。
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社殿横の岩壁に不思議な感じでくっついている丸い岩に古い注連縄がされている。
昔、火事が出た時この岩がジャンジャン鳴りだし皆に知らせたという。そこから俗称「釣鐘岩」というそうだ。また大晦日には風もないのに「クオークオー」と音を立てたので、人々は神様が喜びの声を発しているのではと言い伝えられている。ゆえにこの地区を釣鐘狩場と言われる。
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五柱社の横には薬師堂があったようだ。岩崖に祀られている薬師様と弘法様。
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解説をしていただいた芳本清一郎先生。
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一石六地蔵と仁王像
道路を挟んで五柱社の反対側の民家の裏へ回る。墓地にある舟形一石六地蔵。
さまよう死者たちに救いの手を差しのべて地獄の苦しみから解放してくれる。
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上部へと自然石の階段が続き1対の小さな仁王像が上部にある石殿の祠を守っ
ている。何の神を祀っているのだろう。石灯篭には文政元年(1818年)とある。
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兄弟割石(きょうだいわりいし)
西狩場地区にある兄弟割石。
  割石のそばで猟をしていた人が突然いなくなった… 
  すみかにしようとして入った獣が見えなくなった…
「人も獣も中にはいると出口がわからなくなる」と言われている。
2006年から西狩場地区の人達により立派な注連縄が張られるようになった。
今年はこの18日(日)に張られたばかり。同じような割石が東狩場の六所神社前にもある。
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注連縄張を終えて公民館の門松を立てたら夕方から地区の忘年会が行われる。
地域の絆となるすばらしい行事だ。
よく見ると岩肌から仏様が浮き上がっているようにも見える?
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横岳観音堂
兄弟割石から東の舗装路を上にあがったところにある木浦松観音堂。縁日にはお接待が出されている。
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お堂の中にすこし腹をつきだした仁王像。
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お堂の近くに一字一石供養塔が倒れている。もう一つの台座は猛禽供養塔のものらしい。
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梅ノ木磨崖地蔵尊
東狩場から西狩場へ通ずる道のかかりに梅ノ木磨崖仏がある。駐車場で芳本先生から概要を聞く。
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100mほど入って擬木階段を登ったところの岩壁に地蔵菩薩、左に比丘像、右に比丘尼像2体が彫られている。地蔵尊は仁聞菩薩像とも言われているが?
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廻りにある19基の磨崖五輪塔。
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線彫りの連碑は21基。
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かつては地区の講により百手(弓矢で魔を射る)行事が行われていたようだ。

堂園刻線板碑と磨崖五輪塔
中山仙境登山口近くの民家(板井てる子さん宅~じなしの同級生)から入ると五輪塔が整然と並んでいる。(車庫を建てるとき移設した)その先の石段を上がった場所には宝篋印塔や五輪塔が荒れぎみに立っている。その背後にある2つの岩面に梅ノ木と同じような連碑が線刻されている。両方で50ほどあるようだが風化して判りにくい。昭和28年県指定文化財。
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真ん中にお大師様。左に観音菩薩、右に薬師様が祀られている。ここにも薬師堂があったのかもしれない。
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周辺には磨崖五輪塔や梵字(わかりにくい)などがあちこちに刻まれている。
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中山仙境登山口には石造文化財が林立している。「三界万霊塔」「回国供養塔」「庚申塔」など。この地区には江戸時代から石工の板井一門が活躍していた。一門の弟子たちは板井法橋という名をいただき近隣に多くの石造物を残している。
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てるちゃんからお茶を誘われて遠慮なく家へ上がらせてもらう。次から次へとご馳走でもてなしてくれました。てるちゃんありがとう!
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(かに)庚申塔
てるちゃん宅から少し上った道路横の高台に立つ庚申塔。江戸時代の作。一面六臂の青面金剛に三猿、二鶏、一夜叉。手には三叉戟、蛇をもっている。
そして台座に蟹(かに)が彫られている。(向かって左下の台座に)
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一説では隠れキリシタンのものだという。
~ザビエルがマラッカ(マレーシア)ではしけが座礁したとき、蟹が船底に空いた穴に自分の甲羅を押し当てて浸水を防いだ…。またはザビエルが嵐を鎮めようと投げた十字架を蟹が運んでくれた…。など蟹はクリスチャンにとっては神聖なもののようだ。

    その2へ続く ⇒
by jinashi | 2011-12-29 10:32 | 国東半島あれこれ | Comments(0)

久住山(1787m) 九州百名山~11回目
牧ノ戸登山口~赤  久住山~青

このところ寒波が繰り返し下りてきて、16日には初雪も見られやっと冬らしくなってきた。予報ではくじゅう連山の気温は低く、御池も氷結していることだろう。
今年の最後はくじゅう連山の盟主久住山に登ろう。

飯田高原から見る長者原の湯けむりはまっすぐ立ちのぼっている。くじゅうの山頂部は雲をかぶっているが山腹の一部は雪で白く装っている。
牧ノ戸駐車場には30台ほど。準備をして登山口から(いきなりキツイ)コンクリートの階段へ向かう。
標高≒1333m。今7時33分。
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アイゼンはつけなくても大丈夫そうだ。
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沓掛の温度計は-1℃。意外と温かい(寒暖計が壊れている!?)
沓掛山頂部から階段を下りたら先の盛り上がった丘へ上がってみる。先客の男性が早くもお食事中。
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丘から長者原や飯田高原を見下ろす。タデ原湿原にスポットのような日が射している。
なかなか素晴らしいところだ。
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休憩ポイントの小さな木。霧氷を被るとブロッコリーかパセリを思わせる。
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扇ケ鼻分岐手前の樹氷の下を歩く。本日のハイライト。
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途中から一緒になった熊本の男性と西千里浜星生山分岐で分かれる。
星生崎あたりでガスが切れはじめる。
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星生崎から南へ張り出した展望所?へ向かう。西千里浜方向へブロッケンの前兆のような虹が出てすぐに消えた。
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先端部から久住山と肥前ケ城の間に見る祖母山。
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避難小屋で朝食?ワンタンスープで温まる。9時20分。
(避難小屋となりのトイレは冬季使用禁止のようです)
天狗ケ城から下山してきた若い男性からブロッケンが出たことを聞き、そのデジカメ画像を見せてもらう。きれいな虹色のブロッケンだ。今日も朝駆け隊が6~7人ほど居たようだ。
避難小屋を出ると日が射している。横風が冷たい久住別れの先を登る。
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湾曲した登りを久住山頂部に向かうと更に北西の風が強く寒い。10人ほどが風裏でくつろいでいる。
南側を回り込むようにして山頂に立つ。10時18分。
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一休みして久住山から東に続くピークを歩く。
前方にうっすらとガスをまとった大船山。ここからのくじゅう連山は絶景。
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稲星山との鞍部へ下りたら北に向かう。東千里浜をクロスし、ひと登りすると池の小屋へ着く。
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まっすぐ進むと氷結した御池が視界に入ってくる。おじさんが氷の上を歩いている。
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氷の上を歩きたいのだがアイゼンを着けるのは面倒だ。
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氷の上のワンちゃん。
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下山時に見る硫黄山の噴煙。
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救助犬(訓練のため)を連れた外人さん。
「日本のキャノンカメラ素晴らしい。私の救助犬もくじゅうもとても素晴らしい!」 とベラベラ…と流暢な日本語で話しかけてきました。韓国人の団体に混じって~かわいい(どっかの)外人さんでした。
くじゅうは今、とてもインターナショナルです。(扇が鼻分岐あたりで)
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霜柱が解けてドロドロになった沓掛を越えて無事下山。13時3分。
今年も大分や九州のあちこちに出向き恙なく山歩きを楽しむことが出来たことに感謝040.gif
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おっと…忘れてました。
下山の沓掛で「夕暮れ駆け」?に御出勤の国東・H田さんとまたしても遭遇したのです。後のメールでは〈撃沈〉あそばしたようです。
by jinashi | 2011-12-21 13:44 | 大分県の山歩き~くじゅう山系 | Comments(3)

12月句会
 兼題~「紅葉、黄葉」  講師~河野輝暉

 ポケットに木の実いまだにコロンコロン   きぬこ
 もみじ燃ゆ生命の果てを知るごとく      ひさえ
 ほほ笑みて諸手を出せば散る紅葉     和子
 朗報を窓にさやけく冬の月          ふよこ
 紅葉山をワイングラスに滔々と        やっさん
 木枯らしの来るとも知らで枝の葉よ     清和
 もみじ散る痛みなき日は軽やかに      ふじこ
 スリッパに左右の出来て歳暮るる      じなし

        今年最後の句会 (みんなんかん)
   
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by jinashi | 2011-12-20 13:23 | くにみ句会 | Comments(0)

以前より青鬼さんから提案があった上香々地地区の文化財学習会に出かける。ガイドの会よりありさん、きよさん、とみさん、そして山友会のO会長も参加して9時前に待ち合わせ場所に着く。青鬼さんともう一人同じ勤め先の若いH野さんも到着して7名が全員集合、挨拶を交わす。今日の予定コースについて青鬼さんより説明がある。
国東半島の自然、歴史や文化などの資源を活用した観光振興を図るため、それらの保全保護活動をあわせてすすめるエコツーリズムに取り組もうとじなしが提案。この学習会を「国東半島エコツアーガイド学習会」とし、今日は第1回の学習会となる。

 赤~秋本(薬師堂) 青~施恩寺 黄~行者窟 緑~磨崖庚申

 秋本(薬師堂跡)十五石仏と層塔
秋本地区の県道653を夷へ向かって左手(東側)へ入る。人家の横から溜池を半周して山裾に向かうと害獣除け金網越しに薬師堂跡が見えてくる。
北に向いた高さ1mほどの苔むした自然石に仏像が彫られている。15の仏様は金網越しでははっきりと確認はできない。上部に少し大きい仏様は観音様か?下部には6体ほど並んでいるのはお地蔵様か?…周辺にも輪郭が見えている。十三仏と同じように死者の追善供養のためのものという。(十王と同じような信仰か?)
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奥にある小さな三層塔。高さ90cmほどで上部は欠けているが各層には仏が彫られている。墓標かもしれない。(三重塔の左の石室には薬師如来石像が安置されているが製作は近世のもの)
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 施恩寺の禽獣供養塔と蠢霊大明神
次に向かったのは秋光交差点から広域農道を西へ向かってすぐの施恩寺。臨済宗大徳寺派で山号は吉祥山。仁王像手前の参道脇に貴重な石造文化財が2基ある。
ひとつは「禽獣(きんじゅう)供養塔」。猟師は猪や鹿を「シシ」と呼ぶが、1000頭ほどシシを獲ったらこのような供養塔を建てたようだ。弘化2年(1845年)の建立。国東市国見町赤根の阿弥陀寺にも同じ供養塔がある。
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もう一つは「蠢霊(しゅんれい)大明神」と刻まれた自然石の塔。蠢とはうごめく虫のことで寺の記録によると「カメムシ」のことで、稲を食い荒らすことがないようにカメムシの霊を鎮める供養塔という。杵築市大田俣水には「蝗(いなご)虫供養塔」があり、この蠢霊も蝗という説もある。昔は「ふう神様」と言われていたようで雨乞いや台風避けのものでもあったようだ。
2基の供養塔はどちらも近世に近くの集落からここに移されてきたようだ。
ほかにも国見町竹田津には「蚕霊(さんれい)供養塔」があり養蚕が盛んだったことが偲ばれる。
   これらの供養塔に国東の人々のやさしい心遣いが感じられる。
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となりに弥陀三尊梵字仏石も。
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施恩寺にはほかにも観音堂、累代墓地の無縫塔、十王様、庚申塔、板碑や一石五輪塔など歴史を感じさせる文化財が数多く残っている。
鳥居の横には2組の十王様が。
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和尚さんから寺の説明が書かれた小冊子をお見せしていただいたり、奥様よりお茶をいただいたりと大変お世話になりました。

 役行者が修行したという行者窟
夷方向へ谷を上り三重小学校近く(バイパス)を東へと林道に入る。シシ除け金網ゲートを開けて(入ったら閉めてください)道なりに1kmほど行くと「町指定行者窟役行者像」の標識柱が立っている。駐車場(5~6台可)もあり。
着いたところでじなしが「カメラを忘れた」と一人芝居。(車にありました~お騒がせしました)
標識から山へ入る。整備された擬木の階段を登っていく。
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額に「蔵王権現」とある鳥居をくぐる。
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自然石を積み上げた階段を上がろうとすると…皆の前を猪が(正に猪突猛進で)横切って崖を10数メートル下へ落下した!あー驚いた005.gif ぶつからなくて安堵する。
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石灯籠まで上がると洞窟が見えてくる。
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岩屋には廊下がつくられ奥に小さなお堂が建っている。説明書きでは「大宝元年(701年)役行者が御来遊された霊場」とある。昭和63年にお堂が改修されている。
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堂の中には右に(右足を上げた)蔵王権現。真ん中に役行者(えんのぎょうじゃ・前後に鬼)。左の不動明王は不在?(盗難?) 
蔵王は日本独自の仏で、奈良県吉野の金峯山寺本堂(蔵王堂)の本尊として知られる。(wikipediaより)役行者(修験道)を守護する蔵王権現は鷲巣岳山頂部の岩にも彫られている。
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霊水といわれる湧水が堂の下の方に少し滲みだしている。
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洞窟内から見る。
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石灯籠から見る(右から)尻付山・ハジカミ山・伊美山。手前に中山仙境。
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 磨崖庚申塔
行者窟を下りてさらに夷谷を上る。堂園の隈井酒店(今は廃業?)から200mほど霊仙寺方向へ上り左へと畦道にはいる。
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山裾をすこし進むと青面金剛の庚申が刻まれた高さ2m以上はある大岩が立っている。ほとんどの庚申が塔として建てられているなかで磨崖の庚申はめずらしい。
ガイド人として庚申塔の説明をしてくれたとみさん。お上手でした。
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青面金剛なのに穏やかな顔をしている。顔のまわりの3面は何だろう?
足元には3猿2鶏。足の間にも何か居そう?
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隣の町にもこんなに素晴らしい歴史遺産があることに感動しました。
国東半島にはまだまだたくさんのお宝があるようです。

 たくさんザボン(直径≒20cm)が生って重たそう。 ~施恩寺
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by jinashi | 2011-12-16 12:24 | 国東半島あれこれ | Comments(2)

鶴見岳(1375m) 九州百名山・大分百山~5回目
 鞍ケ戸(くらがど・1344m) ~3回目

鶴見岳西登山口(猪ノ瀬戸登山口) GPSマップ ※拡大します。
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10歳の子供と60歳の大人は、大人が60÷10=6倍速く時間が経つということを聞いたことがある。はやいものでもう12月だ。ことしはやや暖冬ぎみの師走入りとなった。
大陸から高気圧が下りてきて晴天の日曜日となる。りっちゃん、きみよちゃんを誘って鶴見岳に登る。寒気が下りていれば樹氷も期待できる。

塚原からエコーラインに入る。西登山口(由布岳東登山口でもある)には北九州ナンバーが1台のみ。鞍ケ戸山頂部には雲がかかっているようだ。  
くさりのゲートを跨いで山へ向かって歩きはじめる。8時27分。少し寒い。
ここの標高≒810m。
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右に大きくカーブして林道を緩やかに登っていく。正面から朝日がまぶしい。
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15分ほど歩くと林道は終点広場となり、西登山口の標識を見て山へと入る。右下に新しい砂防ダムが出来ている。
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すこし荒れた感じの登山道を進む。石や木につけられた黄色のマークにそって登っていく。2~3度枯れ沢をわたる。
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最初の(荒れた)林道に出て一休み。
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船底新道に上がりつく。今日の下山は左手よりここへ周回する予定だ。標高1100mあたり。
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少し上ると枯れ木の向こうに鶴見岳山頂部の大きなNHKアンテナが見えてくる。山頂部に樹氷はついていないようだ。枯木立に陽光が降り注いでフラットな山道を気持ちよく歩く。
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西ノ窪分岐を馬の背へと左へ向かう。やや急坂のジグザグ道を繰り返して馬の背へ上がりついた。その先には別府湾や別府市街地が眼下にひろがっている。
鶴見岳北の山腹より噴気が流れてきて一帯に硫黄臭がしている。
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右へと鶴見岳山頂へ向かう。展望の良い尾根道となり、振り返ると由布岳や鞍ケ戸が絶景だ。
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雨乞三山(右から倉木山、城ケ岳、雨乞岳)の上に九重連山が雲の上から見えている。
手前は南平台。弁当を広げたり昼寝をするのに最適の山頂だ。
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ノリウツギの急坂をくねくねと登り上がると鶴見岳山頂だ。10時27分。
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東側の足元に別府市街地が広がる。ロープウエイで上がってきた夫婦づれから山の名前を聞かれる。「往復1400円払って10分で山頂に着く」より「タダで2時間かけて登り着く」方をお勧めしときました。
山頂写真。
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往路を馬の背へ戻り、さらに真っすぐ鞍ケ戸へ向かう。
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ロープやアルミ梯子の続く急坂を登り鞍ケ戸の肩に上がる。振り返って鶴見岳山腹の噴煙を見る。「地獄谷赤池噴気口」と言われている。時々ボコッと音がして噴気がやや活発になったように感じる。(ズーム)
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Ⅰ峰で一休み。左右に群生するミヤマキリシマの間を身をよじりながら進む。左に少しずつ形を変えていく由布岳を横目にⅡ峰からいったん下り、鞍部を軽く登り返してⅢ峰の鞍ケ戸山頂に着く。全方位が絶景です。
山頂の陽だまりで昼ご飯をいただいていると後ろから「ヤッホー」とこどもの声が届いた。
元気の良い若いファミリーが軽装で走るようにして上がってきた。何と!ロープウエイで上がってここまで(危険ゾーンを越えて)歩いてきたそうだ。
他生の縁…と元気な首藤さんファミリーと一緒に山頂写真に納まりました。
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安全に気を付けて山登りを楽しんでと…仲良しファミリーとお別れして先へと向かう。
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花の台手前の丘からU字の別府湾が絶景。
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前方に内山急坂を登る4名が小さく見えている。(アップで)
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別府湾方向の絶景とお別れして花の台分岐を左へと船底新道へ向かう。
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船底新道に出会う。
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荒れた船底新道を45分ほど歩いて今朝の西登山道へ出会う。
往路を下って無事下山する。14時34分。
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快晴の下、別府市の背後に連なる山嶺の遊歩を楽しむことができました。
by jinashi | 2011-12-06 15:48 | 大分県の山歩き~由布・鶴見系 | Comments(4)