宿坊持明院では6時30分から朝の勤行が始まり、宿泊した7組が参列した。そのうち3組は白人系の外人さん。(高野山は白人系の外国人が多く、韓国中国系の人はあまり見ない)
30分ほど読経が続き、最後は順に焼香を終えて・・清々しい朝となった。

 3・4日目~懐かしい同期組と再会

その昔、学校を出て神戸(本社)の会社に同期入社した海南市に住むK君が宿坊まで迎えに来てくれた。
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高野山真言宗総本山「金剛峯寺」へ一緒に参拝。昨日は前を歩いて通った。
K君の親戚の子が(事務所に?)務めているそうだ。
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高野槙(まき)を扱う店があった。
かつて高野山では果樹、花樹、竹、漆などを植えることを禁止されたため、日持ち良く水も腐りにくい高野槙を仏壇やお墓に供えるようになったようだ。
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K君への最初のリクエスト地は前日パスしたかつらぎ町の(町石道コースにある)丹生都比売神社。
「丹生」の地名は朱砂の鉱石から採取される朱を意味し、丹生都比売大神はこの地に本拠を置く日本全国の朱砂を支配する一族の祀る女神とされている。大神の御子、高野御子大神が狩人に化身して現れ密教の根本道場の地を求めていた弘法大師を高野山へと導いたという(神社資料より)
これで町石道をフルコースで制覇した?
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海南市に入って昼食は和歌山ラーメンをリクエスト。
NHK新日本風土記で見た早(はや)寿司を豚骨醤油ラーメン?と一緒にいただいた。
鯖のおし寿司はこってり系のラーメンと相性が良い。
醤油は和歌山が発祥の地だと知る。
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和歌の浦や紀三井寺などへ観光案内してもらって・・自宅に泊めてもらった。
ラン栽培が趣味で、いろんな大会(ラン展)に出品して多くの賞をもらっている。
なので山野草(花)にも詳しい。
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夜は近くの店で魚料理をごちそうになった。
実は、9年前にK君と奥さまは国東半島に遊びに来てくれたのだ。久々の再会だったが・・昔のこと、健康のこと、子供や孫のことなど話は尽きない・・・


翌日は入社の1年間を過ごした神戸へ・・・

神戸へ向かう途中、リクエストして堺の「仁徳天皇陵」を訪れた。
仁徳天皇は宇佐八幡宮御祭神・応神天皇の若宮だ。
全長486m、前方部の幅307m、後円部直径249m、周濠を含めた南北の長さ840m、東西654m・・・
日本最大の巨大古墳で地元堺市では、クフ王ピラミッド及び秦の始皇帝墓陵に並ぶ「世界三大墳墓」と称している。 前から見ると小山が連なっているように見える。
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説明板の全景。
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阪神高速湾岸線の港大橋を渡って神戸へ向かう。日本最大のトラス橋。
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神戸へ着いてまず向かったのが阪神御影駅。
ここには独身寮があってK君をはじめ多くの仲間と1年間同じ釜の飯を食った。
周辺は阪神大震災の被害が大きかったところで、むかしの街並みは残っていないようだが・・マンションの建つこの辺りがたぶん寮のあった所だろうと、近くのクリーニング屋さんに聞いたらやはりそうだった。 
もう45年も前のことになる。



次に向かったのが1年間見習社員として軍隊のような現場作業に明け暮れた兵庫突堤の23号倉庫。現在は震災で倉庫として使用不能になっているようだ。
2階が更衣室休憩室。毎朝この前で体操をしてあちこちの現場に向かった。
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体操のあと走って行った現場がバナナセンター。
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南米、フィリッピン、台湾から連日入港するバナナ船の水切り(陸揚げ)入庫、出庫作業に追われた。
一日フォークリフトに乗ってかなり荒っぽい荷捌きだった。
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夕刻になって元町のビアホール「ミュンヘン」へ・・・
(当時は白いひげの爺さんが入口に立っていたような?)
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地元神戸のA君が連絡をしてくれて同期入社の7人が集まった。
あんなことこんなこと・・半世紀近くも前のあの頃を断片的だが次々と思い出した。
まもなくみなさん古希を迎える・・・
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翌朝、三ノ宮のホテルから新神戸駅へ送ってもらって帰路についた。
K君には3日間、大変お世話になりました。



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by jinashi | 2017-06-12 14:26 | 高野山町石道歩き | Comments(2)

いよいよ今日は高野山参詣道「町石道」を歩く。
駅からホテルまで距離があったので、前日にタクシーを予約した。今日は1日長い歩きとなるので体力を温存したかった。
早朝4時30分にホテルを発って橋本駅に向かう。途中のコンビニで食料や水など買い込んだのでザックもかなりの重さになった。

 2日目~九度山から奥の院御廟まで歩く

南海橋本駅5時14分発高野下行の始発電車に乗る。乗客はじなし一人だけ・・・
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13分ほどで九度山駅に着く。
真田家家紋の六文銭が装飾された駅前をスタート。今日は一日晴天の予報だ。
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慈尊院へ向かって歩き始める。
九度山商店街「真田のみち」へ入って(慌てて)ナビをセットする^^;
家々には吊るし飾りや六文銭提灯が提げられている。
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九度山は幸村が蟄居させられて苦難の日々をすごした真田家ゆかりの地。
真田庵は真田幸村父子が隠れ住んでいた屋敷跡に建てられたお寺。
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道の駅「柿の郷くどやま」を右に見て旧道を歩けば慈尊院へ着く。
いよいよここから世界遺産「町石道」がはじまる。ちょうど6時。
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境内に上がると本堂から朝の読経が聞こえてきた。
慈尊院は女人禁制の高野山へ入れなかった空海の母が亡くなったところで「女人高野」と呼ばれる。有吉佐和子さんの小説「紀ノ川」の舞台となったことで「乳がん平癒守(へいゆもり)」を求める人が多く訪れているようだ。
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丹生(官省符)神社へ石段を登っていく。
その途中に最初の町石塔「180町石」がある。
高さ3mほどの五輪卒塔婆で、ここから1町ごとに180基が高野山の根本大塔まで続く。また、36町ごとに里石が5基建てられている。
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慈尊院と茅の輪の置かれた丹生神社へ完歩祈願をして参詣道へ入る。
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この先一町(109m)ごとに次々と町石が現れてくる。
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「クマ出没注意」にはドキリとさせられる。
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九度山は柿の産地で山腹に柿畑が広がる。
摘果をしていた男性に聞くと柿は渋柿の一種でJAで渋抜きをして出荷するようだ。
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展望台に上がって橋本市方向を見る。紀の川がながれる。ここの標高360mほど。
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柿畑が終わると杉林に入り道の勾配が増してくる。雨引山分岐あたりを歩く。
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フラットな杉林を歩くと144町石と共に初めての1里石(右)がある。慈尊院から約4km地点。
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えぐれて荒れた参詣道となる。
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六本杉に着く。標高520mあたり。
真っすぐ進めば丹生都比売神社だが、パスして左へ鋭角気味に進み町石道を歩くことにした。
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古峠を過ぎると二つ鳥居手前に展望休憩所があっておやつタイム。
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天野集落を見下ろす。
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弘法大師が建立した丹生明神と高野明神の二ツ鳥居。
丹生都比売神社からはここで周回合流する。
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大蛇が棲みついているという「白蛇の岩」を過ぎる。
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前が開けたと思ったらゴルフ場だった。
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神田地蔵堂へ着いた。平安鎌倉時代の高野参詣の人々の休憩場だった。
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手入れがされた杉林を進む。こんな急勾配によく植えたものだ。
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百町石でセルフタイマー記念写真。
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笠木峠を過ぎたあたりの丸木に座って昼食。
この辺りがほぼ中間点か?
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3里石を通過。
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みまもり地蔵を過ぎて雑木林を緩やかに下って行くと下に道路が見えてきて、矢立に着く。
やきもちが美味しいという茶店にやきもちは無かった。
ここで初めて休憩中の2人の女性トレッカーに出会った。
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矢立の六地蔵を過ぎるとしばらく急坂が続く。
大師が袈裟を掛けたという袈裟掛石。ここから高野山の清浄結界となる。
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押上げ石を過ぎると大杉が目に付くようになる。
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R480を横切ると左上の国道に車の音を聞きながら谷を進む。
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鏡石を過ぎて沢沿いを進む。
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杉林の急登となって来た。
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ジグザグに登りあがると8町石があって・・・前に大門が現れた!
2か月前にバスで通ったところだ。
九度山から7時間45分ほどかかった。
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高野山の総門で両脇の金剛力士は江戸時代に作られた。
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あと6基ある町石を辿って町中を歩く。
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最後の町石1番石は金堂の森の中にあった。
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壇上伽藍の中門へ着く
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潜った正面に金堂。
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慈尊院側町石ゴールとなる根本大塔に到着!
慈尊院からの所要時間は7時間40分。
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境内を回ったら街道に出て奥の院御廟へ向かう。
今度は根本大塔から奥の院まで36町石が続く。
慈尊院から壇上伽藍までの180町を胎蔵界に、壇上伽藍から奥の院まで36町を金剛界に準えている。

途中、食堂で天ぷらうどんをいただいた。隣席の外人さんからすする様子をチラチラ見られた。
今夜の宿坊を確認して奥の院へ歩いて行く。足腰にだいぶダメージを感じる。

一の橋観光案内所で墓所パンフレット(高野山奥の院の墓碑をたずねて~100円)をもらう。
一の橋を渡ったところが18町石であと半分だ。
ここからは4月のトラピックスツアーでは歩かなかったゾーンだ。
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石田三成墓所
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明智光秀墓所
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豊後岡藩中川家墓所
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前回遠くから見た・・豊臣家太閤秀吉の墓
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織田信長・・
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弥勒石に触れたらその先に御廟橋。ここを渡ると撮影禁止、そして脱帽。
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聖地となる大師御廟(灯篭堂)で本日の参詣道を歩き終える。
2か月前にはたくさんの参拝者でしたが、この時は一人きり。
五鈷杵とお数珠に触れて・・「南無大師遍照金剛」

歩くのももう目いっぱい・・
中の橋からバスに乗って今夜の宿坊へ着いた。
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初めての宿坊体験ですこし不安・・
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明治時代の古い建物だったが風呂も(共同)トイレも新しくきれいでした。
早速貸し切りの風呂で疲れを癒す。
部屋でひとりしみじみと精進情理をいただいた。
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歴史ある参詣道だったが・・九度山慈尊院から矢立までは誰にも会わずに独り歩きを楽しんだ。
(山歩きをするようになって)長い距離を歩けるようになった幸せを感じながら歩いた。
季節の花々にもたくさん出会ったが・・割愛しました。
目を閉じるとフルコースを歩き終えた喜びが湧いてきた。

夜は少し肌寒く、疲れたはずなのに眠りは浅かった・・・


九度山駅スタート5:28→5:43真田庵→6:00慈尊院→6:46展望台→7:20雨引山分岐→7:59六本杉→(丹生都比売神社へは行かなかった)→8:23古峠→8:29展望所(休憩)→8:36二ツ鳥居→8:58神田地蔵堂→9:22百町石→9:55笠木峠(ほぼ中間点・昼食)→11:01矢立茶屋→11:15袈裟掛石→12:01展望台→13:11大門→13:35町石一番石→13:41根本大塔→(丸万うどん)→14:58一の橋→15:54御廟橋(奥の院)ゴール

歩行時間≒10時間30分(休憩や食事、見学時間含む)
沿面距離≒26km
九度山標高≒80m
奥の院御廟標高≒800m
累積標高差(+)≒1500m


 (GPSマップ ~クリックで拡大します)

  前半~    
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  後半~ 
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③に続く~~~


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by jinashi | 2017-06-10 18:17 | 高野山町石道歩き | Comments(8)

4月にトラピックスツアーで初めて高野山を訪れた。
空海により開かれた真言密教の聖地、高野山奥の院御廟へ続く道では独特の雰囲気に圧倒された。

紀伊半島では「熊野三山」、「高野山」、「吉野・大峯」の三つの霊場とそこに至る「参詣道」が世界遺産に登録されている。
古代より多くの人々が訪れた高野山へは7本の参詣道が通じていたようだ。その中心的な参詣道の「町石道(ちょういしみち)」へは、熊野古道とともにいつかは歩いてみたいと思っていた。
4月のツアーですこしだけ町石道の雰囲気を感じたのだが、帰っていろいろと調べているとさらに歩きたい思いが強くなってきた。

梅雨入り前の天気予報を見ながら、若いころ務めた会社の同期入社仲間との再会日程を調整して、4日の早朝に出発することにした。

 初日~大阪ぶらぶら 

この日は夕方までに橋本市のホテルへ入ればいい。
せっかくなので早朝に出かけて大阪の町をぶらつくことにした。
小倉で新幹線「さくら」に乗りかえて10時前に新大阪に着いた。

最初に向かったのは中央区道修町。京阪本線北浜駅を降りて亡き父が丁稚奉公から働いた薬種商乾卯商店(現イヌイ(株))のある場所へ向かう。
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大正元年生まれの父は主に生薬など薬品原料を製薬会社へ卸していたようで、貴重な生薬「牛黄」を腹巻に入れて出張したなどと話していた。大戦前には満州工場長として渡ったのだが、敗戦でロシア兵に追われながら母と姉二人を連れて舞鶴港へやっとの思いで帰国したようだ。

すぐにその会社を見つけた。
国東半島の田舎から出てきてこの場所で薬の知識や大阪商売を叩きこまれたのだろう・・・と感慨深く立ち止まった。
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近くの神農さんを祀る小彦名(すくなひこな)神社へ参拝した。
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電車を乗り継いで天王寺へ向かう。
天王寺駅から15分ほど歩いて四天王寺へ着く。
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拝観料300円を払って中心伽藍へ入る。
四天王寺は、推古天皇元年(593)に建立されました。今から1400年以上も前のことです。『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫りもし、この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました。(四天王寺HP)
去年訪れた奈良法隆寺の伽藍配置に似る?
五重塔の最上階へ上がって仏舎利を拝観した。2-3階にはたくさんの小さな位牌が並ぶ。
(金堂は耐震改修工事中)
左下の向こうは地上300m、日本一の超高層ビル「あべのハルカス」・・2016年4月に奈良を訪れた際、最上階展望所からここ四天王寺を見下ろした。
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四天王寺を出て新世界へと歩いて行く。
初めて見る通天閣。こてこての大阪。
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TVで見たことがある串揚げ店に長い行列。
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小腹がすいたのでたこ焼きを買って立ち食いした^^
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通天閣を出て難波まで歩いた。
途中の日本橋あたり~大阪の秋葉原といわれる電気のまちだが、アニメやゲーム、コスプレ衣装やフィギアなど関西オタク御用達の店が並ぶ。
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やっと南海難波駅へたどり着く。良く歩いた。
橋本行の快急に乗る。
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50分ほどで橋本駅(JRに隣接している)に着いた。ここは和歌山県。
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駅前から歩いて予約したホテルへ向かう。
橋本は「前畑がんばれ!」で有名な日本人女性初の金メダリスト前畑秀子さんの出身地のようだ。
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地図を見てそんなに遠くはないだろうと思っていたが、かなり歩いた。
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明日の本番を前にしてこの日はすこし歩き過ぎたようだ。
近くの店で早い夕食を済ませて早めの就寝・・・

 その②に続く~~~

by jinashi | 2017-06-09 18:51 | 高野山町石道歩き | Comments(2)