カテゴリ:ペトロ岐部とキリシタン史( 26 )

日本人で初めて聖地エルサレムを訪れたペトロ・カスイ岐部神父生誕地である国東市国見町からフランシスコ・ザビエルの聖遺物(身体の一部)がある日出町南端のトラピスト修道院まで、111Kmの「オラショ巡礼の道」お披露目ウオーキングが催された。※111Km=(いい祈り)の道。

前日の土曜日には70名ほどが参加して、国東市国見町岐部のペトロ・カスイ岐部神父記念公園から櫛来地区キリシタン遺跡や城下町杵築のカトリック教会などを巡るウオーキング(一部バスで移動)が行われた。
岐部~櫛来地区ではじなしも国東半島エコツアーガイドの一員として案内役を務めさせていただいた。(その日のTOSニュースで放映されたらしい・・・)

2日目の日出町二の丸館から南端のトラピスト修道院までの巡礼ウオーキングにママと一緒に参加した。

物産館と観光協会がある日出町観光の拠点、二の丸館前で9時より開会式が行われた。
地元、日出町工藤町長さんのご挨拶。
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入念にストレッチ体操。この日は80名ほどが参加したようだ。
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裏門櫓から出発し二の丸通りを歩く。
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秀吉の正室ねねの甥木下延俊が築いた日出城は暘谷城(ようこくじょう)とも呼ばれた。今の本丸跡(左)は日出小学校が建っている。
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東北の鬼門に築かれていた隅櫓(鬼門櫓)。東北隅を欠いた5角形の二階櫓。
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日出藩校「致道館」。県内ではここだけに現存。現在修復中。
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別府湾に出る。前の海には海底から真水が涌く場所があり、そのあたりに生息するカレイは城下カレイと呼ばれる高級魚。
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築城時に裏鬼門に立てられたという人柱を祀る祠がある。棺の中から人骨や翁像が発見されている。
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海岸から見る石垣。近江の石工集団による穴太積といわれる自然石の野面積みで頑丈で排水性に優れている。
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海岸部を少し豊岡寄りに進んだところが「フランシスコ・ザビエル船出の地」。
ザビエルは山口から船で宇佐へ上陸し、鹿鳴越からここへ下りて小舟でポルトガル船に乗り移り、府内の大友宗麟に謁見したといわれる。
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小舟を繋いだという石。向こうは別府市街地。
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国道10号線を越えて龍泉寺へ。日出藩家老職を務めた瀧家の累代墓地がある。
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「荒城の月」を作曲した日本の代表的な音楽家・瀧廉太郎。その祖先である瀧家は、代々日出藩の家老などの要職にあった家柄でした。瀧家の菩提寺は数多くの日出藩士が眠る龍泉寺(りゅうせんじ)であり、瀧家および瀧廉太郎の墓が残っています。龍泉寺には廉太郎がドイツ留学時に愛用していた火鉢が残っており、また三の丸には廉太郎の父の生家跡があります。
瀧廉太郎の墓はもともとは大分市の万寿寺にありましたが、遺族の意向により平成23年に瀧家先祖の眠る日出町に移設されました。(龍泉寺HPより)
瀧家11代墓地にある廉太郎の墓。隣は東京音楽学校同窓有志者が建立した「瀧廉太郎君碑」。
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二の丸にある廉太郎像。朝倉文夫作。
代表作に「荒城の月」、「箱根八里」、「花」など。23歳と8カ月の生涯。
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日出藩主木下家菩提寺である松屋寺前からバスに乗って、宇佐別府道路速見インター近くの別荘地速見エコビレッジに到着。ここからトラピスト修道院までウオーキング。
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カヤノ農産の広大な茶畑へ入る。
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お茶の伊藤園と提携した農園で、その生産茶葉は伊藤園製品の一日分ほどという。次々と作付面積を広げているようだ。
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茶畑向うの高台にゴールのトラピスト修道院が見える。
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茶畑最高地点である「到達の丘」から見る別府ゴルフクラブ方向。標高≒480m?すこし肌寒いほどだ。
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トラピストへ向かって歩く。
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作業道を下っていく。
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鞍部からは緩やかだがきつい登りが続く。
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しばらく進むとトラピストへの道へ出合う。
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トラピスト修道院に到着。男子修道院は日本ではここと函館の2か所だけ。
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巡礼手帳にスタンプを押すための行列。
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トラピスト修道院に押印。
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7月に大分を訪れたバチカン市国ローマ法王庁駐日特命全権大使ジョセフ・チェノットゥ大司教から最近送られてきた手紙。
「オラショ巡礼の道」に多くの訪問者が楽しまれるように・・・。
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トラピストの中ではクッキーなどが販売されている。
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フランシスコ・ザビエルの聖遺物(右腕の一部)やペトロ・カスイ岐部と同志殉教者遺骨を拝観させて頂いたら外で一休み。
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再度バスに乗り込んで出発地二の丸館まで戻り、皆さんとお別れする。
参加者、スタッフの皆さん、お疲れさまでした。

オラショ巡礼証~ザックなどに取り付けて歩くことで巡礼者の証となる。
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巡礼手帳。 今日は二の丸とトラピスト修道院の2カ所に押印。
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この「オラショ巡礼の道」を提案されたのは日出町ウオーキング協会会長の財津定行さん。
開会式であいさつをする財津さん。
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財津さんはザビエル生誕500年に当たる平成18年10月に、フランシスコ・ザビエルに 由来する景観美豊かな史跡コースを活用して「第1回ザビエルの道ウォーキング大会」をスタートさせている。
※今年も10月19日(日)に第9回大会が開催される。

2013年3月に別府湾国東半島の海岸線が日本風景街道(シーニックバイウエイ)に登録されたことで、財津さんはザビエルウオーキングのステップアップコースとして国東市のペトロ・カスイ岐部神父記念公園から日出町のトラピスト修道院までの歴史や風景などを楽しみながらの巡礼ウオーキングコースを提案。その後、国東市、杵築市、日出町による実行委員会が設置され、この度のお披露目ウオーキングを迎えた。
財津さんはスペインサンチャゴの道も歩かれていて、日本各地には熊野や四国八十八か所巡礼などがあるがキリシタン巡礼コースは初めてだろうと言われる。

長崎天草地方の教会群、キリスト教関連遺産が世界遺産に認定されようとしている。この巡礼の道が三河国東市長提唱の大分キリシタン南蛮文化協定6市町へ、さらに熊本、長崎へとつながる「九州オラショ巡礼の道」となればすばらしいことだ。


by jinashi | 2014-09-22 16:20 | ペトロ岐部とキリシタン史 | Comments(13)

戦国時代に豊後の浦辺(うらべ=国東市国見町あたり)で生まれ、日本人で初めて聖地エルサレムを訪れ、さらにローマで司祭となったペトロカスイ岐部神父の殉教祭が行われた。

今年はバチカン市国ローマ法王庁駐日特命全権大使ジョセフ・チェノットゥ大司教をお迎えして記念式典が執り行われた。

昨年3月に地元の熊毛小学校の子どもたちがローマ法王フランシスコ教皇へ就任祝いのお手紙を書いたところしばらくしてローマ法王庁よりお礼の手紙が届いた。その後三河市長が上京の折、大使館を訪れて御礼を述べ、大使にはぜひ国東を訪れてくれるように話されてきたようだ。
今回の大使来訪は法王の代理として出席をされたといえるのかもしれない。

前日5日夕方に大分空港へ到着した大使一行は、ベイグランドホテルにて歓迎実行委員会一同が催す歓迎レセプションに出席された。

翌朝、地元の人々がお迎えする中、ペトロカスイ岐部神父記念公園を訪れた。
(右から2人目が大使)
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国見ふるさと展示館の中にあるペトロ岐部コーナーで説明を受ける。
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殉教祭会場の国見生涯学習センター「みんなんかん」玄関で熊毛小学校の子どもたちの歓迎を受ける。
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記念式典では大分教区浜口司教、三河明史市長に続き、ジョセフ・チェノットゥ大使のご挨拶。
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熊毛小学校の4~5年生が学校や地域やペトロ岐部について紹介する。
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大使から子どもたちへのお礼はフランシスコ法王の写真。
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毎年殉教祭には国見ふれあいコーラスが花を添える。歌い継がれて26年目?
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400人ほどの信者さんによるミサが始まる。
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ミサを終えて大使一行は日出町殉教公園へ向かう。翌日は広瀬知事表敬訪問の後竹田市を訪れるようだ。

午後からは、「くにさきGO!さ吉くんバス」による「ペトロ岐部殉教祭と禁教キリシタンウオーク」も実施された。
梅雨の中、まずは記念公園からスタート。
ペトロ岐部の生涯について・・・
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岐部社のキリシタン灯篭では雨脚が強くなり、この後の行程は車中案内となる。
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この日は櫛来の水田にコウノトリが一羽飛んできていた。
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よく見ると背中にはアンテナ(GPS?)が取り付けられ、足には鑑札らしきも見られる。兵庫県豊岡市の「コウノトリの郷公園」から放鳥された個体のようだ。
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近くにはかわいい合鴨ファミリーも道路を歩いている。
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イチカワ物産前では梅干し、お菓子とYさん手製の猪肉串揚げのお接待に皆さん喜んで下さいました。
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道の駅くにみにゴールイン。
あいにくの雨模様でしたが、天気の良い時にまた来てくださいね!
by jinashi | 2014-07-11 14:34 | ペトロ岐部とキリシタン史 | Comments(4)

大分県の6市町が連携して設立した「キリシタン・南蛮文化交流協議会」が主催する首長サミットが大分市で開催された。
ペトロカスイ岐部神父を顕彰し、観光などの地域振興につなげようとする地元国見町からも関係者が参加した。

会場の大分市コンパルホールへ。
マスコットキャラクターがお出迎え。
右が国東市の「さ吉くん」、真ん中は大分市の「たかもも」、左は・・・?
各市より特産品など出店もあり。
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最初に協議会会長の釘宮大分市長のご挨拶。
「6市町が連携してガイドマップ作成、ツアーの実施を計画している。キリスト教信者の方をはじめ多くの人が大分を訪れるようにしたい‥」
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講演「地域の魅力を引き出す観光戦略」はJR九州大分支社長の津高守さん。
おもてなしは手間暇かけることが大切。地域を学び、魅力を引き出す活動を進める中でこの趣旨に賛同して「おおいたキリシタン南蛮ウオーキング」を実施している。
先の4月20日にはペトロ岐部のふるさと国見町でもJR九州と連携した駅長おすすめ「くにさきキリシタンウオーキング」が開催された。
JR九州大分支社はこの協議会にオブザーバーとして参加している。
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講演「地域と人が輝く“長崎さるく”の取り組み」は長崎市役所文化観光部次長の股張一男さん。
2006年に日本で初めて行われたまち歩き博覧会「長崎さるく博」の活動を進化させた観光戦略で、長崎市へのリピーター観光客を増加させている。
観光はまちづくり~魅力を掘り起し、磨き、知り、好きになり、発信する。
強みと機会を生かす。ストーリー性・・・。
市民、企業主体~企画、実施、利益を。(行政は黒子) などなど・・・。
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6首長によるパネルディスカッション。
テーマは「キリシタン・南蛮文化遺産を活かして地域・文化・人をつなぐ」。
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コーディネーターは国東市の前「弥生のムラ・国東市歴史体験学習館」館長で別府大学非常勤講師の金田信子さん。
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最初にこのキリシタン南蛮文化交流の仕掛け人である国東市三河市長より~
国東市の偉人、ペトロカスイ岐部神父をさらに発信していきたい。熊毛小学校の子どもたちがフランシスコ法王へ書いた就任祝いの手紙の返信がバチカンより届き、びっくりした。その後上京の折にバチカン大使館を訪れたのだが、7月6日のペトロカスイ岐部神父殉教祭には大使が出席されることとなった。心より歓迎したい。

竹田市・首藤市長~
竹田市は“かくれ”キリシタンではなく“かくし”キリシタンと言われる。
それぞれの市町が持つ独自のキリシタン史や文化を極めることが大切だ。

臼杵市・中野市長~
下藤墓地の54基のキリシタン墓、リーフデ号、藩主稲葉氏の嫁入本など、この4月26日オープンした臼杵市歴史資料館で発信をしていきたい。特に地域の子供たちに伝えて行きたい。

津久見市・吉本市長~
耳川合戦の後、最後の9年間を津久見で過ごした大友宗麟だが・・大友支配時に始まったという扇子踊りも毎年盛大に行われている。

大分市・釘宮市長~
大友館跡地の公園化や、2015年春竣工予定のJR大分駅ビル前に宗麟とザビエルの像が向かい合って建てることを計画している。

日出町・工藤町長~
平成18年より続く「ザビエルウオーキング」だが、今年度はペトロ岐部の国東市から日出町のトラピスト修道院まで約100kmの交流ウオーキングコースをつくり、イベントを実施する。


最後に協議会副会長の三河国東市長より「サミット宣言」が行われた。
~歴史文化遺産を地域の誇り、魅力として磨き上げ、地域力を高めよう。全国、世界に発信し広く交流事業を促進させよう!
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by jinashi | 2014-05-26 19:11 | ペトロ岐部とキリシタン史 | Comments(4)

国見町郷土史研究会が主催する講演会「野津のキリシタン遺跡」に出かけた。
講師は臼杵市教育委員会文化財課の神田高士さん。
会場の国見町生涯学習センター「みんなんかん」には40~50人ほどが聴講した。
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2年前に臼杵市野津町で行われた「下藤キリシタン墓地発掘調査現地説明会」に参加した際、現地で神田さんの説明を聞いている。
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以下は講演の一部・・・

キリシタン墓の特徴は長方形で頭を西に(エルサレムへと)向けて整然と並んでいる。

十字架を立てるための穴がある墓標もあるが、十字架は自分の近くにキリストが居るというしるしで天の神へ祈るためのもの。(十字架へ祈るのではない~偶像の崇拝はしない)

平戸や長崎外海、五島には豊後から移住したキリシタンが居たのでは?
似たような墓標があるからだ。
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下藤キリシタン墓地は潜伏が始まる前の時代のもので、江戸時代になって外部から入封して来た藩主は、その土地の有力者と取引しながらその地を治めたので、墓地を残すことができたようだ。

臼杵周辺にはまだ調べれば多くのキリシタン墓がありそうだ。
国東の隠れキリシタンについても本年度に行われる調査結果が楽しみだ。

                  等々・・

豊後キリシタンの歴史は1551年ザビエルが宗麟と謁見し、布教を許したことから始まる。ピークには豊後全体で16000人が入信していたという。
宗麟の死後、秀吉の伴天連追放令により大友義統は1587年に豊後での禁教令を発令。次第に弾圧の歴史がはじまる。1614年徳川幕府による禁教令で信者は地下へと潜伏していく。1659年から24年間に渡って豊後各地で続けられた隠れキリシタンの大量捕縛は1000人を越え、俗に「豊後崩れ」と言われている。

by jinashi | 2014-04-26 18:51 | ペトロ岐部とキリシタン史 | Comments(2)

大分県各地には戦国時代から江戸時代にかけてキリシタン、南蛮文化が数多く残っている。
昨年2月には国東市長の提唱で日出町、大分市、臼杵市、津久見市、竹田市との6市町による「キリシタン南蛮文化協定」が締結された。キリシタンや南蛮文化の歴史遺産を活用することで歴史・文化、教育、観光などに連携して取り組み、併せて人的交流も進めていこうとするものだ。
今年2月には6市町によりキリシタン南蛮文化交流協定協議会が発足している。

その一環事業としてJR九州と連携した「くにさきキリシタンウオーキング」が国東市国見町で行われた。

時折小雨がぱらつく中、遠くは鹿児島県や長崎県の九州各地から集まった120人ほどの参加者は国東半島キリシタン遺跡を巡った。

(赤・スタート~ペトロ岐部公園、青・ゴール~道の駅くにみ)


6市町の中で国東市だけにJRの駅がない。そこでJR宇佐駅に到着した参加者は、大型バス2台に乗り移り国見町岐部のペトロカスイ岐部神父記念公園に到着した。
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記念公園ではペトロカスイ岐部の生涯やこの地方のキリシタン史を、そして戦国時代に大友家臣として瀬戸内海の浦辺水軍として活躍した岐部氏墓地でガイドの説明を聞いたあと、ウオーキングコースへと出発して行く。
(公園、墓地では不肖じなしがガイドを務める)
 
ペトロカスイ岐部神父記念公園と神父像。
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ペトロ岐部については→「ペトロカスイ岐部の生涯」

最初のポイントは公園のすぐ裏手にある岐部氏墓地。
中世にこの地を治めた豪族で城主岐部氏の墓標といわれる。
アンドレアクルスや波模様、三つ葉などキリシタン墓標特有の模様が彫られていて、異相(形)国東塔と言われる。
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岐部氏墓地に咲く著莪(しゃが)の花
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公園からほど近い岐部社へ。
ここに並ぶ石灯篭のキリシタン紋様について解説するガイドのみっきーさん。キリシタン石造物は得意分野。おまかせ下さい!
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櫛来古江の櫛来社(岩倉社)ではフォトコンテストの作品(写真)を見せながらケべス祭の説明をするくにみ粋群の池田事務局長(真ん中)と重三さん(左)。 キリシタンとは直接関係がないポイント。
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櫛来の里を歩く参加者。
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地元人間によるエイドステーション? 富子さん手作りの梅干しが大人気でした。
賑やかなお接待係を担当してくれたやっさん、道子さんと青鬼さん。
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急遽、永明寺ガイドを担当してくれたいっちゃん。
真名長者般若姫伝説~六地蔵~十王様とはじまり小串家墓地ではすこしばかりキリシタン紋様解説が…。
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城山裏にある櫛来・岐部氏の墓地。
「殉教童子」など意味ありげな戒名墓が並ぶ…。ガイドは後藤さん。
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金丸地区の河野さん梅林にある修道士像。大岩に胸に祈りのω(オメガ)仏が2体、2か所に彫られている。
ガイド担当は良人さん。
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岩の上には100年ほど前に植えられたという石楠花が満開だ。
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最後のポイントはキリシタン祭壇石とも言われ、畑の中にポツンと置かれている。
魚の絵が彫られていて、その形はINRI(ユダヤ人の王、ナザレのイエス)を表し「キリストの磔刑」 において十字架の上に掲げられた罪状書きの文を表している。県内でも貴重なキリシタン遺産だ。
手書きの説明板を使ってガイドの富さんが解説をする。
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道の駅くにみへ全員無事にゴールイン。お迎えのバスで宇佐駅へ戻る。

「キリシタンの歴史や信仰を知ってとても面白かった」、「梅干しとお茶が嬉しかった」、ちょうど岐部地区で行われていた「お接待のごはんが美味しかった」、「ガイドの皆さんが明るくわかりやすかった」などなど参加者や関係者の方からうれしいお言葉を頂きました。

JR九州主催の「おおいたキリシタン・南蛮ウオーキング」は他の5市町でもそれぞれ実施されている
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by jinashi | 2014-04-22 19:24 | ペトロ岐部とキリシタン史 | Comments(10)

飛岳を下山後、湯布院町川上のキリシタン墓地を訪ねる。

(マップ~湯布院町キリシタン墓地)


ナビを見ながら陸上自衛隊駐屯地の後方にある墓地をめざす。途中に停まっていたタクシーの運転手に聞いて墓地近くの駐車場所を教えてもらう。そこから歩いてすぐ先の山の斜面がキリシタン墓地となっている。
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湯布院町にはキリシタン墓が86基あるといい、ここ「並柳・峯先墓地」には十字章のある墓碑の総数は49基で、そのうち28基がキリシタン墓群として大分県の文化財指定を受けている。
地区のキリシタン史は1580年(天正8年)に大友宗麟家臣で郷土の奴留湯(ぬるゆ)左馬介が部下とともに洗礼をうけたことに始まる。その後伝道所や教会が設置されて信者は1500~2000人ともいわれた。徳川の禁教により宗門改めが行われたあとも隠れキリシタンとなった者も多くいたようだ。十字のあるものが30基、隠れキリシタン墓が約40基ある。(説明板より)

仏式墓標のあいだに点在するキリシタン墓石に落ち椿が散らばる。
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キリシタンの墓には十字墓と伏墓があり、十字墓は、キリシタン布教時代からキリシタン禁教取締が厳しくなるまでの時代と推定されている。
これは十字墓。真ん中にクルスが立てられていたのか?
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同じクルス墓。
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真ん中にダイヤのあるクルス墓。ダイヤはキリストの象徴とされているようだ。
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クルス墓
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伏墓は隠れキリシタンのものと言われる。
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隠れキリシタンの仏教式墓。戒名の「慈峰」は慈悲の教えを説くキリスト教、「了白」はキリスト教を終えたということか?「白」はキリスト教を意味するようだ。
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苔むした墓石。
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戦国の世では天下統一をめざした為政者たちの都合に翻弄されながらも、住民たちは一途な信教を貫いたことが儚く偲ばれる。

大分県では6市町がキリシタン南蛮文化協定により交流連携し、文化や観光の活性化をめざしている。由布市にもこれだけのキリシタン遺産があるのですから、ここは一緒になって売り出すべきでしょう。

by jinashi | 2014-04-02 19:06 | ペトロ岐部とキリシタン史 | Comments(4)

長湯温泉で行われた「大分竹田キリシタン南蛮文化シンポジウム」に出かけた。
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会場は長湯歴史温泉伝承館「万象の湯」にある「ルカスホール」。元は米蔵倉庫だったところ。
(ルカス=竹田市朽網地域は日本の八大布教地に数えられ、ルカスの洗礼名を 持つ朽網氏によって教会が建てられたという)

最初にカテリーナ古楽器研究所による古楽器演奏会。
西洋音楽発祥の地にひかれて東京より大分に移転したファミリーで、古楽器の復元製作と演奏活動を行っている。秀吉が聞いたかもしれない…当時の古い西洋音楽の演奏もありました。
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首藤勝次竹田市長のごあいさつ。
竹田市では新竹田ルネッサンス活動のひとつとしてキリシタン遺物によるまちづくりを進めている。
その一環として、9月には大阪茨木市と「歴史文化交流パートナーシップ宣言」を行い、連携を強めながら文化的交流の協定締結をめざしている。
※天文11年(1542)茨木で生まれた中川家の太祖清秀公は、後に茨木城主となるが、賤ヶ岳の戦いで戦死、同市の梅林寺に葬られた。その後、播磨国三木城主となった清秀公の次子秀成公が、岡藩の初代藩主として文禄3年(1594)に入府した。(竹田市HPより)
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パネルディスカッションのテーマは「秘められた竹田キリシタンの可能性を探る」。
コーディネーターは竹田市副市長野田良輔さん。
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パネラーは左よりデル・カ・レンゾ神父さん(長崎日本二十六聖人記念館長)、三浦泰昌さん(「高麗の牡丹」著者)、甲山堅さん(「ザビエルコード」著者)の皆さん。
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三浦さん、甲山さんとも著作調査の先に見えた自説を展開する。「高麗の牡丹」、「ザビエルコード」を読んでから聞くべきだったでしょう。
弾圧されたキリシタン史のミステリーを竹田の魅力遺産として発信すべし…というまとめでした。
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お二人の著作を買い求めたら竹田市(中心部)へ移動する。
キリシタン遺物が展示されている竹田市総合社会福祉センターへ。
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聖ヤコブ石像。キャッチボールのボール探しで見つけられた。「サンチャゴの鐘」と共に弾圧が厳しくなった長崎から竹田へ移されたのかもしれない。「聖ヤコブ」はスペイン語で「サンチャゴ」。「サンチャゴの鐘」とも関係が深い。鼻、耳が欠けおり、首も折れている。重さ約30Kg。個人所有。
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T十字と謎の石像。
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山の神。両手を体の前で×印に交差。ザビエル肖像画に同じ。
鳥の形をした山の神はここ竹田だけという。
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長湯の日向塚にある折れた干十字。INRIは無い。
※長湯温泉朽網には完全な形で干十字が残っている。墓標としてINRI(ユダヤ人の王ナザレのイエス=十字架の上に付けられた罪状)が刻まれている。国内に4つ現存するうちのひとつ。
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十字の入った絵皿。岡藩の飛び地である三佐(大分市)の港にある岡藩屋敷にあった。
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竹田市内の骨董屋で見つかった和紙の踏み絵。福岡の黒田家が所有していたものか?
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センター玄関に置かれた「サンチャゴの鐘」(複製)。この日は自由に撞けました。
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大分学の辻野先生ご夫婦と木内(へんろみち大将)さんにご一緒させていただき、市内にある商家の地下礼拝場跡を訪れました。
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この家の斜め前にあった垂水屋では踏み絵の最中に床が抜けて地下礼拝堂が発覚するという事件があったらしい。
米穀店裏から地下へと小さな入口の階段を降りる。
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ここでひっそりとミサが続けられていたのだろうか?
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稲葉川沿いにある岡藩菩提寺の碧雲寺を訪ねる。
播磨三木から豊後岡城に入城した中川秀成が1600年に岡藩初代藩主になって以来、江戸時代末期の13代藩主まで中川家が治め、竹田の城下町としての繁栄が続いた。秀成が築いたお茶屋を2代藩主・久盛が秀成死去の1612年菩提寺として碧雲寺を開創している。現在は、歴代藩主の廟所と碧雲寺庭園が整備され、おたまや公園として一般に公開されている。
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おたまや公園。石橋の向うにある歴代藩主墓地。
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雨脚が強くなってきたので本日はこれにて撤退。
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いつも祖母山や高千穂方面の山登りで通過する竹田市だが…
この町にはまだまだ多くのキリシタンミステリーがあるようです。
木内さん、ご一緒させていただきありがとうございました。

by jinashi | 2013-10-08 13:24 | ペトロ岐部とキリシタン史 | Comments(10)

戦国から江戸時代に生きた国東市国見町出身のペトロ・カスイ岐部神父(1587~1639)の功績について考えるフォーラムが「くにさき総合文化センター」で行われた。
 

最初に竹田市からお借りした「サンチャゴの鐘」が熊毛小学校の生徒たちにより鳴らされる。
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三河市長のご挨拶。
三河市長の提唱により今年2月には日出町、大分市、臼杵市、津久見市、竹田市の6市町により「キリシタン南蛮文化協定」が締結されている。6市町が歴史・文化、教育、観光などに連携して取り組み、併せて人的交流も進めていこうとするものだ。
さっそく8月10日には郷土大分の英雄「大友宗麟」を学び、ふるさと豊後を再認識しようと、こけら落としとなったばかりの大分市のホルトホールで「南蛮文化国際フォーラム」が開催されている。
「ペトロ・カスイ岐部フォーラム」は協定による第2弾目ともいえるものだ。
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国見ふれあいコーラスによりペトロ岐部のうた「道標(みちしるべ)」(作詞・木下龍太郎、作曲・船村徹)のきれいなハーモニーを聴かせてくれた。
ペトロ・カスイ岐部神父殉教祭ではこれまで25年間にわたってこのうたを歌い続けている。
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ペトロ岐部の故郷にある熊毛小学校の生徒たちがこの春就任したバチカンのフランシスコ法王に手紙を送ったところ、法王から感謝のメッセージが届いたのだ。そのことについて5~6年生により発表がある。
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上智大学川村信三先生による講演。
演題~「ペトロカスイ岐部 銃と十字架のはざまで」
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信念を貫いて生きたペトロ・カスイ岐部の精神を、国東市民としてどう受け継ぎ町づくりに活かすべきか… というテーマで行われたパネルディスカッション。
コーディネ―タ―は国東市歴史体験学習館名誉館長の金田信子さん。
パネラーは講演をされた川村信三さん、2008年の「ペトロ岐部カスイの列福を祝う集い」にお招きしたクリスチャン画家・村田佳代子さん、脚本家の江良至さん、大分学研究会会長の辻野功さん、そして不肖じなしもペトロ岐部の同郷人として参加させていただいた。
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江良至さんは今年6月に急逝された映画監督・塩屋俊さんの代理として参加している。塩屋監督と組んでペトロ岐部を主題とした舞台が立ち上がる直前だったのだ。企画は「HIKOBAEプロジェクト」として、塩屋さんゆかりの映画関係者、俳優らがNPO法人を設立して引き継いでいくという。
 国東市に定住を予定されていたという…塩屋俊監督のご冥福をお祈りいたします。

最後に創立100年を迎えた上智大学で創部60年の伝統を誇るグリークラブ(男声合唱団)による記念コンサートが行われた。
現役学生11人とあとはOBの総勢43人が一体となった強くて優しいハーモニーを聴かせてくれた。
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このフォーラムでさらに多くの人がペトロ・カスイ岐部を知っていただけたことだろう。
by jinashi | 2013-08-28 16:48 | ペトロ岐部とキリシタン史 | Comments(0)

半世紀ほど前、上智大学のチースリク神父(故人)によりこの地がペトロ岐部の生誕地と知った国見町住民はさっそく威徳顕彰会を発足させ、記念公園や立像作りに奔走した。その後毎年10月第4 日曜日には教会と合同で盛大に殉教祭を催してきた。
時は流れ…当時情熱をもって取り組んだ地区有志も皆鬼籍へ入りその活動は停滞していた。そして数年前には地元の威徳顕彰会も解散した。
今年になって教会と地元関係団体とで協議を重ね、またかつてのように地元も一緒になって「岐部祭」を盛り上げていこうということになったのだ。
一方でこの春に国東市ほか6市町により結ばれた「キリシタン南蛮文化協定」も動き始めている。

ペトロカスイ岐部神父殉教祭&浦辺の禁教キリシタン遺跡ウオーク

ペトロカスイ岐部神父の殉教祭が行われた。
2008年にペトロ岐部が福者となってから、その殉教祭は殉教日(7月4日)に近い7月第1日曜日に行われることとなった。
今年もその日7日の天気予報に傘マークがあり、2年続きで会場をペトロ岐部記念公園から国見町生涯学習センター「みんなんかん」に変更となった。

受付がはじまる。
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最初に記念講演「ペトロ岐部~聖地エルサレムを訪れた初めての日本人」
~講師は大分学研究会会長辻野功先生。
後期高齢となられた辻野先生ですが~戦国の世を堂々と生きた大友宗麟やペトロ岐部にまつわる博識となめらかな弁舌は見事です。
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ペトロ岐部の式典には欠かせない国見ふれあいコーラスの皆さん。
「アベマリア」「故郷」そして木下龍太郎作詞・船村徹さん作曲のペトロ岐部のうた「道標(みちしるべ)」の3曲をみごとなハーモニーで聴かせてくれました。
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大分カトリック教会によるミサが始まる。司式は大分教会の浜口司教。
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式典終了後、「浦辺の禁教キリシタン遺跡ウオーク」が行われた。
(主催:NPO国東半島くにみ粋群、協力:国東半島エコツアーガイド会)

岐部社へ移動して回廊で遅めの昼食。
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岐部社にある石造文化財とキリシタンについて~ガイドは別府市から特別ゲストガイドの木内さん。大分市都町で讃岐うどん店「へんろみち」をされている。
うどんもうまいが…キリシタンガイドもうまい!
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岐部城址の岐部氏墓地へ移動。ガイドは現役漁師のいっちゃん。
国東塔にあるキリシタン紋様について鋭い解説が…
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車で櫛来グランドへ移動。ここからのガイドはさとみさん。
晴れてはいるが向こうで雷の音も聞こえ、今日は梅雨明けも間近?という感じのやや不安定な天気だ。
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臨済宗寺院の永明寺墓地へ歩いていく。ここは地元庄屋を務めた小串氏墓地だ。
キリシタンは戒名など墓標には苦心したようだ。
これまであれこれとキリシタン文化を学習されているさとみさんですが…じなしも勉強させられました。
墓標に刻まれたOを→まるい→まありい(大分弁?)→まありあ→マリア…?!
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城山裏の櫛来岐部氏の墓地には童子童女の墓も多い。
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ここのガイドは何度か担当したことがあるきよさん。要点を的確に手慣れたガイドぶりでした。
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すこし先の修道士像が刻まれた大岩へ。耳なし、外人姿勢など修道士を思わせる。
25年ほど前荒れた山を切り開いたところこの大岩が出たという。地主のKさんは親からも聞いていなかったという。
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最後の遺跡は魚の絵~「INRI」(いんり)祭壇石。
この前に信者が集い密かにミサが行われていたのだろうか…
※INRI=罪状書きの言葉(罪標・ すてふだ)=ナザレの王、ユダヤのイエス
ガイドは富さん。手書きの説明をつくって楽しいガイドをしてくれました。
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時間が下がってウオークがドライブになってしまいましたが…参加された皆様も十分楽しんで学習していただけたようでした。

また、ミサでは参加していた信徒さんでメル友Aさんとのうれしい出会いもありました。

by jinashi | 2013-07-10 17:33 | ペトロ岐部とキリシタン史 | Comments(4)

ヴェネディクト16世の生前退位を受けてその後継者を決めるコンクラーヴェ(教皇選挙)により2013年3月13日、アルゼンチンのフランシスコがカトリック教徒の最高指導者である第266代ローマ法王に就任した。

そこで2008年11月に福者に列せられたペトロカスイ岐部神父の故郷にある熊毛小学校の生徒たちがフランシスコ教皇へ祝福の手紙を送った。法王の似顔絵とペトロ岐部を紹介する絵手紙に三河市長のメッセージも添えた。
(地元合同新聞の記事)
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すると…そのお返しの手紙が大分教区浜口司教を通じて熊毛小学校の生徒に届いたのだ!(4月26日発信)
差出人はバチカンの事務局長(ナンバー3?)ともいえるジョヴァンニ・アンジェロBecciuからのものだ。
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早速学校では手紙を紹介する全校集会が開かれた。
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始めのことば。
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図司和子校長がバチカンからの手紙を子供たちに見せる。
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三河市長のご挨拶。
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翻訳した地元の渡辺啓子さんと国東市ALT(外国語指導助手)のマイルズさんによる手紙とフランシスコ法王の紹介。
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終わりのことば。2人とも「ペトロカスイ岐部神父やバチカンのことなどもっと調べてみたい」そうだ。
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手紙の内容 (拡大します)
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世界につながった子供たちだが…大人になって国際人として活躍してくれればと願う。

3月に子どもたちが送った絵手紙には「ぜひ国見に来て下さい」と書かれている。
  ほんとに法皇様が来たら・・・・
by jinashi | 2013-05-24 11:31 | ペトロ岐部とキリシタン史 | Comments(2)