2017年 09月 04日 ( 1 )


80歳を過ぎた頃まで、長崎から国東までクラウンを運転して、ドライブがてらに来てくれた叔父が94歳で亡くなった。
大分道~長崎道を走って31日夕刻の通夜に何とか間に合った。

翌日の葬儀に参列した帰路に、去年の夏の
「長崎キリシタン研修旅行」で計画していた(が時間がなく行けなかった)天正遣欧少年使節の千々和ミゲル(1569~1633年?)の墓といわれる場所へ立ち寄った。

天正十年(1582)、遣欧少年使節団としてヨーロッパ諸国へ派遣された4名。
右上=伊東マンショ(主席正使) 大友宗麟の名代。宗麟の血縁。日向国主伊東義祐の孫。後年、司祭に叙階される。1612年長崎で死去。
右下=千々石ミゲル(正使) 大村純忠の名代。純忠の甥で有馬晴信の従兄弟。後に棄教。
左上=中浦ジュリアン(副使) 後年、司祭に叙階。1633年、長崎で穴づりによって殉教。2007年に福者に列せられる。
左下=原マルティノ(副使)後年、司祭に叙階。1629年、追放先のマカオで死去。
中央はメスキータ神父。
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長崎市内からナビで県33を走り、多良見町山川内で標識を見つけた。
(マップ)

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伊木力ダム手前で「駐車場→」を見て右折。
道路脇に車を停めて車列の横を先へと歩いて行く。
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長崎本線赤レンガトンネル手前を左(の坂道)へ入る。
上部にミゲルの墓と言われる石碑があるようだが・・
8月20日より発掘調査が行われていて、「立ち入りはご遠慮ください」の看板があった。
係員(らしい)の方に聞くと現場の上からなら・・と見学させてくれた。
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仮置きされた(石碑を守っていた)堂屋根。
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発掘の様子が掲示されていた。
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発掘する前の(墓と思われる)石碑。  高さは1.8m、幅1.2m。
表に「妙法(法華経のこと?)」
「寛永九壬申年十二月(没年月?)」
「本住院常安霊(ミゲルの戒名?)十四日」 
「自性院妙信霊(ミゲルの妻の戒名?)十二日」 
裏に「千々石玄蕃允(ミゲルの四男)」
(画像はネットより借用)
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ミゲルは棄教したあと、従兄弟の初代大村藩主大村喜前の家臣として伊木力に六百石の領地をあたえられてキリシタン一掃に努めたが、喜前に疎まれて追放される。長崎に逃れたといわれ、それ以降の足取りは不明となっている。


横の坂道を上がって見ると、地元の関係者(らしき)方から声をかけられた。
「ペトロカスイ岐部神父のふるさと国東半島から来た」というと「以前、見学に行ってきた」と言われた。
すぐ横に長崎本線が通っている。諫早~長崎間は2つのルートがあり、こちらは旧線(長与経由)と言われ、便数は少ないようだ。
向こうに26聖人が舟で渡った大村湾。墓標を立てたときにはよく見えたはずだ。
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翌2日の西日本新聞朝刊に
「千々石ミゲルの木棺?発見」と紹介されていた。

 なんと・・見学に行ったその日に発見されたのだ!


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by jinashi | 2017-09-04 12:59 | ペトロ岐部とキリシタン史 | Comments(12)