小鹿田焼唐臼祭へ

久しぶりに日田市小鹿田里、皿山へ出かけた。
GWには「唐臼祭」、10月には「民陶祭」が開催される。
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山からの沢水を利用して陶土をつく唐臼。日本の音風景百選。
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朝鮮系登り窯。
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10軒の窯元が代々伝統技法を受け継いでいる。
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トビカンナや櫛目模様が美しい小鹿田焼。我が家の食卓でも名脇役を務めている。
お皿や小鉢などを少しだけ買った。
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 日田どんの墓へ

皿山から山越えで大鶴へ向かう。
目的地は「日田どん(殿)の墓」。
大鶴の柳瀬地区から1kmほど入ると林道は行き止まりとなる。
相撲道の神様、大蔵永季最後の地。
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天喜四年(西暦1056年)時代は平安時代の末期。日田郡司大蔵家の嫡子として生まれる。成長と共に知力、体力ずばぬけて他を圧し、背丈六尺六寸(2メートル)米俵四俵(240㎏)を軽々と持ち上げる剛力は近国は言うに及ばず九州一円に知れわたった。永季が十六才のときその勇猛ぶりが後三条天皇の耳に達し延久三年(西暦1071年)に宮中で催される相撲の節会に召し出され、それまで天下無敵といわれる驚異的大怪力の出雲小冠者を倒し優勝。以来四十九歳に至るまで、十五度節会に召され総じて優勝。前後実に三十五年間にわたって日本一となる。青年軍司永季は相撲を通じ日田の政治、経済、文化の高揚につとめ、領民からは日田殿(ひたどん)と呼ばれて尊敬されました。長治元年(西暦1104年)の節会に召されての帰途、病魔に侵され、小倉から近路をとり香春峠、小石原峠を越え、故郷日田の山々を遠望して「我日田の地を踏まずは断じて死せじ」と高熱焼くが如き病苦を押し通して従者の止めるのも聞かず僅か一歩故郷日田の地に踏みこんで堂とばかりに巨大な腰をおろした。さすが剛力、気丈の日田殿大蔵鬼太夫永季も、あわれ四十九才の生涯をこの地で終わったのである。
(日田どん墓地公園管理委員会)

真っすぐに階段を登る。
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登りあがったところが日田どんの墓。
「日田鬼太夫永季」と彫られている。
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昭和25年に訪れた「羽黒山参拝記念碑」もある。
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傍にエビネランが咲いていた。
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 清渓文庫へ

日田市大肥にある「清渓文庫」を訪ねた。
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元大蔵大臣井上準之助の生家は清酒「角の井」で有名な(株)井上酒造。
遺品などを展示する文庫は平成3年に開設された。
店舗兼母屋は国の登録有形文化財に指定されている。
(館内は撮影禁止)
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井上準之助については以前「大分学試験」を受験した時に「大分県の偉人」本で少しだけ知ったような・・・
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展示品については奥さま(6代目社長さん?)から丁寧に説明していただいた。
準之助や重光葵など当時世界的に活躍した偉人を輩出したことは大分県の誇りだ。
by jinashi | 2017-05-06 14:40 | ドライブ&トリップ etc | Comments(0)