夜中から降り出した雨は明けて小降りになったようだが・・今日は山はお休み。
新聞を見て、中津市北原(きたばる)の原田神社で奉納される人形芝居「万年願」(大分県無形民俗文化財)の見物に出かけた。 
今度で3回目。

「万年願」とは~
伝説では、鎌倉時代最明寺入道時頼が、諸国巡礼の途次、中津市大字湯屋に於いて、大熱の病にかかり生死が危ぶまれた時に、大貞薦神社の陰陽師で、北原に住む阿部大内蔵が加持祈祷に努め、北原の村人達もあれこれと心を傾けて看護に尽くしたため、時頼も程なく全快を見るに至った。そのお礼参りと祝賀の行事が、北原の大師堂でとり行われ、その余興に人形芝居が演じられた。時よりは、その演技を厚く賞賛し「北原は海にも添わず、山にもつかぬ土地柄故に、踊を業として渡世せよ」と云ったと伝えられている。これが、北原人形芝居の始まりとされている。遠く鎌倉時代に創始された芸能は。その後、歌舞伎と人形繰りに発展した。
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万年願は、毎年旧正月(新暦二月)四日に、北原のお伊勢堂で行われた。昔、この村に疫病が流行した時、村人が永久にアヤツリを奉納することを誓って悪疫退散を祈願した、という故事にのっとって中絶することなく奉納されてきた。
 ・・・   (保存会資料)


時折小雨がぱらつく中、宇佐から中津市へ入りR213三保入口から案内板に従って原田神社へ着く。駐車場は一杯。
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主催者の挨拶などがあって・・開演は13時前。
最初の演目は「 翁渡」(おきなわたし)。
特別の目出度い時に演ぜられる三番叟の一形式。単なる演技ではなく、祈りをこめた精神的なもので、万年願には欠くことのできない開演の出し物。
(保存会資料)
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第二幕は「傾城阿波の鳴門巡礼歌の段」
地元の美保小学校「人形劇クラブ」の生徒により毎年奉納されている。昭和44年の結成だから・・もう半世紀ほど地元の子供たちによって継承されている。
毎年、翌朝の地元紙に写真入りで報じられる。
有名な~ 「シテその親達の名は何と云ふぞいの」「アイ父様の名は十郎兵衛・・・ 」
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第三幕「伊達娘恋緋鹿子八百屋お七」
火の見櫓に登り太鼓を叩いて、うその火災を報じた場面。
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第四幕「日高川安珍清姫道行の段」
人形は一体を三人で操る「三人遣い」がほとんどだが、この芸題では、一体の人形を一人で操る「はさみ遣い」(一人遣い)で演じる。(保存会資料)
足の指で人形のかかとを挟んでいる。
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ストーリーと役のセリフを切々と語るのが浄瑠璃。三味線の伴奏とあわせて人形に物語を演じさせる。
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「人形浄瑠璃」とは~
人形浄瑠璃とは浄瑠璃という節まわしの語りにあわせて演じる人形芝居のことです。古くは一つの人形を1人の人形遣いが操っていましたが、1734年に『芦屋道満大内鑑』で三人遣いが考案され、現在では3人で操るのが普通です。(今でも一人遣いの人形浄瑠璃が伝えられている地域があります)

「文楽」とは~
文楽は人形浄瑠璃の一派です。正確には大阪で発展した人形浄瑠璃の名前として用いらます。現在では人形浄瑠璃の代名詞的存在となっています。文楽は太夫の浄瑠璃(義太夫節)と三味線弾きが弾く三味線にあわせて演じられる三人遣いの人形芝居ですが、文楽の名前は明治末期に唯一の人形浄瑠璃専門の劇場だった「文楽座」がもとです。
 (wikipedia)



第五幕「日高川入相花王渡し場の段」
清姫は恋い慕う安珍の後を追って日高川まで来ますが、船頭が舟を出してくれません。どんなに頼んでも言うことを聞いてくれないので、清姫はとうとう泳いで行こうとします。嫉妬の気持ちが清姫を蛇の体に変え、日高川を渡るのです。(保存会資料)
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最後に第六幕「絵本太功記十段目尼ケ崎の段」
明智光秀の謀反から敗死までの物語。
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前回からほぼ10年ぶりの見物でしたが、同じ演題が同じように奉納されている。
伝統芸能は代々に伝えられて昔と変わらないのが良いのだろう。
近くの古要神社に伝わる
「傀儡舞」とともにいつまでも残ってほしい中津の歴史遺産だ。
毎年二月の第一日曜日に奉納される。

 (原田神社の場所)


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by jinashi | 2017-02-06 16:07 | 国東半島あれこれ | Comments(2)