国見観光ボランティアガイド自主研修会 2010・2・4

本職のいっちゃんも遊び人の富さん、清さんも今日は沖しけで休養日となる。有永さんも誘って青鬼さんHPで見た上国東と安岐方面に文化財の学習に出かける。まずは原(はる)の十王堂から。地獄の裁判官の7番目、この人が四十九日を担当する閻魔様だ。
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初(そめ)八坂社に立ち寄る。明治の廃仏毀釈で近くにそっと(~半島人はやさしい)埋められていた仁王様を隣りの給食センター建設を機に元の台座に戻したのだ。衣や頭部、腕の一部など欠けてはいるが両子寺の仁王を抜いて国東半島一の大きさ(高さ)を誇る。境内に敵が侵入しないように睨みをきかしている。文政七年(1824年)作
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岩屋から赤松へ。途中で「板碑」の看板に早とちりして違う道に入ったりしながらも「仏跡」といわれる宇土大師堂に入る。苔むして荒れた石畳の参道から大杉の間の石段を上がると正面に太子堂がある。左手に少し傾いた高さ1.5Mほどの自然石に彫らた不動明王が弘法様や観音様に護られて立つ。右手には経塚とある納経塔?お堂の横は護摩壇か?
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裏の急斜面を登って行くとそこここに観音様が安置されている。番号はバラバラだがこのあたりから八十八箇所霊場のはじまりであろう。頭上の大岩に「南無阿弥陀仏」と経文が彫られている。大石の右に鉄の鎖が垂れているが赤錆びて危険だ。左手のロープを伝って上に上がってみると観音様がありさらに上部の尾根伝いに連なっているようで山香の津波戸山に似ている。
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赤松を下り山越をして泉福寺、行入ダムから両子河原座へ。時間は12時40分、お客も結構多い。頼んだのは鳥天ざるそば。1200円なり。
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両子谷を下って掛樋の岩屋堂に向かう。旧道を入り素掘りのトンネルを出たところに車を止める。左へ鋭角に山道を上がっていくと崖壁に窪んだところが続きここに石仏があったことがうかがえる。高台にお大師さんの石像が立ちその前に容の良い板碑がある。梵字はキリークで千手観音菩薩をあらわし子年生れの自分の守り本尊だ。この大師像のあたりに宝篋印塔が立っていたが明治時代に地区の老人たちが酒代にしてしまい今は有名なホテルの庭にあるそうだ。(青鬼さんHPより) 今では岩屋堂の中には盗難防止のため観音像をはじめ庚申塔などいろいろな石造文化財が(閉じ込められて)保管されていることはなんともいやな時代となったものだ。
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明りとりのある古い隧道。かつて半島に多いトンネルはすべて素堀りだった。
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南天や千両の赤い実が迎える瑠璃光寺に参拝し居られた和尚さんにご挨拶をして朝来の谷へ入る。釜ヶ迫国東塔の駐車場の横に明日行われるウオークコースの案内板があった。三浦梅園が杵築の藩校に通った道だ。翌日安岐ガイドの小林親分より140名の参加者で盛会だったと(メールで)聞く。
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釜ヶ迫国東塔は時の流れを感じさせてくれるがそばにひっそりと置かれた地蔵菩薩様に哀愁を感じた。
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朝来の弁分八坂社に立ち寄る。ここは宇佐神宮でかつて行われた行幸会(旧くなった御神体を巡幸させて最後に奈多八幡沖で海に還す)の止宿地で歴史由緒があり、俳句師匠の河野輝暉先生の家が代々宮司を務める。1615年細川忠興によって150年ぶりに行われて以来中断したままの行幸会の再開を願う声も耳にしている。(略式に昭和46年におこなわれたとも)
八坂社板碑。梵字はアン(大日如来)~元弘3年(1333年)の作
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瑠璃光寺の千両の実。 この冬は南天などの赤い実が鈴なりだ~吉兆であれば由い
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by jinashi | 2010-02-06 18:03 | 国東半島あれこれ | Comments(0)