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じなしの山歩記と国東半島ミュージアム

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田染文化財教室ふるさと学級公開講座~国東田原氏の滅亡 2017.8.4(金)

今年も豊後高田市の綾部先生より田染文化財教室夏の公開講座のご案内をいただいた。
2010年8月より毎年聴講させていただいている。

講師は元県立高田高校長大畑雅英先生。現在は都甲の栄法寺住職を務める傍ら、地元の郷土史を研究されている。
演題は「鞍掛城の戦いと田原氏の滅亡」。
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田原氏最後の拠点となった鞍掛城のある 佐野鞍掛城山には2016年2月に登った。
鞍掛城山は河内小学校の北東、引瀬神社のすぐ上にある標高110mほどの小山で、南寄りの山頂部には本丸と一段下の二の丸からなる石垣群が見られ、小規模ながら山城の遺構が残っている。

河内小学校から南に入った奥畑にも鞍掛城があり(あったといわれ?)、こちらは佐野鞍掛城よりさらに一時代前(南北朝ごろ?)の田原氏の山城と言われている。
2015年5月には奥畑にあったといわれる六郷満山本山本寺「鞍掛山神宮寺」の遺構を求めて
奥畑鞍掛山へ登った。山頂部から華岳や西叡山などの見晴らしが良い山であったが六郷満山の信仰遺産や山城の遺構は見当たらなかった。

こちらは大畑先生によりグーグルで再現した(吉弘氏の)屋山城。麓(真ん中少し下あたり)にあるのがかつて六郷満山惣寺の長安寺。
2015年3月に
屋山へ登った時に見た竪堀横堀の遺構を思い出した。
7代吉弘親信あるいは8代氏直の時に屋山城を築き、武蔵より居城を移したといわれる。
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さて、国東の田原氏だが・・・
初代泰広は、鎌倉時代に頼朝の命により建久7年(1196年)相模国から豊前豊後守護兼鎮西奉行として入国した大友能直(よしなお)の12男と言われる。母は歌舞の遊女であったらしい。
5代田原氏能(うじよし・生年不詳 - 明徳4年(1393年))の時代には大友庶氏の中で特に力をつけ、本家大友氏と対立するほどの強力な勢力になっていたようだ。
大友宗麟の時代となり、天正8年(1580年)、11代田原親宏(ちかひろ)の跡を巡る家督争いで大友宗麟は次男親家(ちかいえ)に田原家を継がせようと画策した。これに対して養子となっていた田原親貫(ちかつら)は毛利氏に援軍を求めて大友氏と戦っており、このとき鞍懸城は田原氏最後の拠点となったが落城している。親貫享年19歳(逃亡とも?)。
詳しくは → 
戦国武将列伝Ω


田原氏が大きな力を持っていた頃、同じ国東半島で田原氏分家筋にあたる大友家臣の吉弘氏もチャンスをうかがっていた。
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勢場ケ原の戦いで戦死した氏直の嫡男8代吉弘鑑理(あきただ)は大友宗麟の側近として活躍し、臼杵鑑速や吉岡長増らと共に豊後の「三老」に列せられた。
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吉弘氏の屋山城近くで起きた鞍掛城の戦いでは、鑑理(あきただ)の孫にあたる10代統幸が大友の搦め手(後方)を攻めて大いに活躍した。
その統幸も慶長5年(1600年)9月に豊後国速見郡石垣原(大分県別府市)で行なわれた黒田如水(孝高)軍×大友義統(吉統)軍の合戦で黒田軍井上九郎右衛門に討たれ、大友氏と共に吉弘氏は滅びた。

国東半島は戦国時代までの大友氏による支配や破壊の歴史が多く残っている。
当時には、大友氏と共に滅亡した武将を弔うために、半島各地で新たな寺院が創設されたようだ。




  お知らせです 

8月26日(土)には国東町のアストホールにてコンサート「オードリーヘップバーン」が行われます。
企画演出は画家の村田佳代子さん、歌は長女でソプラノ歌手の村田望さんの親子共作となる。
村田佳代子先生には 2008年秋のペトロカスイ岐部神父列福の際、地元ホールにて先生が描かれた「ペトロ岐部の生涯」作品展(大分県先哲史料館所有)を行なった。
2013年8月には
「ペトロ岐部フォーラム」にも参加していただいた。
お時間のある方はぜひご来場ください。
(入場無料ですが入定整理券が必要です)
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by jinashi | 2017-08-08 15:31 | 国東半島あれこれ | Comments(2)
Commented by tikuzenootomo at 2017-08-10 17:10
国東には遺構が沢山ありますね^^
歴史は知れば知るほど楽しいですね♪
またどこか訪ねてみたいと思います。
Commented by jinashi at 2017-08-10 20:25
おおともさん~ 戦国時代大友氏の歴史は今につながっています。今でも大分県にはその流れの人たちは多く暮らしています。「そんなのかんけ―ねえ―」という人たちがほとんどですが・・
筑前には「ここにいるぞ!」という・・力強いお方もいらっしゃいます^^