長崎キリシタン研修②  2016.8.27(土)

高校女子ソフトボール部の団体などで東横インの朝食には長い行列ができた。

ホテルを出てほど近い日本二十六聖人殉教地西坂公園へ着く。
二十六聖人記念碑。高さ5.6m、幅17m、像は等身大。
記念碑(殉教者群像)はペトロ岐部立像と同じ彫刻家舟越保武氏が4年がかりで制作した。
右から11~16番目の6人はフランシスコ会の外国人司祭と修道士。あとは日本人。右から9番目、10番目と20番目は12~14歳の少年。
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1597年2月5日(慶長元年12月19日)、豊臣秀吉の命令によって長崎で磔の刑に処された26人のカトリック信者。日本でキリスト教の信仰を理由に最高権力者の指令による処刑が行われたのはこれが初めてであった。この出来事を「二十六聖人の殉教」という。26人は後にカトリック教会によって1862年聖人の列に加えられたため、彼らは「日本二十六聖人」と呼ばれることになった。(wikipedia)
京都で全員左耳たぶを切り落とされ、堺~大阪~山陽道~小倉~博多~唐津~武雄~東彼杵~時津~長崎西坂まで580Kmを歩く。西坂に着いてすぐに処刑され、その後80日間晒された。
磔の刑に処された西坂の丘(殉教者群像碑となり)。
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長崎市東出津町(旧外海町)の遠藤周作文学館へ着くと館長の本木治氏が迎えてくれた。
(数年前にじなしは本木館長さんをペトロカスイ岐部神父記念公園へ案内させていただいた)
高台にある文学館の中庭から見る角力灘の景色。日本夕日百選。
中央右の島は九州最後の炭鉱(閉山)の島~池島。期間限定で炭鉱跡や往時の面影を巡る「長崎さるく」ツアー(長崎県の観光企画)が催されている。
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女性学芸員から遠藤周作が思うペトロ岐部の人物像などのお話しを聞いたあと、本木館長さんの計らいで地元のクリスチャンで教会守の方より外海地区のキリシタン遺跡を案内していただいた。
最初に向かったのはクリスチャン墓地にあるド・ロ神父の墓。この集落にはクリスチャンが多いようだ。
マルク・マリー・ド・ロ神父~パリ外国宣教会所属のフランス人宣教師(司祭)である。1868年(慶応4年)6月に来日し、長崎県西彼杵郡外海地方(現・長崎県長崎市外海地区)において、キリスト教(カトリック)の布教活動の傍ら、貧困に苦しむ人達のため、社会福祉活動に尽力した。(wikipedia)
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曲がりくねった細い道を進んで杉林をバスチャン屋敷跡へ。
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禁教令により外海地方の神父がすべて追放された後、日本人で洗礼名バスチャンという伝道者がこの地方のキリシタン達を指導したといわれている。バスチャンは追手を逃れるため隠れ家を転々としたと伝えられており、この地もそのひとつといわれている。
(長崎市HP)
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ド・ロ神父・大平(おおだいら)作業場跡へ。
ド・ロ神父は明治12年(1879)外海地方に赴任してくると同時に地域住民の福祉と生活向上のため、様々な福祉活動・慈善事業に尽力した。農業振興もそのひとつであり、明治17年(1884)から出津変岳(へんだけ)の原野を開墾し農園を開いた。 この大平にある作業場跡も開拓に伴い設置されたもので、建設年代は開墾事業が完成する明治34年(1901)頃と推定される。作業場跡は、石造を主体とし、正面の一部が煉瓦造の堅牢な平屋建物で、通称ド・ロ壁(かべ)の技術が用いられており、愛馬を繋いだといわれる留金具などが残る。ド・ロ神父の多岐にわたる福祉活動の一端を示す遺構として価値が高い。(長崎市HP)
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大野教会堂へ。
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ド・ロ神父が自費を投じ設計して建てた教会堂。
1893年(明治26年)竣工。平屋建、瓦葺、練塀で柱はない。世界遺産(文化遺産)を目指す長崎の教会群とキリスト教関連遺産リスト12件の一つ。
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日本式天井。国指定重文で・・中には入れない。
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出津(しつ)教会堂へ。
この教会もマルク・マリー・ド・ロ神父の設計により1882年(明治15年)建設された。その後信徒数の増加等により2度の増築を経て1909年(明治42年)に完成。教会堂は角力灘(五島灘)に面する風の強い当地の気象に対応して、レンガ造瓦葺き平屋建て(外壁は白漆喰を使用)の低い屋根を持つ建物となっている。
ここもユネスコの世界遺産(文化遺産)候補の1つ。
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外海を後にして・・長崎道で東彼杵町へ移動。
海岸にある日本二十六聖人乗船場跡へ着く。
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1597年2月4日、26人は夕刻3艘の舟にり、翌朝時津に上陸した。
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川棚町の常在寺のキリシタン墓標へ。
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墓地を通り過ぎて階段を上がった山裾にある墓標。日本最古のキリシタン墓か?
大村藩では明暦3年(1657)の郡崩れ(郡村を中心に数百名の隠れキリシタンが発覚処刑された) のあと、領内のキリシタン墓は徹底的に破却されたが、元和8年(1622)に没したこの富永二介の妻の墓碑は奇しくもその難を免れたものである。常在寺の過去帳に明暦2年に死亡した富永治介の名があるが、この過去帳は一度書き直されていて、そのとき二を次に書き間違えたのではないかと言われている。
高さ95センチ、幅30センチ、厚さ12センチの自然石の墓碑の中央・~は略の意で、その下はクルス、○の下にMACI(マルシア)はキリシタン名と言われているが異説もある。富永二介妻、その右に元和八年、左に七月十五日の銘がある。このような和洋折衷様式の墓碑は全国でも珍しいという。    
(長崎県指定史跡)キリシタン墓碑の案内板より
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最後の目的地、波佐見町総合文化会館へ着く。
イベント受付の女性に「INRIの銘入り石製十字架」のことを聞くと・・すぐ後ろのガラスケースに収められていた。
2006年、町民により寄贈された。全長は約45cm、幅は広いところで約8cm。
自然石の四面に十字架が線刻され、広い二面には十字架に加え「INRI」と刻まれています。江戸時代初期、禁教令 以降のキリシタン関連史料と考えられ、十字架が四面に刻まれている点から、墓碑ではなく、礼拝用の道具であったとみられます。信徒たちは、これをひそかに持ち運び、皆で集まっては石製十字架の周りを囲み、敬けんな祈りを捧げていたのでしょう。
この石製十字架は、波佐見におけるキリシタンの様子を知る上で重要であり、また、「INRI」銘入りのキリシタン関連史料は国内でも珍しいことから、非常に貴重といえます。
石製十字架には、迫害に苦しみ悩む信徒たちのさまざまな思いや清廉な祈りの声が刻まれているのです。
~はさみ100選ガイドブックより(波佐見町教育委員会刊行)
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「観光交流センターくらわん館」で波佐見焼の学習をして帰路につく。
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 あっ・・しまった! 波佐見町総合文化会館前にある原マルチノ像を見学するのを忘れていた!

2日間、ユネスコ世界遺産登録を目前にした長崎キリシタン遺跡を駆け足で周った。
長崎における禁教時代のキリシタン史をより深く知ることで・・ペトロカスイ岐部神父の偉大さを再認識する研修旅行となった。


  
  いつもお立ち寄りいただき 感謝&御礼053.gif ありがとうございます

 本日(2016.8.30) 、訪問者数が200,000人になりました!

Commented by のんびり夫婦 at 2016-08-30 20:14 x
こんばんは。
二日通しで拝見しました。
雲仙まではは船便だと楽ですね。 私達も船便だと距離半分くらいなのですが、船賃が高いのがネックでどうしても高速道になります。 ビンボーなもので。
歴史を沢山楽しまれましたね。
その土地と触れ合うのも興味深いです。
Commented by MORI at 2016-08-31 08:08 x
じなしさん、おはようごさいます。
じなしさんが研修中に、私は相変わらず山を歩いていました。
と言うのは、夏山遠征第二弾として、谷川岳登山の伝統コースである馬蹄形縦走路を歩いてきました。
天神平から谷川岳山頂までは多くの登山者と出逢いましたが、その先はほとんど登山者と出逢うことはありませんでした。
中々面白いコースだと思うのですが・・・・・。
ただ天候には恵まれず、中々厳しい山行でしたが、それなりに満足して帰路につきました
Commented by jinashi at 2016-08-31 09:56
のんびり夫婦さん~ ぐっと涼しくなって・・よく眠れるようになりました。
私たちもビンボー登山部です^^ 急がない時は「いっぱんどー」です。
有明フェリーは意外と安く感じました。45分を8人が乗って1人700円ちょっと? 長崎、諫早辺りから熊本へ行くには便利でしょう。
4日は小倉行です。あわよくば・・?山へ(天気なら・・)
Commented by jinashi at 2016-08-31 10:13
MORIさん~ レポ見させていただきました。
ソロでの馬蹄縦走お疲れさまでした。いつも修験者になった気持ちで歩いているのでしょうか。
コースもかなりの距離&高低差もありそうです。蓬ヒュッテでの出会いもうれしいものですね。下山後の温泉食事は特別なものでしょうね・・
私たちハイカー夫婦にはすこし厳しそうでが・・一緒に歩いた気になりました^^
Commented by トトロのとなり at 2016-09-01 23:15 x
私も昨年、出津と大野の教会に行きましたが、古くて珍しい建物を見たいだけで宗教的歴史的背景を深く考察することもない物見遊山でした。じなしさんの場合は地元の歴史を掘り下げる関連なので深さが違います。登山とならんで一つのライフワークですね。
Commented by jinashi at 2016-09-02 10:45
トトロのとなりさん~ いつの間にやら・・キリシタンにはまって?しまいました^^; 始まりはペトロ岐部と国東半島の隠れキリシタン遺跡?です。興味度は微妙に違いますが・・こうしてみんなで研修に行くと楽しいです。
市もバックアップしてくれていますので・・観光で国東キリシタンを訪れる人が多くなってくれるとうれしいです。
by jinashi | 2016-08-30 15:58 | ペトロ岐部とキリシタン史 | Comments(6)