長崎キリシタン研修旅行①  2016.8.26(金)

ペトロカスイ岐部神父の顕彰をすすめるNPO国東半島くにみ粋群の8名は世界遺産登録をめざす長崎キリシタン遺産の視察研修へ出かけた。
この研修を計画準備中の7月27日、国の文化審議会は本年度の国内推薦候補として「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を選定した。平成29年2月までにユネスコへ推薦書を提出し、同年秋にはイコモス現地調査を経て、平成30年夏に開催される第42回世界遺産委員会で登録の可否が審議されることになる。

ペトロカスイ岐部神父が長崎のセミナリヨまで歩いたであろう「東京大学五野井先生推定コース」を確認する。国東→別府→湯布院→玖珠→日田→甘木→八女までは省略して玉名市へ向かう。

B&G国見海洋センターを6時に出発。宇佐市院内R387経由で大分道玖珠ICに乗り→九州道菊水ICで下りて玉名市高瀬の船着き場跡へは9時過ぎに到着する。
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加藤清正が天正~慶長年間にここ菊池川に米蔵と港を作ったところ。
1600年9月の石垣原合戦(大友義統×黒田長政)で岐部一族は敗走した。翌年、父ロマノ岐部は宣教師を頼ってペトロカスイ岐部と弟ジョアン岐部を連れてこの船着き場から、島原半島先端の口之津~茂木経由で当時長崎にあったセミナリヨへ向かったと推測されている。
現在は(干拓がすすんで)河口からかなり上流にあるが、当時は有明海にほど近かったのだろう。
俵ころがしの坂。
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長洲港から有明フェリーに乗船。
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雲仙普賢岳が近づいてくる。
45分ほどで雲仙市多々良港へ上陸。
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13時にガイドをお願いしていた南島原市ガイドの会有馬の郷(有家案内人えびすの会)山下貞文氏と合流。
最初に有家(ありえ)セミナリヨ跡へ・・  
セミナリヨ=キリシタンの神学校。修道士になるための初等教育機関。
コレジオ=大神学校。聖職者育成及び一般教養のための高等教育機関。

天正8年有馬に設置されたセミナリヨも国内の政情不安やキリシタン弾圧などで各地へ移転を余儀なくされた。有家セミナリヨは規模も大きく府内(大分)セミナリヨもこちらへ合併されたようだ。
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花十字紋入り箱型と干十字紋入り切妻蓋石型のキリシタン墓碑が置かれている。
陽刻された花十字紋。
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近くの墓地にあるかまぼこ型キリシタン墓碑。昭和4年にここの地下から発見された墓標。きれいな花十字とローマ字が彫られている。昭和34年国指定。最も高い価値を有するキリシタン墓標のようだ。ガラス越しなのでよく撮れなかった。
長崎県内には100基ほどのキリシタン墓碑があるようだ。
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北有馬町の日野江城跡(国指定史跡)へ。戦国大名有馬氏の居城。築城は1216年ごろ。
ユネスコ(国連教育科学文化機関)世界文化遺産への推薦を日本政府がいったん取り下げた「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」について、長崎県の「長崎世界遺産学術委員会」は、長崎、熊本両県の14の構成資産のうち長崎県内の2資産を「禁教期との関連が薄い」として除外する方針を決めた。その2資産が日野江城址と平戸の田平天主堂。
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かつての城想像図。
13代有馬晴信は1579年洗礼を受けキリシタン大名となる。1582年大友宗麟、大村純忠(晴信の叔父)とともに名代として有馬のセミナリヨから選出された4人の少年を天正遣欧少年使節として派遣した。1590年帰国の際には日野江城で8日間にわたる報告会が催された。
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国指定史跡となる城址へ・・。
発掘により二の丸への階段には宝篋印塔や五輪塔など仏教石塔が使われたことが判明した。階段は外来系の技術で作られているという。二の丸跡からは金箔の瓦も出土した。
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日野江城南西の麓にあったといわれる有馬セミナリオ跡。 2013年3月には原城とここを訪れた。
ラテン語、日本語、音楽、作文など6年間の西洋教育が行われた。
長崎から有馬へセミナリヨが移転したため、ペトロ岐部は5年間をこの有馬で過ごした。
セミナリヨ終了後に修道士になれず同宿として修行を続けるが、1614年キリシタン追放令でマカオに追放される。
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南有馬町にある有馬キリシタン遺産記念館へ。
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正面彫刻絵はここ南島原出身の彫刻家北村西望の作品で大分市の殉教公園にある「キリシタン殉教の地の碑」のレプリカ。あれ、見たことある・・と思った。
北村西望は長崎市平和公園の平和記念像や原城跡の天草四郎像など多くの彫刻を作った。
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天正遣欧少年使節が持ち帰ったグーテンベルク(活版)印刷機の模型。
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記念館で原城における島原の乱の予習。
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原城跡へ。
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石を落として防御した。黒田勢の宮本武蔵も負傷した・・
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天草四郎像(北村西望作)前でペトロカスイ岐部神父生誕地・豊後の国浦辺の住人達。
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ガイドの山下氏には猛暑の中、あちこちへ案内していただき、ご丁寧な説明をありがとうございました。「聞かんとわからん」ことばかりでした。

口之津から半島海岸線を時計回りで走って夕刻おそくに長崎市のホテルへ到着。
夜は山友・お宮さんご推奨の居酒屋さんで懇親会。
そのむかし、長崎のばあちゃんがお土産でよく持ってきてくれたクジラのコロは懐かしい味がした。
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明日は外海の遠藤周作文学館などを訪ねる・・
Commented by お宮 at 2016-08-30 12:19 x
せっかくの長崎でしたのに御一緒できず残念でした。
居酒屋はどうでしたか?若いころに毎週のように行ってた店、逆に私が懐かしかったりして(笑)。

長崎市内にも古いキリシタン墓が数基存在します。
場所はわかるのですが説明できない自分がちょっと悔しいです。
Commented by jinashi at 2016-08-30 16:05
お宮さん~ こんどはご一緒してください^^
島原半島を走っているとあちこちでキリシタン墓の看板を見かけました。市内にもあるのですね。
こんど山を下りた後でも教えてください。
世界遺産登録で長崎もさるくとあわせて観光客が増えるでしょうね。
by jinashi | 2016-08-29 16:26 | ペトロ岐部とキリシタン史 | Comments(2)