今日は
2.26事件から80年となる日。(夕方のニュース番組で知る)
そして・・大分県に春を告げる「県内一周大分合同駅伝」が我が家の前を通過する日でもある。
地元を走った柿本友彦選手(国東市・東国東郡チーム)は区間6位のいい成績で通過した。
選手団も通過した後の今日は久しぶりにいい天気だ。
ふらっと抜け出して・・豊後高田の山を登ってみよう。
来縄山(くなわやま・376.4m) ~大分かくれ名山 応利山(おうりさん・297.6m) ~
〃
豊後高田市と宇佐市、杵築市山香町の境界に連なる華ケ岳~喜久山連峰は六郷満山の聖地といわれる一帯で、このあたりの山で残る未踏は来縄山と霧笠山かな・・・。
久しぶりに応利山登山口から登る。(2011年6月以来3度目?)
ここの標高≒80m
長い石段登りが始まる。
九九.八十一階段だという。下から81+72+63+54+45+36+27+18+9=405段?あるのだろう(数えなかった)数合わせが優先のため?・・石段は高さ、長さとも歩きにくい造りとなっている。
仁王像がお出迎え。まだまだ石段は続く。
20分ほどの階段上りで六郷満山本山本寺応利山報恩寺(跡)へ着く。
現在の寺は下の町中(来縄地区)へ移っている。
説明版には「往時は七堂伽藍を整え、末寺三十六坊を有す」とある。
六郷満山三十三霊場巡りも現在、宇佐神宮、宇佐宮弥勒寺を入れて三十一霊場(番外に西叡山高山寺)となっているようだ。かつて一番札所だった報恩寺は今は三番札所となる。
少し先へ進んだロープゲート横の木に「津波戸山水月寺跡」の標識があり、右下へと山へ入る。
やや荒れた山道をテープを見つけながら広い尾根伝いを歩く。
山と書かれた境界を示す石積を通る。何か所かある。
大きな岩が積み重なったところは左を進む。ここを石山というようだ。
厳しい急登が始まる。
10分ほど頑張ると勾配が緩んで山頂部が見えてきた。
狭くて丸い山頂は木立で展望は無い。
見慣れた山頂標識と四等三角点がある。
山頂の先は津波戸山へと続いているようだ。
一休みしたら往路を戻る。
ロープゲートのある報恩寺本堂があったという場所へ戻る。
思ったより早く戻れたので応利山へ向かう。
石段を上がると風除大権現へ。風の神様=豊作の神様だろう・・。
その裏からほぼフラットな山道を進む。荒れた竹林を過ぎると応利山山頂だ。
こちらは三等三角点がある。
復路に報恩寺下の展望広場から見る豊後高田市街地。
九九.八十一階段より昔の登山(参拝)道の方がいいな・・・
下山したあと、麓集落から見る来縄山。
登山口10:36→10:53旧報恩寺→10:57ロープゲート分岐→11:07石山→11:24来縄山山頂→11:50分岐→12:02応利山山頂→12:36下山
登り~約50分 下り~約1時間
(GPSマップ)