台風一過の14日、国東半島国見町の櫛来社で「ケべス祭」が行われた。
櫛来社は岩倉社ともいわれ、寛平元年(889年)に宇佐神宮のご分霊を移してお祀りしたという伝承があるが、ケベスという言葉の語源や祭りの起源は一切謎に包まれているという。
夕闇が迫る頃、祭を担当するトウバ(今年は金丸地区)の男たちは神社裏手の海岸へと精進潔斎に向かう。
参拝者や報道が見守る中、大人も子供も素っ裸で海へ入って身を清める。
拝殿前にかがり火が焚かれ、白装束に身を包んだトウバ衆が参列して神事が行われる。境内は大勢の参拝者で身動きがとれないほどとなる。
神殿ではケべス役の男に宮司よりケべス面が取り付けられ、背中に「勝」の指文字をなぞられると神になる。いよいよ境内に登場する。
笛太鼓鉦の4拍子に合わせて練楽がはじまる。笛のYさんは今年で50年の皆勤だ。
ケべスは椿の木で作られた差又(サスマタ)を扇子で叩いて調子を取りながら境内を周回する。
何度か回ったら庭火に向かって突っ込んでいく。それをトウバ衆が阻止する
左がケべス、右にトウバの男。
時には庭火を跳ねて戻ることもある。
9度目の突っ込みでケべスは庭火に入り込んで差又で大きく火を跳ねると、それまで阻止していたトウバ衆は一斉にシダの束に火をつけて参拝者に火の粉を浴びせて回る。逃げ惑う参拝者の叫び声が聞こえ、祭りはクライマックスとなる。
境内はシダが燃える匂いと煙に包まれる。
トウバの男たちは、境内中を逃げ回る人たちを追いかけて容赦なく火の粉を浴びせかける。
火の粉を浴びた参拝者は無病息災が叶うという。
30分ほどで境内に太鼓の音が鳴り渡って祭りは終了する。
過疎と高齢化が顕著に進む櫛来地区のケべス祭だが、今年も祭りを伝承していこうという地域の熱意により無事終えることができたようだ。
この日はテレビ朝日「ナニコレ珍百景」や戦場カメラマンの渡部陽一さんの取材、それに女性指揮者の西本智美さんも見学されていました。