湯布院キリシタン墓地を訪ねる 2014.3.30(日)

飛岳を下山後、湯布院町川上のキリシタン墓地を訪ねる。

(マップ~湯布院町キリシタン墓地)


ナビを見ながら陸上自衛隊駐屯地の後方にある墓地をめざす。途中に停まっていたタクシーの運転手に聞いて墓地近くの駐車場所を教えてもらう。そこから歩いてすぐ先の山の斜面がキリシタン墓地となっている。
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湯布院町にはキリシタン墓が86基あるといい、ここ「並柳・峯先墓地」には十字章のある墓碑の総数は49基で、そのうち28基がキリシタン墓群として大分県の文化財指定を受けている。
地区のキリシタン史は1580年(天正8年)に大友宗麟家臣で郷土の奴留湯(ぬるゆ)左馬介が部下とともに洗礼をうけたことに始まる。その後伝道所や教会が設置されて信者は1500~2000人ともいわれた。徳川の禁教により宗門改めが行われたあとも隠れキリシタンとなった者も多くいたようだ。十字のあるものが30基、隠れキリシタン墓が約40基ある。(説明板より)

仏式墓標のあいだに点在するキリシタン墓石に落ち椿が散らばる。
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キリシタンの墓には十字墓と伏墓があり、十字墓は、キリシタン布教時代からキリシタン禁教取締が厳しくなるまでの時代と推定されている。
これは十字墓。真ん中にクルスが立てられていたのか?
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同じクルス墓。
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真ん中にダイヤのあるクルス墓。ダイヤはキリストの象徴とされているようだ。
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クルス墓
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伏墓は隠れキリシタンのものと言われる。
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隠れキリシタンの仏教式墓。戒名の「慈峰」は慈悲の教えを説くキリスト教、「了白」はキリスト教を終えたということか?「白」はキリスト教を意味するようだ。
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苔むした墓石。
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戦国の世では天下統一をめざした為政者たちの都合に翻弄されながらも、住民たちは一途な信教を貫いたことが儚く偲ばれる。

大分県では6市町がキリシタン南蛮文化協定により交流連携し、文化や観光の活性化をめざしている。由布市にもこれだけのキリシタン遺産があるのですから、ここは一緒になって売り出すべきでしょう。

Commented by トトロのとなり at 2014-04-04 22:57 x
豊後には各地にキリシタンにまつわる遺構があるんですね。日向ではキリシタンの話はあまり聞きませんねぇ。天正遣欧少年使節の伊東マンショは日向の人ですが、豊後に逃れた後にキリシタンとなって大友宗麟の名代として渡欧してます。昔は豊後が本場だったんですね。多彩な文化を持つ地域です。
Commented by へんろみち大将 at 2014-04-05 00:36 x
落ち椿が哀愁を誘いますね。
ちょっときれいに整備されたように思います。

由布院は旧町内にキリシタン墓が随所にありますね。
観光地なんですがココはほとんどPRされていません。
キリスト教徒の多い韓国人などは興味あると思うのですが。
Commented by jinashi at 2014-04-05 10:37
トトロのとなりさん~ 耳川合戦でもしも大友が勝っていれば・・日向に楽園ムシカが出来て今の人々の暮らしも変わっていたかもしれませんね。
国東出身のペトロ岐部は島原のセミナリオでは帰国した伊東マンショから教えを受けたとも・・・・
Commented by jinashi at 2014-04-05 10:47
へんろみち大将さん 
大友保護と後の禁教がミックスしているところがいろいろと想いをめぐらせます。
ここ以外の湯布院キリシタン墓地にも行ってみたくなりました。玖珠にもあるようですね。
by jinashi | 2014-04-02 19:06 | ペトロ岐部とキリシタン史 | Comments(4)