半世紀ほど前、上智大学のチースリク神父(故人)によりこの地がペトロ岐部の生誕地と知った国見町住民はさっそく威徳顕彰会を発足させ、記念公園や立像作りに奔走した。その後毎年10月第4 日曜日には教会と合同で盛大に殉教祭を催してきた。
時は流れ…当時情熱をもって取り組んだ地区有志も皆鬼籍へ入りその活動は停滞していた。そして数年前には地元の威徳顕彰会も解散した。
今年になって教会と地元関係団体とで協議を重ね、またかつてのように地元も一緒になって「岐部祭」を盛り上げていこうということになったのだ。
一方でこの春に国東市ほか6市町により結ばれた「キリシタン南蛮文化協定」も動き始めている。
ペトロカスイ岐部神父殉教祭&浦辺の禁教キリシタン遺跡ウオーク
ペトロカスイ岐部神父の殉教祭が行われた。
2008年にペトロ岐部が福者となってから、その殉教祭は殉教日(7月4日)に近い7月第1日曜日に行われることとなった。
今年もその日7日の天気予報に傘マークがあり、2年続きで会場をペトロ岐部記念公園から国見町生涯学習センター「みんなんかん」に変更となった。
受付がはじまる。
最初に記念講演「ペトロ岐部~聖地エルサレムを訪れた初めての日本人」
~講師は大分学研究会会長辻野功先生。
後期高齢となられた辻野先生ですが~戦国の世を堂々と生きた大友宗麟やペトロ岐部にまつわる博識となめらかな弁舌は見事です。
ペトロ岐部の式典には欠かせない国見ふれあいコーラスの皆さん。
「アベマリア」「故郷」そして木下龍太郎作詞・船村徹さん作曲のペトロ岐部のうた「道標(みちしるべ)」の3曲をみごとなハーモニーで聴かせてくれました。
大分カトリック教会によるミサが始まる。司式は大分教会の浜口司教。
式典終了後、「浦辺の禁教キリシタン遺跡ウオーク」が行われた。
(主催:NPO国東半島くにみ粋群、協力:国東半島エコツアーガイド会)
岐部社へ移動して回廊で遅めの昼食。
岐部社にある石造文化財とキリシタンについて~ガイドは別府市から特別ゲストガイドの木内さん。大分市都町で讃岐うどん店「へんろみち」をされている。
うどんもうまいが…キリシタンガイドもうまい!
岐部城址の岐部氏墓地へ移動。ガイドは現役漁師のいっちゃん。
国東塔にあるキリシタン紋様について鋭い解説が…
車で櫛来グランドへ移動。ここからのガイドはさとみさん。
晴れてはいるが向こうで雷の音も聞こえ、今日は梅雨明けも間近?という感じのやや不安定な天気だ。
臨済宗寺院の永明寺墓地へ歩いていく。ここは地元庄屋を務めた小串氏墓地だ。
キリシタンは戒名など墓標には苦心したようだ。
これまであれこれとキリシタン文化を学習されているさとみさんですが…じなしも勉強させられました。
墓標に刻まれたOを→まるい→まありい(大分弁?)→まありあ→マリア…?!
城山裏の櫛来岐部氏の墓地には童子童女の墓も多い。
ここのガイドは何度か担当したことがあるきよさん。要点を的確に手慣れたガイドぶりでした。
すこし先の修道士像が刻まれた大岩へ。耳なし、外人姿勢など修道士を思わせる。
25年ほど前荒れた山を切り開いたところこの大岩が出たという。地主のKさんは親からも聞いていなかったという。
最後の遺跡は魚の絵~「INRI」(いんり)祭壇石。
この前に信者が集い密かにミサが行われていたのだろうか…
※INRI=罪状書きの言葉(罪標・ すてふだ)=ナザレの王、ユダヤのイエス
ガイドは富さん。手書きの説明をつくって楽しいガイドをしてくれました。
時間が下がってウオークがドライブになってしまいましたが…参加された皆様も十分楽しんで学習していただけたようでした。
また、ミサでは参加していた信徒さんでメル友Aさんとのうれしい出会いもありました。