車中泊した熊本県の某所を早朝に出発。
今日は五家荘の保口岳を登ろう。 この山も2年前の地図帳でデビューした九州百名山だ。
(マップ)
保口岳(ほくちだけ・1281.3m) 九州百名山(地図帳)~86座目
美里町砥用をR218からR445へ入ると電光掲示板に「積雪チェーン規制」とあり…。今日は寒気が入って気温も上がらない予報だが…うーん、予想外の雪だ。
二本杉峠へ向かって登っていくと中ほどから氷結した雪道となる。バリバリと音を立てながら恐る恐る狭い道をゆっくりと登っていくと夜もうっすらと明けてきた。対向車に出会うこともなく、やっと登り上がった二本杉峠は一面の銀世界だ。 気温は氷点下5度。
4年目にン万円で買ったゴム製タイヤチェーンを説明書きを見ながら装着する。(今まではお守り状態だったのだ)思ったよりスムーズに装着完了。
二本杉峠から五木村方向へと下っていく。京丈山入口辺りで雪も無くなってくる。
途中に工事中の所も多いR445を進み八代市と五木村境の下鶴から県247へ入る。大きく左カーブした右手に「保口岳まで7Km」を見て市道へ入る。案内板を確認しながらくねくね進んで(登って)行き止まりとなったところが登山口だ。 遠かった…
京都ナンバー軽四の先客が1台。
準備をしてスタートする。9時36分。ここの標高≒820m。
竹林を進む。
竹林を抜けると最後の民家。正月飾りはあるが住んでは無いようだ。
「保口岳110分」の標識から右へ入る。少し雪も出てきた。
ススダケの急坂が続きやや屈み姿勢で登っていく。
植林帯に出てジグザグに登っていくと若い男性が下りてきた。暫し立ち話をする。正月休みを利用して九州の山旅に来られていた京都のMさんでした。
早朝7時頃から登られたそうで、山頂までの雪を被ったススダケには難儀をしたようでした。
作業道へ出合いジグザグに何度も登り返して高度を上げて行く。
保口林道に出合う辺りから展望も良くなってくる
谷向こうに見えるのは五木村の山々のようだ。左奥は仰烏帽子山か?
さらに林道を進んで尾根から山へ取り付く。
尾根伝いに登っていくとスズタケが多くなってくる。
雪も深くなってくる。
Mさんのおかげでスズタケに乗った雪がだいぶ落ちていたにもかかわらず厳しい登りを余儀なくされる。ただMさんのトレースに沿って歩けば迷うことはない。
樹氷も多くなってくるといよいよ普賢峰直下の岩場に取り付く。20mほどの起立した岩場を立木や根や岩角を捕まえてよじ登る。右下は見ない(ほうがよい)。
登り上がった正面がお地蔵さんの居る普賢峰の山頂だ。11時30分。標高≒1280m。
お地蔵様は鬼山御前様。下部に伝説が書かれているようです。
山頂から青空に樹氷の枝がひろがります。
その先を急激に下っていく。鞍部までもスズタケが密集している。
最低鞍部あたり。
登り返しもスズタケに悩まされる。人吉かめさん「あと5分」の標識が見えて元気が出る。
ススダケの籔から抜けると保口岳山頂に飛び出す。12時2分。
泉五家荘登山道整備プロジェクトの新しい山頂標識と2等三角点の前で山頂写真。
先ほどの普賢峰を望む。
南東に遠く見えるのはじなし未登の上福根山か?
南よりのこちらも未登の積岩山(右の先)か?
北の大金峰・小金峰や国見岳方向は樹木で確認できず。
気温も低くすぐに下山とする。Mさんのトレースを辿る。
植林帯を緩やかに下っていくと15分ほどで林道に出る。
頭上の普賢峰を仰いだり、保口岳山頂を振り返ったりしながら林道を40分ほど歩いて朝の登山路と出合い周回する。
往路を滑らないように気をつけながら無事に下山する。13時34分。
スズタケには苦しめられましたが普賢峰や保口岳山頂からはすばらしい景観でした。
鬼山御前の平家伝説ものこるいい山です。
そして青空をバックにすばらしい樹氷も楽しむことができました。
GPSマップ(拡大します)
帰路に登山口近くの市道沿いにある鬼山御前伝説の地を訪れる。
五家荘の岩奥という所に隠れ住んでいた鬼山御前は、屋島の合戦で源氏方の那須与一が、平家方が掲げた扇の的を弓で射たという、その的になった扇を持っていたといわれる、平家の官女・玉虫御前のことだともいわれています。彼女は平家追討に訪れた源氏方の那須小太郎宗治(那須与一の息子)を引きとめているうちに、恋に落ち、夫婦になったのだそうです。
この鬼山御前、とてもお乳の出がよく、近所の子どもたちにも乳を与えていたという言い伝えも残っており、現在は乳の神様として、泉村の保口若宮神社にまつられているそうです。(HP気になるくまもとより)
その保口若宮神社に祀られた石造の鬼山御前。お年玉の重ね餅もお供えされていました。
隣に湧き出る水は年中温度も一定で飲むと乳の出が良くなるという。おいしい水でした。
帰路に椎原の緒方家屋敷に立ち寄る。
平清盛の孫、清経の末裔が姓を緒方と改名しこの地に住みついたという。300年ほど前の兜造りという合掌づくりで隠し部屋などがあるという。
九州脊梁山地の白鳥山には清経居住跡の標識も立っている。
ただ、大分県宇佐市長洲の小松橋たもとには清経の墓がある。若くしてこの沖の豊前海に身を投げたというのだが…。
また新たな山旅の思い出をつくることができた2泊3日の遠征でした。