日向市美々津地区の歴史的町並みを散策 2012・11・25(日)

南九州山旅遠征の帰路に日向市美々津地区に立ち寄る。



耳川河口の美々津港は江戸時代は高鍋藩の上方交易港、明治・大正時代は入郷地帯を後背圏とする物資の移出入港となり美々津はその港町として栄えた。 当時の建物、敷地割が残り、瀬戸内船運の西端にあたり、上方風の商家、操船・水運業者の家、漁家が連なり、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定される。(wikipedia)

耳川河口港に車を停めて町並みを歩く。
江戸時代には上町と言われた豊後街道のメインストリート。
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幕府や藩が民衆に直接伝達する手段として用いられた高礼場跡が復元されている。現在は観光案内板。
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共同の井戸。
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中町通り
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廻船問屋河内屋跡。(現在は歴史民俗資料館)
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ここでは生活の気配があまりしない。高齢化もあるのだろうが保存地区となったことで暮らしにくくなったのだろう。

耳川河口の神武天皇東征お船出の地。よって日本海軍発祥の地となっている。
紀元前、神武天皇が宮崎の皇宮屋(こぐや)で東征の軍議を決定されて大和へ向け出発、船出の港に選ばれたのがここ美々津であったと伝えられている。
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神武天皇を祭神とする立磐神社。
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立磐神社参道にあるお腰掛け岩。東征のおり神武天皇が座ったとされる。 
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1.2km沖にある七ツバエ(竜神バエ)に神武東征2600年に建てられた美々津灯台。
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その左にある小島が一ツ神。
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日向を旅立ちした神武天皇は佐賀関から国東半島へむかう。
古事記では
 神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ=神武天皇)は、兄の五瀬命(イツセ)とともに、日向の高千穂でどこへ行けばもっと良く葦原中国を治められるだろうかと相談し、東へ行くことにした。舟軍を率いて日向を出発して筑紫へ向かい、豊国の宇沙(現 宇佐市)に着くと、宇沙都比古(ウサツヒコ)・宇沙都比売(ウサツヒメ)の二人が仮宮を作って食事を差し上げた… (wikipedia)


じなしブログ「神武東征と宇佐の一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)を訪ねる 2012・7・15」                 ↓
神武東征と一柱騰宮

道の駅日向から入った「日向サンパーク温泉・お船出の湯」でリフレッシュして帰路につく。
Commented by 豊津の信ちゃん at 2012-12-04 21:19 x
こんばんは~ 「日向・美々津」懐かしいですぅ。。。。
九州に帰ってくる前に栃木県に居りまして、神奈川県の川崎から日向までカーフェリーを利用して里帰りしていました。
子供がまだ修学前で連れて飛行機や列車に乗るのは大変でしたので、
往復のどちらかを主人も一緒で、あとは友人宅を訪ねたりするのに移動手段として車を利用。
船の名前が「美々津丸」でした~
30数年前を思い出しました^^
Commented by jinashi at 2012-12-05 14:36
実はじなしも横浜からUターンして国東半島へ帰ってきたのですが・・・
その際、車だけは少し遅れて川崎から日向(細島港)へ帰ってきたのです。
 Uターンする直前にぶっつけたのです^^; 
 35年前のなつかしい出来事でした・・・
by jinashi | 2012-12-04 16:49 | ドライブ&トリップ etc | Comments(2)