八幡文化を訪ねる旅~薦神社仲秋祭 2012・9・15(土)

NHK文化センターの第6回八幡文化を訪ねる旅に参加した。
今回は中津市の薦神社で行われる仲秋祭の見学だ。
14時40分にJR宇佐駅に着き青鬼さんと合流。同時に到着したバスに乗り込む。
途中、宇佐の県立歴史博物館で企画展「宇佐海軍航空隊と大分の戦争」を見学したあと、左右に飛行機を格納した掩体壕を見て航空隊の滑走路となっていた所をバスで走る。(現在宇佐市辛島から乙女海岸部へ向かう市道?となっている)大戦末期には150人以上の若者が「神風特別攻撃隊」として飛び立ったという。
当時中学生だった講師の後藤正二先生も勤労動員によりここで働いたこと、B29に逃げ惑ったことなどをお聞きする。
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中津市大貞の薦神社(大貞八幡宮)に到着。祭りで交通規制中。

歴史的には宇佐神宮の祖宮ともいわれている。
祭神は応神天皇(=八幡大神)、比咩大神、息長帯比売命(おきながたらしひめ=神功皇后)
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境内で説明する後藤先生。
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夕刻の三角(御澄)池を見学。
薦神社では霊地であるこの三角池を内宮、社殿を外宮としている。
この池に自生する薦で造った薦枕は養老4年(720年)薩摩隼人の乱鎮圧に向かった八幡神の神輿に乗せられた。天平勝宝元年(749年)より6年毎に行われた宇佐八幡行幸会に薦枕は御験(みしるし)として八ケ社を巡った後に宇佐宮本殿に納められ、古い御験は杵築の奈多宮から海に流されたという。
元和2年(1616年)に小倉藩主細川忠興により150年ぶりに行幸会が復興された際、薦神社の社殿が再建されている。行幸会はその後現代まで400年ほど中絶している。(昭和46年車により略式に行われている)
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後藤先生と親しい薦神社宮司池永孝生氏によるお計らいにより、17時から行われた「御神幸行列仮宮出発報告祭」へ参加者全員が特別に参列させていただきました。
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宮司以下神職3名により執り行われる出発奉告祭はてきぱきと進行して気持ち良い。
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全員で「大祓詞(おおはらえのことば)」を奏上する。(参列者へ配布される)
文字を続けて追えない、息が続かない…祝詞もお経も訓練が要ります。
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代表して後藤先生による玉串奉奠。
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池永宮司による祭典協力の御礼と継続のお願い。
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境内で写真家の藤田晴一先生と出会いました。 
藤田先生によるとこの神社の見どころは細川忠興により元和再興により竣功された神門。
他に類をみない形式の三間一戸二重門で、細部の絵様や彫刻も優れ、江戸時代初期の門として九州地方を代表する建築物であることから、昭和63年に国の重要文化財に指定されている。
平成7年の大修理では柱礎石を残して解体された。檜皮葺(ひわだぶき)からこけら葺に復旧され、当初の姿に復元されている。
※こけら葺とは、屋根葺手法の一つで、木材の薄板を用いて施工する。板葺(いたぶき)の代名詞にも使われる。(wikipedia)
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平成の大修理の際の保存修理記録「写真集薦神社神門篇」(2000円)。写真家藤田晴一氏による。
社務所の授与所で買い求めるといっしょに祓串(はらえぐし)も授かりました。
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社紋は一つ巴。
元来、巴紋は水に由来する紋で、宝器の勾玉、魂、命に関連する。宇佐神宮の三つ巴に対して、一つ巴であることから、宇佐の祖宮の一つと考えられている薦神社は、本来は宗像三比売大神ではなく、別の、あるいはその中の一人の比売大神(たとえば中津宮の湍津姫神)を祀っていたのではないかという説もある。(wikipedia)
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藤田先生から仲秋祭の見どころは勇壮な神輿の「練り」と教えていただいた。
お立は19時30分から。
最初に子供たちによる笛や鐘にのせて笠鉾が出て行く。子供たちは夏休み中に練習してこの日を迎えるようだ。
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3基の神輿が繰り出す。担ぎ手は皆若い青年たち。今日は三角池の向こうにある頓宮の御旅所まで行幸する。
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江戸時代に小倉藩主細川忠興が寄進した神輿。
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先輩リーダーの号令に合わせていろいろな所作(動作)を見せる。
一斉に横向きとなって持ち上げる。
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走って練り上げる?。
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持ち上げた神輿の下を子供たちが走り抜ける。その子供たちが十数年たって今度は神輿を担ぐ番が来るのだ。
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立ち並ぶ夜店に老いも若きも多くの氏子が祭りを楽しんでいるようだ。
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祭の幟も夜店の明かりに浮かんでいる。
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翌日16日は午後8時に御旅所を出て本社着御は午後10時。
今の地域社会では希薄になったといわれる人間関係だが、祭りという伝統行事を引き継ぐ中で若い人たちが先輩たちに指導を受けて成長し、絆が出来ていく様子が伝わってくる。
久しぶりににぎわいがあり、感動する祭りを見た。
Commented by へんろみち大将 at 2012-09-18 16:33 x
宇佐八幡も謎多き神社ですね。
じなしさんに連れてってもらって黒土耶馬行って見たいです。
大将はもともとは山好きでそれで大分永住を決めたくらいなんですが
今は仕事上体重を増大させていてとても山には自信がありません(--)

写真家の藤田さんは大将もお友達でお店の常連です(^^)
Commented by jinashi at 2012-09-18 18:09
宇佐八幡も庚申塔もへんろみち大将も謎多きところが魅力的ですね^^
今日、同級生の富さんから大将のお店でお昼を頂いた…と連絡がありました。  先駆けされました・・・。
じなしも10年前はうどんのグルテンを増大させるに十分な体重がありましたが、10kgほど山においてきました。
Commented by トトロのとなり at 2012-09-18 22:56 x
若者の血が騒ぐようなお祭りは是非残して欲しいですね。やはり国東から中津にかけての地域は文化的に豊かですね。じなしさんが紹介されているさまざまな文化行事にも参加したいとは思いますが、なかなか時間が取れません。いずれ機会があれば参加させて下さい。

三方岳に登るんですか?宮崎県内が残り4座ということは延岡の行縢や大崩などにはとっくに登ってるということですね。私は山に不案内で祖母すらも登ってないくらいですが。県央、県南となると霧島以外は全然知りません。妻が諸塚出身なので諸塚山に登ったくらいかな。
Commented by jinashi at 2012-09-19 16:27
諸塚山は(前)九州百名山でじなし未登の山です。数度近くまで行きましたが(荒天などで)縁がありませんでした。
アケボノツツジがいち早く楽しめる山のようですね。そのころ六峰街道から訪れてみたい山です。
by jinashi | 2012-09-17 17:42 | 国東半島あれこれ | Comments(4)