第2回八幡文化を訪ねる旅「宇佐八ケ社巡り」 2012・5・19

宇佐八幡行幸会八ケ社めぐり

NHK文化センター主催「第2回八幡文化を訪ねる旅」に参加した。
今日の学習は宇佐八幡行幸会の八ケ社巡り。

宇佐八幡行幸会は6年に一度(卯と酉の年に)作り替えられる御神体(7月初旬初午の日、薦神社(中津市)の三角(みすみ)池で刈り取られた真薦で作られた枕)を神輿にのせて宇佐八幡と歴史的かかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事で765年に始まり、鎌倉時代まで続いた。1616年、中津藩主細川忠興により再興されたがその後現在まで中断している。
11月初旬初午の日、大宮司以下神職とともに行幸する。
行幸の順は
宇佐八幡→①田笛社(赤)→②鷹居社(オレンジ)→③郡瀬社(黄緑)→④泉社(酒井泉社・緑)→⑤乙咩社(青)→⑥大根川社(紫)→(薦神社)→⑦妻垣社(ピンク)→⑧小山田社(黒)→宇佐八幡…と記録に残る。


足首捻挫と聞いていた青鬼さんもバス乗車地の宇佐駅前に立っていた。サポーターにストック姿でややぎこちない歩きっぷりだが…その学習意欲は御立派です。(前回と同じ)バスに乗り込む。
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同乗の皆さんと大元神社例大祭以来(20日ぶり?)の再会。最初の田笛社へ向かう。
田笛社は豊後高田市中心部から宇佐駅にむかう途中の213号線そばにある。
ここは豊前(宇佐市)と豊後(豊後高田市)の境あたり。いつも横を通って知ってはいたが初めて訪れる。
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宇佐八幡宣託集には
「田布江(タフエ):古老伝に云う、田笛也。大御神御修行の昔、この所で田笛を吹き、田飯を得られます故に、こう云うなり」とある。   意味は?良くわかりません。
境内や神殿も荒れている。
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次に向かったのが鷹居社。宇佐市役所対岸となる駅館川右岸にある。
宇佐小倉山麓の菱形池の笹の上に黄金の童子となって現われた応神天皇(八幡神)がこんどは黄金の鷹となって駅館川の松の木に現れたので大神比義(おおがのひぎ)と辛島勝乙女(からしまのすぐりおとめ)が鷹居社を建てたという。
周辺は鷹居地区公園となっている。
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先生、運転手とも進路不明となり地区のおじさんの軽トラに先導してもらって宇佐市乙女の乙咩社に着く。
乙咩社は古代の古墳上に建てられたという。
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神社の南にある乙咩水(「ゼミノクチ」とも呼ばれる)といわれる御神水。
八幡神が辛島の酒井泉社からこの地に移った時辛島勝乙目が泉を掘って八幡神の洗浴に関する奉仕をされたという。ここの地名もこの乙目に由来するという。(御霊水の説明書きより)
乙咩神社の近くに八幡小学校がある。宇佐八幡宮近くには宇佐小学校がある。なしか?
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四日市の「うなぎの竹の屋」で昼食をとったあとに訪ねた大根川神社。
中津市にほど近い宇佐市佐野のR10線沿いにある。
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宣託集には
「大禰河:古老伝に云う。大根川也。大御神御修行の昔、この川辺で大根を召されたので、この名という。社有り、祀あり」とある。
神殿を鉄骨の建屋が覆う。なんか侘しい感じだ。
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四日市へ戻って辛島交差点(ローソンの道向こう)にある泉社を訪ねる。
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別名酒井泉社といわれるごとく霊水が湧く池がある。
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「宝池~天平宝字3年(763年)に、社殿の傍らの霊水で酒を造って八幡神に献じ、その残滴を地に注いだところ、泉になって湧き出たという伝説から、この場所に池を掘ったのが起源であろう。それ以来、昭和の終わり頃まで約1200年間湧き出し続け、名水として、また水田の灌漑水として永く広く利用されてきたが、平成の初め頃(1990年)市の下水道工事で泉の水脈が切断され、湧水量が減少してしまった」(説明板より)
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法鏡寺交差点そばにある郡瀬(ごうせ)社。
前をR10号が通り、車の通行量が多い。横の駅館川にかかる橋を瀬社橋という。
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ちょうど立ち寄られた地区自治会長さんからご説明をしていただきました。
社殿裏を宇佐往還が通っており、突き当った土手が昔渡し場のあったところ(画像の左下あたり)で、対岸はミスターマックスのあたりという。(むこうの塔の立つ手前あたりに鷹居社がある)
行幸会では鷹居社から船でここ瀬社へ到着したという。
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次の目的地は安心院町の妻垣(つまがけ)社。八ケ社のうちここだけ1社ぽつんと離れている。社紋は宇佐神宮と同じ「三つ巴」。韓国の国旗は二つ巴?
平成27年には創建1250年を迎えるようだ。
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「妻垣山(ともかきやま)」は太古比咩大神(三女神)の御降臨された霊地にして、宇佐神宮第二殿と言われる。…」(社殿にある妻垣神社由緒記より) 
降臨された比咩大神は「玉依姫命」であり、安心院の地名は比咩大神が院の内で安心したことに由来するとある。  
比咩大神が御降臨されたという神社奥宮にある巨石(磐座)は神社から340mほど行ったところにあるようだ。その磐座が「足一騰宮(あしひとつのあがりみや)」(「一柱騰宮」とも表記する)の奥宮とされているようだが…あわせて次回の宿題としよう。
※一柱騰宮と言われている地は近隣に3か所あるらしい…。
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足形石(馬蹄石)。説明書によると~八幡大菩薩が人皇(応神天皇)の昔、龍の駒に乗りこの山に飛び翔けたときの足跡が残っているという。崩落の恐れがあるため社殿近くに移転したという。
御許山にも同じような伝説の石があった。
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神社裏手にある「騰宮学館」跡。大正2年、神宮皇學館を卒業した林正木氏が私財を投じて開校したという。当時貧しくて進学できない人のために教員や神職を養成したという。
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妻垣神社についていろいろと説明して下さった矢野省三先生。(右・白いジャケットの方) 現在宇佐市の教育委員をされているそうです。
先日の合同新聞で見た「松本清張と安心院 隠れた九州の霊地」(松本清張とふるさと安心院の会発刊)についても解説をしていただきました。
左の本を持つ人は今回お世話をしていただいた事務局の島田稔さん。1年前までNHK大分のアナウンサーをされていました。
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「バスは山路の峠を走るが、その峠を越すと、山峡が俄かに展けて一望の盆地となる。早春の頃だと、朝晩、盆地には霧が立籠め、墨絵のような美しい景色となる。ここの地名は安心院と書いて「あじむ」と読ませる。正確には大分県宇佐郡安心院町である。」 ~ではじまる「陸行水行」は松本清張により昭和37年に書かれている。邪馬台国をテーマにした小説だが、清張は何度も安心院を訪れている。
出版された本。1500円。宇佐市内の書店などで販売されている。
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最後の目的地は小山田社。
安心院から宇佐市正覚寺へ入っていく。下矢部あたりでじなしの思わぬ方へとバスは進む。県658を樋田のケーズ電器ちかくに来てしまったのでじなしが志願してナビを務める。数年前に行ったので何とか覚えていたが狭い道を通ったので木の枝がバスに当たって運転手さんに気の毒なことをした。
神殿と拝殿の間の申殿(もうしでん)は基礎だけが残る。
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階段を上がった鳥居の額には「貴布祢」とある。小山田の名は神殿建設の祭の寄付者芳名板に見られるだけ。
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託宣集によると
元明天皇・霊亀2年(716年)、鷹居社にいた応神八幡神は「此の所路頭にして、往還の人無礼なり。此等を咎むるは甚だ愍(メグ)し(憐れである)。小山田の林に移り住まんと願う」との託宣し、これを受けて「大神諸男・辛嶋勝波豆米が大御神の御心を奉じて、宮柱を立て、小山田の神殿を造り奉り、祭祀を致す」とある。
その後、養老3年(719年)の「隼人の反乱」で朝廷からの鎮圧祈願を承けた応神八幡神は「吾行きて降伏さすべし」と託宣し征討軍の先頭に立って出征、乱の鎮圧に多大の貢献があったという。この隼人の乱鎮圧への貢献によって、国家鎮護の神としての応神八幡神が中央にも広く知られ、小椋山(現宇佐神宮)遷座とつながっていったという。
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本日もいろいろと楽しい解説をしていただいた後藤先生。(青いシャツの方) 解説よりも冗談の方が多かった? 先生、目をつむった画像でごめんなさい。
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以上で今回の学習は終了です。みなさんお疲れ様でした。

5日間かけてに八ケ社行幸会を終え本宮に還幸したら、その新しい御神体を上宮に納め、同時に旧御神体を上宮から下宮へ移される。
ここからが旧御神体の行幸会となる。4泊して国東半島を横断し5日目(新御神体行幸から10日目)に奈多八幡宮沖の小島(巌島)から古いご神体を竜宮へ還すとして海へ流したようだ。(この旧御神体行幸会は中世になって行われるようになったという)


 
by jinashi | 2012-05-21 23:06 | 国東半島あれこれ | Comments(0)