竹田市・原(はる)のキリシタン墓地を訪ねる 2012・3・25

竹田市大字長湯字原(はる)

マンサク探訪の帰路に長湯の原キリシタン墓地を訪れる。
先3月4日には野津町のキリシタン墓地現地説明会に出かけたが、戦国時代には野津から竹田地方にかけて多くの信者たちが居たことを知る。
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説明板によると
~当時この地区は朽網(くたみ)と言われ、1550年~1580年には300人の信者が居たといわれる。日本で最初の教会が設けられており、日本八大布教地(府内、平戸、博多、鹿児島、山口、京都、堺とともに)のひとつに数えられていた。
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T型の墓標に刻まれている「INRI」の文字。
キリスト処刑のクルスに掲げた「ナザレの王ユダヤのイエス」の頭文字。
墓碑ではなく墓地全体を見下ろしていたクルスに載せられた墓標で、キリシタン信仰華やかなりし頃のものだという。…干十字の上部なのかもしれない? 昭和24年に県指定史跡となっている。
国東市国見町櫛来にもINRIと刻まれた石(祭壇石か?)がある。野外にあって風化が進んでいるのが心配だ。
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1549年にフランシスコザビエルの布教により広まったキリスト教も、1612年の禁教令が出されると、信者は次第に改宗するかもしくは「隠れキリシタン」となっていく。
秀吉による伴天連追放令が出された1587年に生まれたのが…豊後浦辺(国見町)の出身で郷土の偉人、福者・ペトロカスイ岐部神父だ。


くじゅう連山麓の花園に立ち寄りました。
春を告げる「福寿草」 花言葉は「幸福」
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こちらも早春の花「雪割一華(ゆきわりいちげ)」
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by jinashi | 2012-03-27 19:03 | ペトロ岐部とキリシタン史 | Comments(0)