第2回国東半島エコツアーガイド学習会~夷谷コース・その2 2011・12・24

六所神社
夷谷周辺は耶馬溪の景観とよく似て奇岩・秀峰が連なり耶馬溪になぞらえて「夷(えびす)耶馬」と呼ばれている。その夷耶馬(中山仙境)を眼前にして上から六所神社、實相院、そして霊仙寺と並んでいる。
六所神社は、隣の實相院や霊仙寺とともに天台宗の一大寺院を成していたようだ。現在拝殿がある位置にはかつて講堂が建っていたという。この地には六所宮の六本杉として記録にも残っている6本の巨杉(御神木)があったことで知られている。
「後醍醐天皇との戦に敗れてこの地に落ちてきた足利尊氏が、再起と戦勝を祈願してここ六所神社に自ら6本の杉を植えた」という言い伝えが残されている。この杉は老朽のため平成元年に惜しまれつつ伐り倒されたが、なんとその売却代金は6本総額で1億円だという。売却先は佐伯市のH銘木店。
建武3年(1336年)に尊氏により手植えされたと伝えられるが…業者によると樹齢はそれより短いといわれている。根元の一部が保存展示されている。
六所神社の足利尊氏伝説の場所に新たに植えられた6本杉。
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山門を入って右手の崖の下に、仁王像が1基下部を土中に埋めたようにして倒れている。半肉彫りで頭が無いが阿形のようだ。作風は旧千燈寺の仁王に似ているような…。
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實相院(じっそういん)
六所神社となりの實相院は霊仙寺の坊のひとつであったといわれているが今は独立した寺院だ。
庭にある高さ4mほどの国東塔。一部が入れ替わっているため県指定文化財にならなかったのだが…立派な国東塔だ。
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霊仙寺(れいせんじ)
霊仙寺は六郷満山中山末寺。本堂の御本尊は千手観音菩薩。年に1回、2月18日に御開帳がある。
本堂となりにある地蔵菩薩石像。像高 4.87メートル、総高6.5メートル 安政7年の作でお寺の屋根より高い一石地蔵尊では九州最大の地蔵様。 両脇には仁王像がいる。近くの山に切り出した時の大きな残石があると住職より教えていただいた。
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正面の楼門。2階部分は六所神社の山門を移設したという。
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楼門右の阿形(あぎょう)像。半肉彫りの仁王像はアンバランスな造りが素晴らしい。
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山門内側左にある蔵王権現。役行者の守護神(化身)。
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右にある毘沙門天(多聞天)像。四天王の一尊で北を守護する。どちらも修験道のご本尊。
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 (伝)吉田光由の墓、渡辺藤兵衛の墓
上香々地から上小畑にぬける道から南へ林道を入った墓地に吉田光由のものといわれる墓がある。
吉田光由(よしだみつよし)
慶長3年(1598年)~寛文12年11月21日(1673年1月8日)は、江戸時代前期の和算家である。
京都の豪商角倉家の一族。久庵と号す。角倉了以は外祖父にあたる。初の和算家毛利重能に師事した。のち一族の角倉素庵のもとで中国の数学書『算法統宗』の研究を行い、それをもとに1628年(寛永5年)、著書『塵劫記』を出版した。同書は絵を多用し基礎から応用まで容易に学習出来るように書かれた数学入門の模範と評価された。晩年には失明し、75歳で没した。(Wikipediaより)

墓地入口にある説明板によると
~光由は晩年には細川侯に仕えていたが、諸国漫遊の途中で夷の地に来てその風光と人情が気に入り「稽古庵」という塾を開き子弟を教育したという。門弟の渡辺藤兵衛が師を探し求めて夷に来てからはいっしょに過ごしたようだ。
墓地に続く道。
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弟子の藤兵衛は宝永4年(1707年)に亡くなり法名俗名が刻まれている。
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その一段上に無名の墓があり寛文12年に亡くなった光由の墓だといわれている。そして今では日本珠算連盟の代表の方々などがこの墓地に参拝に訪れているようだ。
江戸初期の夷は小倉藩細川公領地。細川忠興は親キリシタンであり、忠興の妻玉子は洗礼をうけてガラシャとなる。
無名の墓は白墓と言い、隠れキリシタンの墓と言われている。
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その塵劫記は現在英訳されて世界の人に読まれているらしい。
「塵劫記(じんこうき)」~
明の程大位の『算法統宗』にヒントを得て、1627年に吉田光由が執筆した。命数法や 単位、掛け算九九などの基礎的な知識のほか、面積の求め方などの算術を身近な話題 をもとに解説し、これ一冊で当時の日常生活に必要な算術全般をほぼ網羅できる内容となっている。(Wikipediaより)

夷のとある家には塵劫記の原本が残っているという。
塵~ちり(微小) 劫~きわめてながい時間(長大)
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この夷地区は風光明媚でかつ多くの歴史遺産が残された素晴らしいところと再確認する学習会でした。
Commented by yokobaba at 2011-12-29 20:29 x
まっ! なんとまぁ~! 口を開けたまま一気に配読いたしました。
倉庫のアルバムに、六所神社の6本杉の写真が、残っていてくれる事を、
ひたすら祈りながら、読み終えました。
知らなかったなぁ。私は誰とそこに行ったんだったのでしょうか。
6本の杉の木の、オーラのようなものに、写真に撮ったのかとも思う。
霊仙寺の九州最大のお地蔵さまの、記憶はないし、こりゃあの世に行くまで、
もう一度訪ねなくちゃ。イシガトウにもね。
今年はこの事を知っただけでも、良い年でした。
有難うございます。
Commented at 2011-12-29 20:34 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by jinashi at 2011-12-31 08:59
国東半島にはまだまだ知らないすばらしいモノがありそうです。
来年もせっせとウロツキたいと思っています。
半島ご出身のyokobabaさんのblogと縁ができた良い1年でした。
by jinashi | 2011-12-29 10:53 | 国東半島あれこれ | Comments(3)