久住山赤川登山口(赤) 南登山道合流(青)
久住山(くじゅうさん・1787m)九州100名山・大分100山~9回目 ※日本100名山は九重山(くじゅう連山の総称)
11日に発生した東日本大震災の津波による未曾有の被災をおもうと、山歩きをすることを後ろめたくも思う。災害はいつどこで起きるかわからない・・・ふつうに暮らせることに感謝。
春の晴天に恵まれて久々にくじゅうのロングコースを歩こう。
赤川温泉周辺にマンサクも咲いていることだろう。
やまなみ瀬の本からR442(旧小国街道)に入り久住高原荘先を左へ入ると夜明けのくじゅうの山並が見えてくる。
3度目の赤川登山口だが駐車場には本日一番乗りのようだ。
準備をして7時5分にスタート。今日は初めてのコースなので大分の山登山記・辻本さんの2010年10月16日コースを参照にする。今回は山を背にして歩き始める。ここの標高≒1050m。
50mほど下って左のゲート横から舗装林道へと入る。
大きく左へカーブした所から山へと入る。「南登山道へ」の案内板もある。
荒れた竹林を抜けると南登山道に出合う。ここまで40分ほど。
すぐにコンクリートが新しい林道へ上がる。
林道を越えると猪鹿狼寺(いからじ)本堂跡へ着く。
最澄が唐から帰国後の平安時代に開基したという。鎌倉時代には久住山麓でおこなわれた巻狩で獲物となった鹿や猪の御霊を鎮めるため、久住山猪鹿狼寺となったと伝えられる。今でも久住小学校近くに天台宗寺院として現存している。
この辺りから「七曲り」となる。ジグザグに何度も(とても7回ではすまない)折り返しながら高度を上げていく。
勾配が緩やかとなり台地状となったところへ上がる。前方に久住山が大きい。
振り返ると阿蘇涅槃が浮かぶ。
ノリウツギの潅木帯をくねくね登ると左手に久住の山体が迫る。
恐る恐る雪渓をトラバースする。右前方は稲星山。
神明水から(久住山と稲星山の)鞍部へと上がり着く。これでくじゅう連山のほとんどの登山路を歩いたかな?右前方に九州本土最高峰の中岳(1791m)。まっすぐ池の小屋へと向かう。
池の小屋へから遭難碑のある1748mピークへと向かう。小さく碑が見える。
昨年8月にじなしも参列した80回忌法要以来の遭難慰霊碑に参拝する。80回忌の時には雨で周りが見えなかったが・・・ここからは見晴らしが良くくじゅう連山のほとんどの山容を望むことが出来る。
裏側で早めのお昼。まだ10時30分。
遭難碑から北へ少し下ったところから氷結した御池(みいけ)を見下ろす。
風も弱くだいぶ気温も上がっているようだが・・・氷の上を歩いている人もいる。向こうに中岳。
空池横からはきつい久住山への登り。ママの隣を下っていく青いザックの男性はなんと77歳。
山頂では20人ほどが昼食タイム。温度計がなくなり標柱の位置が少し西へ移動したのか?
9回目の山頂写真。11時45分。
小休憩のあと下山開始。下方に今朝登って来た南登山道の高台が見える。今日は野焼き日和で久住阿蘇高原のあちこちで煙が上がっている。
岩場やガレ場の急坂や霜が溶けて滑りやすくなった路面に気をつけながらもグングン下れば小一時間で見晴らしの良い台地へ下りる。一休みして肥前ヶ城山腹の柱状節理を望む。
少し下ると大分大学工学部的場研究室が取り組む「登山道浸食防止技術開発実験場所」を通る。昨年8月にここを通ったあと新聞報道でもこの取り組みを見た。この年度末までの事業のようだが・・・特にこの赤川コースは浸食がひどくその成果を期待したいものだ。
木橋をわたると赤川登山口は近い。13時55分に駐車場へと下山。
初めて登った南登山道は標高差はあるものの(赤川コースに比べても)特に厳しく危険な所も無く、静かで景観も良いコースです。近年、牧の戸や長者原コースの登山者が多いようですが、こちらのコースからの久住山、中岳、稲星山、白口岳の周回もおすすめです!
赤川温泉の廻りに多い「まんさくの花」。「春になってまんずさく」や「豊年満作の願いをこめて」などから名づけられたようだ。青空に映えて今が見頃。
この冬は特に雪が多かった。「雪が溶けかけては氷る」を繰り返して出来たのか? 氷のオブジェ。駐車場そばにある。