宇佐市安楽院と宇佐公通

宇佐市森山の安楽院

宇佐八幡大宮司宇佐公通(きんみち) 
国東半島の歴史と大きく関係する宇佐神宮。1400年以上に及ぶ歴史の中で大きな力を持ったのが大宮司宇佐公通(うさきんみち)だ。源平合戦の時代、平清盛の娘を妻に迎え平家とつながることで九州一円にあった宇佐八幡(や弥勒寺)荘園の守護を図る。神官の身でありながら豊前の国司をつとめるなど大きな権力を持った。また救民事業として駅館川に(大分県最古といわれる)平田井堰を築いており、現在でも安楽院の横を灌漑用水が流れる。

安楽院は宇佐平野を東西へ走る農免道路(県道629)のそばにあり現在は曹洞宗寺院となっている。かつては公通の館としての平城「森山城」であり、平家や安徳天皇の都落ちには受入れ先となったといわれる。
山門を左へ向かうと大きな(高さ2mぐらい?の)五輪塔がある。公通の墓(供養塔)で江戸初期の建立。
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境内の少し先にある十三重塔は安徳天皇の供養塔といわれる。
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おごる平家は久しからず・・・。平氏に反旗を翻した緒方三郎惟義(おがたさぶろうこれよし・宇佐宮緒方庄の荘官)らによって宇佐神宮、弥勒寺は焼き討ちにあう。
その後平家滅亡により宇佐公通は危機に瀕するも源頼朝より贖罪のための代償として八幡宮や弥勒寺金堂の造営を課される。
by jinashi | 2010-08-16 14:27 | 国東半島あれこれ | Comments(0)